カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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C年 第21主日 

2016年08月16日 | 神父様からメッセージ(C年)

 
 イエス様が自分に従った者達、疲れた者、病気の者、いろんな苦しみに抱かれた者へ暖かい眼差しを向けられ深く憐れまれて、「わたしのところに来なさい、休ませてあげよう」と言われています。その誘いを受け入れるようにしましょう。人間はいろんな時、いろんな理由で心を乱して疲れています。自分の居場所が見当たらない時、愛されていないと感じる時、自己中心的な生活を送る時、過去の失敗を思い悩む時、理想的な未来だけを望む時、自分自身だけで人生の問題を解決したい時、このような時イエス様のところに行きましょう。イエス様が休ませてくださいます。「道、真理、命」であるイエス様が、わたし達の心を照らし、暖かく養い休ませてくださいます。わたし達の心の中に新たな力を吹き込んでくださいます。そのように支えられて、わたし達は人生の素晴らしさを味わい歩み続けることができます。新たな力で蘇ることができます。

「ルカによる福音13・22-30」
 ある人がイエス様に救われる方法を教えてくださいと頼み、また救われる人は少ないのかどうか尋ねました。イエス様が答えて救いの道を教えようとしました。イエス様は「狭い戸口から入るように努めなさい」と言う答えで救いの道をすべての人に教えてくださいます。その狭い戸口は確かに信仰の厳しさ、神様の共同体に尽くすこと、人生の中で愛の為に生きることなどの救いの道を示してくださいます。このような生き方はイエス様の十字架の愛を理想にし、復活の喜びを目指しています。初代キリスト信者の間にも、救いの話、そして神の国で一番になる人の課題は少なくなかったので、イエス様が人々の心に応えようとしています。まず救いに関しては意味のない事柄を強調されています、「ご一緒に食べたり飲んだりしましたし、またわたし達の広場でお教えを受けたのです。」このようなことは救いを得られる資格にはなりません。聖霊によって神様のみ旨を行うこと、また神様のみ言葉に従うことによって、イエス様が話してくださった救いを得られることになります。狭い戸口に関してイエス様の発言は少しずつ明らかにされています。この神様まで導かれる戸口はいつも開いています。どうしても入ろうとすれば確かに神様の喜びに達することができます。イエス様を信じて、イエス様と一緒に十字架を背負い、人と神様を愛することは人間にとって簡単なことではありません、厳しい時も辛い時もあります、それはまさに狭い戸口に立つようなことですが、イエス様がおっしゃったように、どうしても入ろうとすれば神様に導かれて救いの喜びを得ることができます。イエス様はわたし達の救い主、イエス様が救いの道を教えてくださいます。自分の人生の中でイエス様を受け入れることによって心の救いを得られます。
                           モヨリ神父

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