五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

昭和二十一年から

2009-08-31 04:28:42 | 五高の歴史
昭和二十一年
戦時中の高校二年の制度が本来の三年制へ復活、学校生活課の更迭、新入生の合格発表延期、食糧難、生活問題が習学寮を襲う、二十年の後半は戦時中の影響が抜けきらない状態であったが、一年生を迎えた十月からは、新しいエトヴァスを見出そうとする努力があった。
昭和21年6月17日   五高ボートレースの復活
伝統を誇る龍南健児のボートレースは4年ぶりに復活、江津湖で力と熱の絵巻を繰広げた。紅白にエアかれた、文・理科生は湖畔の要所に待機して日の丸扇子に太鼓を打ち鳴らして声援した。これに答えた鉢巻をしめた選手たちは、半裸となって白熱のレースを展開した。理科の勝ちであった。
    7月14日   二十年ぶりに五高対七高野球戦が復活する。12対11で五高が辛勝する。

ボートレースの復活 続習学寮史から転載する
昭和21年6月15日来るボートレースの為の街頭デモストレーションが雨中を衝いて決行された。降りつのる豪雨は却って龍南健児の士気を奮い立たせたのか、実に壮大な活発なデモであった。熊本日々新聞は之について「やる人間が昔と違っている丈で、文理科の色分けから挑戦状の形式から、旧態依然たるもので何ら新しい進歩がない」と悪評しているが、一般市民は久々に見られた五高生の意気軒昂たるデモに喝采を送り、平和の復活を今更の如く感じたのであった。占領軍もジープをとどめトラックを止めて珍しがって見つめていたのである。十六日雨で延期された第41回ボートレースは華々しく江津湖で開催された。一年生はまだ入っていないので2年と3年丈であったが、共に入学以来の初のボートレースの事とて盛んに応援し暴れ廻って愉快に一日を送った。