五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

高等学校は二年制へ

2012-11-30 05:22:27 | 五高の歴史

昭和十七年も十二月に入っている。阿蘇道場行きは特別の事情がない限り土曜の午後から日曜にかけての一泊二日の行事は例の如くであるが、世情は戦争が勃発して一年、緒戦こそ異常な進撃を見せていた日本であったが、ソロモン、ニューギニアでの米英の反転攻勢で、戦局は逆転始めている。しかし世の中の大勢は初期の熱狂はまだ続いていたが校内では戦争そのものを注視するようになっていた。更には高校二年制への改革が発表さた。

十二月五日     土曜   晴理二甲二

内牧駅で下車すれば外気は身を切るようだった。
よって道場への坦々たる道を二百米ばかり駆足、又逍遙歌を高唱すれば大気は実に爽快に感ぜられた。
四時半道場着。直ちに宮城遙拝、国旗掲揚を行う。
はるか根子岳附近の山々には白雪がうっすら積って神々しい厳しい姿を見せている。参拝清掃を終り、各自火鉢を囲んで歓談す。笑声随処に起こる。七時半坐禅。しんと静かになった時大部分の者は耐えきれずくすくす笑ふた。之は若さの故だと思うが既に坐禅する以上は未だ心の至らぬ証と信ずる。八時二十分食事。それより一日一室に火鉢を持込んで会し、駄弁り合う。十時半頃、坐禅、
今度はさすがに落着いて真剣に坐る。十一時過ぎ、就床す。(飯島・横田両教授 理二の二組三十四名)

十二月六日     日曜   雪曇   理二-二
枕を破る木槌の響に夢をさまされ床を蹴って起き出れば外は白、皚々、満天満地の雪、心身霏々として降りしきっている。清掃洗面、参拝宮城遙拝、飯島先生宣戦の大詔を誦さる。雪の為国旗掲揚はしなかった。室内で体操をやってから朝の坐禅をやる。食事後昨夜の如く一堂に会してしゃべる。朝からこんなにするよりは外で作業せんものをと思われ十時、蒸し芋で腹作り之をして内牧温泉の奉仕清掃に出発す。外は雪掻き、内は階段、板の間脱衣場に雑巾掛けをす。掃除終わりて温泉で汗を流す。雪は将にとけつくさんとしまだら雪、田畑に残れり。正午道場に帰りて昼食をと摂り、一時一同下山す。

昭和十七年の年末、冬休みの合宿、この合宿はサークルか、参加者の身分は判らないが総員十四名だということで、二十五日の分を見れば自己紹介を行うとあるので道場合宿の希望者を募ったのだろうか?飯島教授の出席は道場の責任者と言うことで合点が行くが、二十六日には校長先生来場とある十六名のために講話を行うための来場であったのか?そのうちに暇を見つけて阿蘇道場の道場行きの人数でも調べてみたい

十二月二十四日  水曜 曇天
昭和十七年度の授業も本日を以って終った。余りにも早かった一年を反省せんものと試験終了後直ち来場す。総員十四名、十二月下旬としては暖かい五岳は遂に全貌を見せず、今日より五日間、此の冬休みの合宿を最も充実させる事を誓う。

十二月二十五日
起床七時、まず一時間失敗する、今日も案外暖かいが、冬曇の天は高岳を圧している。雲の山肌が、何か清々しい心地を誘う。午前九時半から道路普請を行う。気温さがる、昼食後小憩、三時半まで続行す。四時飯島先生来場する。一風呂浴びて坐禅す心甚だすむ、夕食後飯島先生、高橋さんを中心に、来場者十六名、自己紹介の後、神・霊に就いて語る。十時安らかに寝に就く、小雨淋しく降り続く、

十二月二十六日
残月淡々兜岩にかかりて、一同の緊張、大阿蘇の連山を圧するが如し、国旗掲揚前に坐す。十時より禅坐
三十分程して校長先生来場。一時間余にわたって講話あり、「大智禅師十二時法話」について,心動かさる、又不解の点多々あり。理二甲一の井上氏来場。有田氏、荒巻氏退場。午后町営温泉に掃除に行く。帰りしなに入浴。帰り道路は心軽かなりき。

十二月二十七日
朝、清掃後坐禅、国旗掲揚、外平常通り、午前の作業は、一昨日の道普請の跡にバラスを敷くこと。午後は各自(三人組)町に下り、作業をなす。二人道場に止まり餅つきを加勢す。浅井先生来場、内牧町内画家来場、夜、坐禅を十時十分に終る。坐禅は主として午後の作業の感想を各自が語って九時三十分に至った。

十二月二十八日
朝起きてみると非常な寒さ、布団をけって起床、作業は道路普請、尚二名寄贈された絵を取りに行く。本日合宿は昼迄にて終了、大半は退場、残るは飯島先生と小生等二名、何か淋しい様な気がする