カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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C年 第5主日 

2016年02月04日 | 神父様からメッセージ(C年)


 人間は心の悪、体の悪から逃れる希望を持っていますが、そのために医学を頼るだけではなく、宗教を通して解放されるように望んでいます。それを見抜いたイエス様は私たちと一緒に悪と戦って支えてくださいます。むしろ祈るように教えられた時に「悪から救ってください」と神様に願うように勧めてくださいました。2月11日はルルドの聖母の祝日であり、世界の病者の日になっています。私たちも、日曜日にこのようなルルドの聖母の取り次ぎを願って、いろんな悪から解放されるように祈りましょう。病気になること、病気であることを運が悪い、罰があたったと考えてはいけません。悪は神様から出るのではなく、神秘的に善に対立してそれを強調し高めています。神様は苦しんでいる人間のすぐそばにいて慰めてくださいます。事情によって健康が取り戻せない時に、その病気の中でイエス様の苦しみも見出すことができれば、その中で周囲にいるも者たちの愛情と支えにも気付き、感謝の心に変わり、病気の中でもより大きな喜びを見出すことができます。私たちもイエス様と同じように、マリア様の子でありマリア様の腕の中で大きな愛情で包まれているのです。
「ルカによる福音書 5・1-11」
 当主日の福音書でも主役はみ言葉です。誰にでも神様の呼びかけはいつもみ言葉を通して行われます。皆の人生の中で重要な時があり、同時に人生を全うするためにどのような選択をすればよいのか、どのような方向に人生を向ければよいのかを考える時です。場合によって自然にわかることがあり、逆に困難の中で決める時もあります。とにかくいつでもその中に神様の呼びかけがあります。このような神様の呼びかけは父、母、聖職者などを問わず、全ての人間にあります。私たちは自分の人生の中でいろんな役割がありますが、このような呼びかけによって、この世の素晴らしさを完成するまで神様の協力者になります。当箇所ですぐに目立つのは、群衆がイエス様の言葉を聞くことを憧れていることです。他方ではイエス様がペトロの小さな舟であるように、教会の低い立場から話しています。群衆は驚きながら、み言葉を岩の中から湧いている清い水のように憧れて聞いていました。イエス様はファリザイ派の人のように、理屈っぽい言葉で話してはいません、むしろ真実を語り、権威のある言葉を語っていました。その後、イエス様がペトロとその仲間にも、ご自分の言葉の力を持つしるしを与えます。ペトロはイエス様のみ言葉の指示に従って網を下ろし、自分の働きの大きな結果を得られます。同じ権威のある言葉で、それによって群衆に偉大な教えを与えられ、イエス様のみ言葉は頼るべき言葉だと明らかにされます。このような魅力的な言葉に捕らわれたペトロは、自分の足りなさを実感しますが、イエス様の力強い言葉の誘いに抵抗することを諦め、イエス様に全身全霊で従うように決心しました。
                               モヨリ神父 

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