五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

阿蘇道場日誌から

2012-09-30 04:38:38 | 五高の歴史

今朝は昨日の続きで道場での日曜日の様子から

六月二十一日 日曜 曇小雨交々
大詔を戴いたが、道場での気持ちは何と晴々として有難い気持ちのすることであろう。
古の哲人の言に、「心は境を追うて移る」とあるが、道場に来たときほど之を明確に體認することはあるまい。それが他の場所で大詔を拝した以上の有難さを感ずるのであると思う。大阿蘇の五嶽と我と道場とがまさに一体となる。静かに天にあがる大阿蘇の煙は、躍動する我が生とさえ感じられる。

私は道場に来て、天地人を貫く理気を感じないわけにはゆかぬ。坐禅中の拍子木の音は、我が身にしみとおる。我と阿蘇の天地はまさに渾然として一体にある。道場に来ることは俗世から離れることである。身はいかに俗のかたまりであらうとも一度阿蘇の大自然に浸ると忽ち心は浄化される。そういった意味で阿蘇道場行の大なる意義があろう。
人はいわん、たとい都市都会に居ても俗臭を脱せねばと。しかし何といっても先ず都会から去ることが最も具体的な普通の仕方である。即ち道場などへ来て俗心を捨て得たと感ずるのが、まず人間の普通であり、第一歩であると思う。飯島・池田(辰)両教授の他、組員二十九名。計三十一名

無事に阿蘇道場の生活をさせて戴いた。道場を持つ五高生は、黙って道場生活をせねばならない。否常に感謝の念を抱いて精進せねばならない。座談会以外は皆が、もう少し無言でありたい。某校の禅堂に、無声堂という名を付してあるが、かくありたいとものと思う。そうして、あの道場での気持ちを持って、あの気持ちを常に思い返して日常生活で生きて行かねばならない。 以上

この記録をまとめた人は、阿蘇道場に来て如何にも禅の境地に達したような感じである。クラスは二十九名であったのだろう
六月二十七日は全校教練査閲のため道場行なし、次週については理三乙が残っているが臨時試験が行われるので道場行ができないので終わりになった。

七月四日は理三乙の予定であるが、その組に於いて六日も七日も臨時試験行われるとので道場行は出来なく十一日は三年の授業の最終日、従って今学期は一年十組の連続道場行の後をうけて三年七組の道場行をすることとして三乙一組だけ残して終了することになった。