五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高記念館の建物について

2010-01-04 04:45:40 | 五高の歴史

五高記念館の建物について 
 五高記念館は第五高等中学校の教室として、明治21年(1888)2月に着工され、翌明治22年(1889)8月に完成した。通称赤レンガと呼ばれイギ リスのクイーン・アン様式に習ったと言われる。明治期の熊本の代表的な建築で、本館・化学実験場・正門及び設計図は昭和四十四年八月十九日国の重要文化財 に指定されている。煉瓦と自然石を積み上げた組積造で284坪余(940平方メーター弱)、鉄筋コンクリートの建築と異なり、煉瓦の厚い壁で建物を支える 構造となっている。屋根部分は日本瓦が使用され左右対称の形や窓などに西洋風建築の特徴が現れている。建物の石材は石神山から切り出された島崎石が土台等 に使用されている。煉瓦は細川家の菩提寺、泰勝寺の東側に煉瓦製造所を設置して焼いたもので、基礎工事には深さ9尺(2メーター~3メーター)に及ぶ栗石 が敷きつけられ、それは白川のものを使用したということが記録されている。そのためその後暫くは白川の水が澄まなかったという。明治22年以来一世紀以上 の風雪に耐えながら、優美な面影をとどめているのは驚嘆に値する。
 記録によると明治22年7月28日の深夜には熊本地区は未曾有の大地震に見舞われ、民家の倒壊により圧死者、負傷者が多数あって、明治天皇から千円、皇后か ら三百円の御下賜金があったほどの災害にも関わらず、本館には些かの被害もなく、このハイカラな建物は職員、生徒の誇りは勿論、九州における最高学府とし て熊本県の誇りでもあった。更には明治25年にシカゴで開催された万国博覧会に日本を代表する建築としてその設計図が出品されていることは当時の関係者が 如何に自信を持っていたかが想像されよう。門衛日誌を見れば、連日遠近から見学者が訪れ、修学旅行のコースにも入っていたということである。

 第五高等中学校の敷地51,306坪は13,157円で買収されている。1坪当たりの価格は25銭5厘になるが、この経費は建築費を含めて10万円が熊本 県の地方税から支出されていることは,熊本県当局の教育に対する熱意が理解できる。この敷地について明治20年に設置が決まった他の高等中学校と比較する と、第一高等中学校(東京)敷地30,391坪,第二高等中学校(仙台)敷地32,273坪,第三高等中学校(京都)敷地20,083坪、第四高等中学校 (金沢)敷地22,713坪に対し、その広大な敷地が確保できたのは先人の卓見であった。

池田勇人・佐藤栄作の2人の総理大臣を始めとして幾多の俊才が学んだこの校舎から日本を動かした人材を生んだが、磨り減った石段(裏と東西の出入り口)が その歴史の長さを無言のうちに物語っている。五高七不思議の中にも登場する正面玄関は不開扉として殆ど開けられたことはなかった。開ける必要もなかったの であるが、平成5年からの一般公開に伴い開放したものである。(tH)