五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

第五高等学校の動きについて

2014-11-30 04:38:40 | 五高の歴史
明日からは師走いよいよ2014年もあと一ヶ月を残すのみとなった。五高記念館では先頃から転載していた大正十二年十二月以降という冊子を終了してしまった。何週間かかっただろうか最後は昭和二年三月末日と記入してあった。約三年間の五高の動きであったが、ここで気が付いたことをあげてみることにした。

一、問題が出て来た時には必ず評議会が開かれ協議がなされていること。生徒の側からの申し出、試験の検討、鹿児島七高との連絡等々である。
  珍しい処では招魂祭についてよく検討討議されている

一、試験の回数が多い事、学期末は勿論のこと臨時試験もまた多い。生徒は成績が悪いと退学を申し付けられていたようである。

一、高等学校である証拠として教官が生徒にとても干渉していること。まだ子供として扱っていた。

一、卒業生をはじめとして父兄、兄弟、等々が学校を訪問する者がとても多い。

一、紀元節をはじめとして神武天皇祭等、宮城遥拝が非常に多く現人神天皇を礼拝するところは現代と全く違う処である。

一、教務課は忙しい時には日曜、祭日も出勤して執務を行っているが代休だろうか休業日が設けられている。

一、学校行事として行われた後には学校全体で懇親会が開催されている。会場は市内の料亭が主であるようだ。

以上のようなことを行うにしても必ず評議会が開催されて教職員間、生徒間に周知徹底している。このようなことが気が付いたことであった