五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高の資料整理顛末記  2000

2010-07-10 03:39:10 | 五高の歴史
二千年度の記念館の資料整理も今日の分で最後になった。その前に三月二十日に館長先生の俳句の句会がこの五高記念館を中心とした地域で行われていたのでそれを附けたしとして紹介する。
岩岡館長は俳句の先生であり雑誌{阿蘇}を主宰しておられる。 


三月二十日 火 晴
今日は春分の日で休み、しかし館長が俳句講座の生徒さんの句会をされるとか、で暇なら記念館の史料等の配布に加勢してくれとの要望を受けたので九時から行く、さすが世の中が休みというべきか、交通も通常の半分初めて南地区の駐車場に駐車する。パスカードは南地区は持っていたが北地区の記念館までは距離があり、面倒であるのでコインを貰って北に駐車していた。折角パスカードは求めていたので一~二回くらいは南の遮断機を開けない事にはと思いながら・・・・・・。
館長が法学部であるので、文・法からカギを借らせる。事務はほとんど出てきている。やはり娑婆は変わったというべきか。展示室を点灯し十時には一応の準備は終了した。先週から広げていた成績一覧表を取上げてみたがなかなかクルクルの癖は取れていなかった。また重しを乗せ調整する来週までのお楽しみと言った所か・十一時頃には出席者が集まったようだったので、館内に案内する。十二時までの予定と言うことで説明する。このような事をする人はただ単なる一般の観光客よりちょっとレベルは上のようだ。中には歴史に興味もある人もいたようだ。生涯学習センター等が講座が出来たなら多分受講する人は多い事だろう。十二時施錠してカギは文学部kさんに返し帰る事にした。



寂心さんの大楠


三月二十七日 火 晴

平成十二年度の出も今日が最後、五高同窓会が今月をもって、解散とやらで昨日は五高記念館友の会の第二回発足会議に私も出席を依頼された。
友の会発起人のメンバーにも指名されたが顔ぶれをを見たところ事務的な仕事も誰かがしなければ為らないことではあるが事務的なことはやはり俺がしなければ・・。、会員にも強制参加と言うことで事情も事情でこれも仕方がない事である。年会費二千円、自分も払わないわけには行かないようだ。なるようになれであまり気張らない事か?喧しいことを言う人はいないだろう。

岩岡館長が頑張って居られるのでこちらも協力してやらねば。しかしボランチイアばかりでも面白くないと言う事は確かである。
昨日は熊本大学・五高友の会会則〔案〕が平山さんの原案を元に一応の案が纏まったが、出席者を見渡したところワープロで簡単に清書するような方はいないようだ。

自分のパソコンで昨夜規則案と関係する消耗品等をまとめてワープロしておいたので、朝一番に館長と打合せする。館長先生、朝は早く一時間前には到着し研究室で勉強、・・さすがと言うべきである。法律の先生を前にして規則を作るのも、と笑いながら修正等を頼む一応まとめて完成する。

管財にカギを借りに、掛長は休み、それから文具店へ、昨日の友の会の会議で決めた消耗品関係の物品を注文する。会議では委員の先生方から生協がいいとをいう話であったが、私は生協は嫌いである学生部時代あれほど私的公的に買っていたのであったが、会員でなければ五パーセントの割引はしないとか事情は判るが、生協との関係について話すなら明日まででも続くので止めにするが、それやこれで開室は九時三十分になってしまった。


館長の要望で四月四日の史料懇談会は記念館休憩室で開きたいそうな・・・。
新年度からはここでパソコンを使用し史料を整理したい事だそうである。その手始めにここで懇談会を開きたい事のよう、
ハーン展のガラスケース等を一応纏めてこじんまりの休憩室を作るがなかなかケース等は重い。空いた場所に十人分の座席を作る。机これは開設当時購入していたもので二階の倉庫等のあちこちに格納していたもの、現在の事務の人達でもこんなものがあったと言うことも知らない人ばかりだろう。単なる置くための台として誰かが使った事はあるかも知れないがほとんど手付かず、確か十台購入した記憶があるが既に八年も前の事で忘れてしまった。六台を二階から下ろし天板のビニールを剥がす。

作業員は今日は忙しいとかせいぜい三十分位でも加勢でもしてくれればいいのだが、頼まんざいと言いたい事ばかりで、ぼちぼち一人でやって大変くたびれた。十一時三十分までかかってしまった。椅子は折りたたみ十脚のうち発見したのは七脚こちらもほとんど新品同様であった。今更こんなものを引き出すなんて・これも五高記念館との腐れ縁か、終わって昼食は弁当で・・・。

 法学部の新入生に対し模擬授業が行われたそうで昼食の時間を利用し記念館見学を計画してあった。教務渡辺氏がいろいろ世話しているようであったが見学者は述べ人数せいぜい五十人位程度で、休憩室にスリッパ約三百足が入れてあり、これは大教センターから借りてきたのだそうだ。しばらくガタガタしていたが、これも二時三十分には終了し
、こちらもくたびれがひどくなったので次の出が四月十七日の新年度ということであり、先々週頃から成績表のくるくると巻いてある物の癖を直すように重しを乗せていたものを、製図用のキャビネに格納しておく。この成績表の整理、時間だけ食うが新年度からのお楽しみとすることにしておこう。


一九九九年四月から始めた記念館の資料整理も二〇〇〇年三月まで終了した。二〇〇一年分はsanbonmatu.exblog.jpで記載していくことにした。