五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

スーパーへ買い物に行く

2014-06-30 04:55:28 | 日常生活について
今日は6月は30日2014年も半年暮したことになる。日曜日には大した計画もなかったので午前中に近くのスーパーに自分で食べたいモノの買い出しに出かけた。かってはハローグリンという他のスーパーと異なった高級食材等の物を売っていた店があったが、何時の日からか全国的な大型スーパーイオングループに吸収され今ではその傘下のスーパーになっている。スーパーのような店は仕入れが多ければ多いほど安価の販売が出来るようで消費者はなるべく安い方へ安い方へとなびく、そのため経営もなかなか難しいようである。
日常生活に於いては我が家では自然食を中心とした生活を行っているので主食である米や野菜は熊本有機栽培の組合から持って来てくれるし、スーパーへには補助的な食べ物を補給するために購入に行くのである。

昨日は毎日愛飲している球磨焼酎を購入して来た。球磨焼酎との付き合いは長男坊が若いとき球磨の地に赴任し三年間居たかと思う。その時期熊本の実家に帰る時私にお土産として珍しい球磨といって手作りの球磨焼酎を購入して来ていた。その時以来の付き合いで、若い時期であれば限りなく飲んでいたが今日では全くたしなむ程度になって、ここでも年取った証拠が表れている感じである。

我が家周辺は老人の一人暮らしとか老人夫婦という家庭ばかりであるので殆ど毎日御用聞きさんも廻って来るし、購入したいものを頼んでおけばまた持って来てくれる。買い物のために外に出なくとも不自由はない世になってしまったようである

7月盆が近くなったので墓掃除に行って来た。昨年12月に行ったが、半年ぶりに今朝涼しいうちに行った。墓じゃあじんは全く困ると行ったことがあるが、東家は本家という事で母の伯父、伯母等々が墓ばかりは東家に押し付けて後は知ったことかと言う塩梅である。明治の世で兄弟で名字が違うので調べてみると池田と東と言う姓があり池田の方の禄が高かったので東家を潰すことは出来ないという事で長男には東家を継がせ、後の兄弟姉妹たちは全員禄の方が高い池田の姓になってしまったとか、現在で小さい石塔が立っている物が6個か?これは明治の初期のことで百年も昔に行われていることである。しかしその子孫に取っては全く困ったものである。母ばかり出て来るが母の兄弟は女ばかりで姉達をはじめとして伯父伯母たちも若い時代に死んでしまいそのため俺の父は婿養子であった。その父も死んで40年にもなるだろうか?今更墓の整理をするにしても簡単な金額では出来なくやはり百万円以上のカネが掛かろうものである。自分の生活を犠牲にしてまで墓所の改修は行いたくもない。家を維持して守って行くのもおおごとである。墓掃除は盆・正月の年に二回だけ行っている。池田の方の子孫もあることですし向こうも盆・正月には墓掃除もされることであろう。今の段階では見守って行くしかないようである。