当尾(とうの)石仏 石仏に会いに行こう
藪の中三尊磨崖仏
東小(ひがしお)集落中程の藪中にあります。
隋願寺の塔頭があった場所と言われています。
像高 右から 111cm 153cm 91cm。
藪の中の岩に舟形の光背を彫りくぼめ、正面に地蔵と十一面観音、向かって左に阿弥陀を配する非常に珍しい配置の石仏です。作者は橘派の橘安縄、当尾の石仏中最古の1262年彫刻とあります。
カラスの壺二尊(阿弥陀地蔵磨崖仏)【康永2(1343)】
道が交差する分岐点で「からすのつぼ」と呼ばれている場所。角石のコーナーに彫られたお地蔵さんと阿弥陀さん。一つの岩に阿弥陀如来坐像(像高:60cm)と、面を変えて地蔵菩薩立像(像高:85cm)が彫られています。阿弥陀仏の横の線彫り灯篭は火袋を彫り込み、そこへ燈明が供えられます。
唐臼の壺
建物の礎石みたいな四角い石に杭でも立てるために穿ったような10センチほどの穴がある石造物です。シーソーみたいな機構の杵を足で踏んで落として脱穀に使う唐臼(からうす)というものに似ているから(穴が小さいようだけど)、そう呼ばれているんだそうです。
わらい仏(岩船阿弥陀三尊磨崖仏)【永仁7(1299)】府指定有形文化財
当尾の代表的な石仏の一つです。蓮台を持つ観音菩薩と合掌する勢至菩薩を従えた阿弥陀仏です。永仁7年(1299年)の銘文があり、上部の屋根石が廂(ひさし)となっているので、風蝕の影響も少なく保存状況は良好です。特に夕陽の中にたたずむ、やさしい微笑みをたたえた姿は微笑ましいものがあります。
伊末行(作)中尊像高79cm
すぐ隣にはタケノコのように土に埋もれた「ねむり仏」もあります。
ミロクの辻(弥勒仏線彫磨崖仏)
像高:170cm【文永11(1274)】府指定有形文化財
昔から大道が交わる道の辻で、旅人が健脚を祈ったところと言われています。
山際の巨岩に仏さまが線彫りされています。これは笠置寺本尊の弥勒磨崖仏(現在は消失し光背が残るのみ)をかなり忠実に模写したもので伊末行:いぎょうまつの作です。
三体地蔵磨崖仏【鎌倉末期】
ミクロの辻から岩船寺への旧道の途中、見上げる様な所にかわいい三体のお地蔵さんが彫られています。
旧道沿いの岩肌に長方形の龕(こん、かん、がん、ずし)を彫りくぼめ、三体の地蔵菩薩が厚肉彫りされています。三体とも左手に宝珠、右手に錫杖(しゃくじょう)を持っています。過去、現在、未来をそれぞれ割り当てたもので、六地蔵信仰以前の地蔵信仰の一形態といわれています。
藪の中三尊磨崖仏
東小(ひがしお)集落中程の藪中にあります。
隋願寺の塔頭があった場所と言われています。
像高 右から 111cm 153cm 91cm。
藪の中の岩に舟形の光背を彫りくぼめ、正面に地蔵と十一面観音、向かって左に阿弥陀を配する非常に珍しい配置の石仏です。作者は橘派の橘安縄、当尾の石仏中最古の1262年彫刻とあります。
カラスの壺二尊(阿弥陀地蔵磨崖仏)【康永2(1343)】
道が交差する分岐点で「からすのつぼ」と呼ばれている場所。角石のコーナーに彫られたお地蔵さんと阿弥陀さん。一つの岩に阿弥陀如来坐像(像高:60cm)と、面を変えて地蔵菩薩立像(像高:85cm)が彫られています。阿弥陀仏の横の線彫り灯篭は火袋を彫り込み、そこへ燈明が供えられます。
唐臼の壺
建物の礎石みたいな四角い石に杭でも立てるために穿ったような10センチほどの穴がある石造物です。シーソーみたいな機構の杵を足で踏んで落として脱穀に使う唐臼(からうす)というものに似ているから(穴が小さいようだけど)、そう呼ばれているんだそうです。
わらい仏(岩船阿弥陀三尊磨崖仏)【永仁7(1299)】府指定有形文化財
当尾の代表的な石仏の一つです。蓮台を持つ観音菩薩と合掌する勢至菩薩を従えた阿弥陀仏です。永仁7年(1299年)の銘文があり、上部の屋根石が廂(ひさし)となっているので、風蝕の影響も少なく保存状況は良好です。特に夕陽の中にたたずむ、やさしい微笑みをたたえた姿は微笑ましいものがあります。
伊末行(作)中尊像高79cm
すぐ隣にはタケノコのように土に埋もれた「ねむり仏」もあります。
ミロクの辻(弥勒仏線彫磨崖仏)
像高:170cm【文永11(1274)】府指定有形文化財
昔から大道が交わる道の辻で、旅人が健脚を祈ったところと言われています。
山際の巨岩に仏さまが線彫りされています。これは笠置寺本尊の弥勒磨崖仏(現在は消失し光背が残るのみ)をかなり忠実に模写したもので伊末行:いぎょうまつの作です。
三体地蔵磨崖仏【鎌倉末期】
ミクロの辻から岩船寺への旧道の途中、見上げる様な所にかわいい三体のお地蔵さんが彫られています。
旧道沿いの岩肌に長方形の龕(こん、かん、がん、ずし)を彫りくぼめ、三体の地蔵菩薩が厚肉彫りされています。三体とも左手に宝珠、右手に錫杖(しゃくじょう)を持っています。過去、現在、未来をそれぞれ割り当てたもので、六地蔵信仰以前の地蔵信仰の一形態といわれています。
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