創立五十年に建てられた御礼大祭記念館
平成十一年解体処分された
五高が開校して半世紀即ち開校五〇周年記念祭は昭和十二年十月十日開催され
ている。既に二年半前の昭和十年四月には記念祭実施計画が検討されたことが発
表されている。八号の読み物としては木下順二の『小泉先生と五高』がある。文科二
年であった木下順二の「小泉先生と五高」というのは研究報告というべきもので、当
時の九州新聞に連載したものを、この同窓会報の編集者の方から会報に転載した
いとの依頼を受けたのでその為に少々焼きなおしたものという本人の注釈が付けら
れている。ハーン研究者にとっては一度は読んでおく価値のあるものと思われる。こ
の中の5に「五高の狐」というのがある。これについては昭和8年に書かれた「五狐
の家」として赤星陸治(水竹居)氏(明治二十九年法卒)の原稿が先号で紹介した「
米価十銭の頃」と同じ資料から原稿が出てきたのでそれを転写しておいたがこの「
五高の狐」も筋としては全く同じでありラカジイオハーン(小泉八雲)の教育精神を見
る思いがする。近時に二通については両者の文を転載し比較して見たい(tH)
平成十三年発足した五高記念館友の会には歴史に関心のある人を参加者にと思い発足したのであるがなかなか会員数は増えない.、昔の学校制度や旧制高等学校のことに関心のある人の参加を望んでいる。本年は発足十年目に入るので、記念号の発行等を予定している。入会等に付いてはホームぺージ 五高記念館友の会 にアクセスすれば詳しいことがわかります
赤星陸治について
明治7年(1874)8月7日~昭和17年(1942)3月28日、実業家,俳人,号水竹居。八代郡上鏡村(現鏡町)の下山家に生れ、のち文政村宝出(現鏡町)の赤星家を継ぐ、五高、東大法科卒。三菱入社後,小岩井農場長、さらに三菱地所部長(三菱地所株式会社社長)を勤め,丸の内村長といわれた。禅,ゴルフのほか佐々木信綱に短歌を学んだ。大正12年(1923)丸ビルにホトトギス発行所(高浜虚子)を置き,虚子と相年の師弟として俳句を作る。故郷の家号水竹居を俳号とした。ホトトギス同人として文章にも長じ『虚無僧』『玉とニー』『虚子俳話録』の著作がある。熊本の俳誌『阿蘇』雑詠選者でもあった。昭和17年、結跏趺坐のまま亡くなった。のち『水竹居句集』刊行。(熊本大百科事典)