カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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C年 四旬節第二主日

2016年02月18日 | 神父様からメッセージ(C年)
 
 
 キリスト信者も沈丁花の香りと共に、四旬節の香りのその甘さを吸って復活祭の準備の方へいざなわれ、四旬節の間私たちの歩みも続いて行きます。イエス様と一緒に砂漠を通り誘惑の辛さを感じ、イエス様と一緒に悪魔に打ち勝ち、神様のみ旨を忠実に守る約束をしました。今度、イエス様がご自分の姿を変えて、ご自分の本性を見せてくださいます。その姿は輝く姿で、イエス様が新しい真実を、新しい世界を知らせてくださいます。その姿はイエス様に従うことによって私たちの姿にもなります。それはキリスト信者も自分の人生の様々な出来事の、どのように辛い出来事をも神様の言葉の光のもとで見つめれば、その中で、神様の丁寧な指導、神秘的な跡を見出し、どのように暗い出来事でもそれが変わり輝いてきます。辛くても私たちにとって、ペトロがイエス様の前で言ったように「ここにいるのは、つまりイエス様と一緒にいるのは、いつでも素晴らしい!」
「ルカによる福音書9・28b-36」
 イエス様に従う人は信仰に対する誘惑を受けますが、それを乗り越えるためにイエス様と同じように神様のことを選ぶのです。イエス様のご変容は、誘惑を乗り越えた人に対するこたえになります。イエス様が十字架上の死を予想された後、弟子たちにキリスト信者が迎える理想と喜びを知らせます。それは、光で輝いている姿です。だからイエス様のご変容の意味は誘惑の時、苦しみを迎える時も、イエス様の言葉を聞く人は輝いているものになるということです。イエス様がご自分の姿を変える途中、天からの声は「これに聞け」と勧めます。イエス様を聞くのは素晴らしい人間、輝いている人間にとって欠かせない過程になります。輝いているイエス様の姿が歴史の中にあり、人間と共に歩む神様の存在を示しています。イエス様と一緒にいたモーセとエリアは法律と預言を象徴しています。メシアであるイエス様は旧約の時代から、つまりモーセの時代から人類に期待され、この世を去った時でも皆と一緒におられることを示しています。 同じようにエマオの方へ歩く弟子たちにも、イエス様について旧約聖書に書いてあること、モーセからそして預言者が予言したことも解説されました。ペトロと他の弟子たちはこのような神秘的な場面にとらわれて、大きな情熱の中でイエス様と一緒にずっといたいという希望を示しましたが、実際に神様と一緒にいることは出来ます、それはイエス様のみ言葉を聞くことによって実践されます。キリスト信者にとって、あらゆる形で神様の言葉を聞くことは欠かせないことです。神様は聖書全体に渡って、イスラエル人との愛の約束を述べた時でも、それを人類全体が聞くように勧められています。そうすることによって、使徒パウロが語っているように、私たちの貧しい体はイエス様と同じように輝いている体となります。輝いているイエス様と同じようになったキリスト信者が神様と一つになって、世界に神様の本来の姿を見せることが出来るのです。
                        モヨ神父


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