五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

肥後狂句について

2010-01-21 04:47:56 | 五高の歴史

肥後狂句について第四号は取り立てるニュースがなかったのか、武藤校長が病気

を理由に退職する挨拶がある。面白い記事と感じたのは内田辰雄氏の肥後狂句で

ある。現在は肥後狂句は熊本では有名である。数人の有名な指導者が居られ肥後

狂句の発展につくしておられ、公民館講座等で学習に参加している市民も多い。 こ

こにでは「肥後狂句の一面」に掲げてある狂句を二~三を紹介する。何れも遊びに

行き花柳病がうつされたものをうたったもので     不釣合い医者ドン鼻失うて病

気を治すべき職務を持つ身の医者自身が梅毒に罹り、第三期の病魔でその鼻が沈

没したと言うことを皮肉ったものである 大たたり元は僅かの毛すれ傷軟性か硬性

かはわからぬが、とかく若気に驅られて良からぬところ、二本木等の遊郭に遊びに

行ったのがそもそも間違いで、帰りにもらった土産は浦島太郎のそれよりも、はるか

に思いつづら織り。自ら招いた身のたたりは予期せぬだけに恐ろしい。 痒さがのさ

ん医者でも温泉でも利かん病頑固な皮膚病にはだれしもが降参する。折角便りにし

た医者の薬も薬効なく、人にすすめられて遠く山の温泉に出かけて見たが更に効な

く、それかと云って捨てて置く訳にも行かぬ、現代のように医療が発達している時代

でなく困ったことだろう。 このニ本木地区は戦後の売春禁止法の制定以来遊郭もな

くなりさらには九州新幹線の建設工事に伴う区画整理で、昔を偲ぶよすがは、なにも

なくなってしまった。(tH)