五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

熊本大学サマースクールに参加する

2010-08-28 18:23:24 | 五高の歴史

現在の五高記念館と構内風景

第一回 熊本大学サマースクール五高記念館で漱石を学ぶに参加して

八月二十三日から二十七日までの五日間、熊本大学サマースクールが、五高記念館で漱石を学ぶと言うことで、滞在型の公開講座として世界の文豪夏目漱石が明治の五高教官夏目漱石の足跡をたどると言うことで開催されました。

特に熊本を主題とした小説、草枕、二百十日等は新進気鋭の研究者の講義が開催され、要するに漱石三昧の五日間を過ごしました。五高については私がいままでこのブログにも照会してきましたように今回は研究者でもない私もひょんな事から参加する羽目になりました。
そうしてどうやらその五日間の講座を無事に終了させていただきました。ここではその講義を通して私が感じたことを述べてみたいと思います。


第一日目 場所は五高記念館

八月二十三日月曜日、学長のサマースクール開校挨拶に引き続き講義が始まり、漱石研究家三沢純文学部准教授の「戦前の高等学校制度と第五高等学校」という題での講義が行われました。

この先生の講義で私を注目させたものは移転改築される旧五高プールでした。当時の新聞記事を参考として掲載してありましたが、漱石とは直接関係ありませんので私の考えもやめておきます。


さてこの日の午後開催されました坂元昌樹同じ文学部の准教授の「漱石の人生」についての講義があり、この先生の漱石の「人生」については以前にもその話を聞き、難しい、俺にはわからないと半分は聞くことを投げていた思い出がありました。しかし今回は私の方もある程度漱石の小説も読み直したことも手伝って、そして先生の方から支給された参考資料を参照すると、そのうらに潜んでいるある漱石の感情、その後の漱石文学の芽生暗示がふくまれていると云うこと。そこまで読み解かねばならないという事に感激しました。



第二日目 漱石旧居並びに草枕交流館

二日目の八月二十四日の午前には漱石が熊本時代第五番目に生活したという漱石旧居で開催されました。あの移転魔と云われている漱石が熊本で最も長く住んでいたという家、ここは現在もそのままの状態で保存されています。

講義は村田由美先生の「熊本時代の漱石その日常の交遊」という題で五高での同僚教官との交流、漱石自身が教頭という立場に上り所謂学校、五高の管理者としての漱石の苦悩までつっこんで考える必要の話があり、当時の同僚教官、校長中川元、漱石を熊本五高に誘致した菅虎雄、長谷川貞一郎、それに狩野亮吉 漱石の親友で、後の小説二百十日の山川信次郎、そして漱石が学生を大切にしたこと、教え子である俣野義郎や湯浅廉孫を書生として住まわせたことを新しく発掘した資料を元に照会がありました。



続いてこの日の午後は中村青史先生の「名作を読む、道草」という題であったが、この先生は名作草枕の舞台である小天温泉、そして漱石、山川信次郎が宿泊したという、前田案山子の別邸、現在その草枕探訪の拠点になっている前田家別邸はこの先生の肝いりで、整備され草枕交流館として各種催しが行われている。ここで中村先生の草枕に登場する画家と奈美さんを中心とする人間模様の話、つづいて風呂場、そして前田家のお墓の見学、等々、ここで一句ひねって見ました

        漱石の 痕跡探す 密柑山  (kaminokawa)

私自身は地元の人間でありますのでいままで数回、ここは訪れていますが,くわしく案内説明してもらえばそのたびに新しい発見があるように感じています。

なお三日目は熊本近代文学館で文芸評論家末延芳晴先生の午前が「子規と漱石」、午後が「漱石のロンドン留学」が行われましたが今日の感想報告はここまでとして又そのうちに行いたいと思います。