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俳優・勝地涼くんのこと。

『機動戦士ガンダム00』(1)-20(注・ネタバレしてます)

2025-04-25 21:01:46 | ガンダム00

マリナ・イスマイール

中東の産油国アザディスタンの王女で、本作のヒロイン的存在。一般家庭で庶民として育つが、王家の血を引いていたがゆえに国のシンボル、王女として祭り上げられてしまう。
彼女の親しみやすさ、偉ぶらない態度を思えば庶民育ちというのは納得がいくようでもあり、一方で表情や挙措から滲み出る気品を見ると上流社会で生まれ育ってないのが信じられないようでもある。血は争えないというべきか。

一般市民から王女に、というとシンデレラストーリーのようだが、アザディスタンのような政情不安定な国のトップに立つのは(飢えや寒さの心配はないとはいえ)ほとんど罰ゲームのようなものではないか。
しかし罰ゲームなみの困難を承知でマリナが王女=アザディスタンの指導者となることを引き受けたのは、自分個人の幸福は捨てても国のために尽くしたいという想いがあったからだろう。こうした彼女の〈大きな愛〉は劇場版でフェルトに「あの人の愛は大きすぎるから」と評された刹那に似たものがある。

そう、刹那とマリナの二人はよく似ていて、同時に対照的でもある。刹那は幼少期、洗脳によって神の名のもとに自ら両親を殺し、少年兵として戦場で多くの人の命を奪ってきた。過去への悔恨から戦争の根絶を願い、しかし〈自分は戦うことしか知らない〉からとガンダムに乗って戦うことで平和な世界を招来しようとしている。
対するマリナは平和を望む心は同じでも、そのために武力を用いることを是とする刹那と違い、武力行使を非とする。マリナは最後まで刹那や劇場版のデカルト・シャーマンのように脳量子波を使えるようにはならなかったが、他人を「わかりたい、わかりあいたい」と思う気持ちは誰よりも強かった。
劇場版の序盤でもコロニー開発公社の青年に「あなたはこのコロニーの開発現場をどう捉えていますか?」「あなたの言葉で話してもらえませんか」と語り、彼が暗殺者としての正体を現わした時も「これであなたの家族は幸せになれるのですね?」と哀しげながらも穏やかに問いかけ、相手に抵抗も非難も示さない一方で命乞いもせず、あくまでも対等な人間同士として話し合いを持とうとする。

彼女のこうした〈非暴力・不服従〉的言動は、ともすれば夢想的な理想主義との印象を与えかねない。その最たる例が、セカンドシーズンでマリナがカタロンに一時的に身を寄せていた時期、アジトが襲撃を受け、クラウスが自ら囮となってマリナ・シーリン・子供たちを逃がしたさいのエピソードだろう。
シーリンは自分だけでなくマリナにも護身用の拳銃を持たせようとするが、マリナは〈銃を持てば子供たちの目をまっすぐに見られなくなりそうだから〉とそれを拒絶する。この発言に反感を抱いた視聴者は多かったのではないか。
彼女がこれまで自ら銃を取らずとも殺されずにきたのは、代わりに銃を撃ってくれる人間がいたからだ。アロウズに囚われた時には刹那が力づくで彼女を救出してくれた。この時だってクラウスが盾になってくれたおかげでマリナたちは何とか脱出できたのだ。
そしてこの場には大人のマリナ以上に守られるべき存在である幼い子供たちがいる。ずっと人に守られてきたマリナだが、今度は子供たちを守るために泥をかぶるべき時ではないのか。マリナの返答に対するシーリンの怒りに多くの視聴者も共感したことだろう。

ただマリナの気持ちもわかるのだ。どんな理由があるにせよ、一度銃を手にしてしまったら次に銃を持つ時の心理的ハードルは確実に低くなる。
大事な人を守るためだ、仕方がないんだと自分に言い訳しながら銃を取ることへの躊躇いが次第に薄れていき、そしていつか引き鉄を引いてしまう時がくるかもしれない。マリナが恐れているのはそれだろう。
最初はあくまで自衛のために武装したはずが、いつしかエスカレートして大きな紛争へと発展する。人類の歴史の中で何度となく繰り返されてきた悲劇だ。〈今回だけ〉〈一度だけ〉を自分に許してしまえば歯止めが効かなくなる。それを防ぐために彼女は武装を徹底的に拒絶するのだ。

実際ファーストシーズンでソレスタルビーイングが〈反対勢力をより強い武力で抑圧してこそ平和が実現できる〉と示してしまったことが、その理念をさらに過激化させた〈恒久平和を実現すべく、反乱分子殲滅のためには手段を選ばない〉アロウズの台頭を招く結果となった。
ファーストシーズンの中でさえ、ソレスタルビーイング―プトレマイオスクルーのやり方を先鋭化した「トリニティ」が現れ、そのやり口の容赦なさには、それまでの武力介入には好意的だった人たちや身内と言ってよいプトレマイオスクルーたちさえ強く反発している。
しかしもともとソレスタルビーイングに好意的でない、危険思想のテロ集団と見なしていた人たちから見れば、プトレマイオスクルーもトリニティもやってることは五十歩百歩である(そもそも別個の集団という認識さえない)。
どこまでが〈良い〉武力介入でどこからが〈悪い〉武力介入なのか。その線引きは人それぞれであり、自分たちの武力介入は正しくトリニティの武力介入は正しくない、というのはプトレマイオスクルーの恣意的判断と言われても仕方ないだろう。
ソレスタルビーイングに続けてトリニティが現れ、アロウズが台頭した。〈紛争根絶のため〉〈恒久平和実現のため〉武力を行使したはずが、反対勢力の殲滅、徹底した情報統制による人類のコントロール、コントロールから漏れた一般人は反対勢力もろとも口封じ、とエスカレートの一途を辿ってしまった。
武装を是としつつエスカレートを防ぐためには、いざという時には引き鉄を引ける覚悟と、いざという時以外は決して引き鉄を引かない覚悟の双方が必要となる。特に後者は、敵か味方かもわからない相手が近づいてきた時に、武器を持っていても相手が敵だと確定するまで疑心暗鬼にかられず恐怖に打ち勝って引き鉄を引かずにいられるかが問われることになる。
それができなかったゆえに起きてしまったのが、ソレスタルビーイングの指揮官であるスメラギ=リーサ・クジョウがかつてAEUの戦術予報士だった時に畏友カティ・マネキンが率いる友軍と同士撃ちのあげく恋人をはじめとする多くの死傷者を出した事件である。
誤った情報がそもそもの原因だったとはいえ、前線の兵士たちが相手の装備や服装が友軍の物だと気づける冷静さを保てていたなら、もっと早く戦闘を中止できていたのではないか。
武力を持ちながらそれを適切に運用することは、武力を一切持たないことよりも一層難しいのだ。

一方で武力を否定することの困難さもしっかり描かれる。先に挙げたマリナたちがコロニー公社の手先の青年に銃殺されかける場面だが、上手いなと思うのは青年が引き鉄を引くか否か迷っているうちにロックオンが彼を狙撃する展開にしていることだ。
もしロックオンが現れなかったなら、彼はマリナを撃っていたのか。殺されかけているのに怯えるでも罵るでもなく「これであなたの家族は幸せになれるのですね?」と語りかける、彼の家族の幸せのために大人しく殺されてくれるかにも見えるマリナを前に「この人を殺すなんてできない」と自分から銃を下ろすことを選んだか、それとも家族のため心を鬼にして引き鉄を引いたか。
そこをあえてはっきりさせないことで、マリナの〈非暴力・不服従〉に相手を改心させるほどの力があるのかどうかを不明にしているのだ。

TVシリーズでも、マリナの理想主義は見事なほどに報われない。貧困にあえぐアザディスタンを救おうと、太陽光発電システムを建設するための援助を求めてマリナは外遊を重ねるが、援助に手を挙げてくれる国はついぞ見つからない。
ようやく国連大使アレハンドロ・コーナーが積極的に話に乗ってくれたと思ったら、それは紛争をさらに拡大させるためのアレハンドロの計画の一環であり、保守派の要人マスード・ラフマディーの誘拐なども起こりアザディスタンの状況はさらに悪化した(ラフマディーを取り戻し、マリナとラフマディーの話し合いによる一応の解決をもたらしたのは、ソレスタルビーイングの「武力介入」だった)。
さらにセカンドシーズンでは早々にマリナはアロウズに拉致監禁され、緊急避難とはいえ反政府ゲリラ(カタロン)に身を寄せることとなり、あれほど守りたかった祖国は廃墟と化してアザディスタンという国自体が一時は消滅してしまった。
マリナの度重なる挫折を通して、過酷な現実を前に理想主義がいかに無力で実現困難かが繰り返し強調されているのである。

しかし(エンターテインメント作品の作劇ルール的に)当然のことながら、理想が現実に敗れてそれで終わり、などとはならない。
セカンドシーズンの後半、マリナがカタロンに保護された戦争孤児たちとともに作った平和への祈りを込めた歌が、草の根的に世界中に広がっていく。アロウズの徹底的な情報統制下にあって、アロウズが行う軍事作戦は全て地球市民の平和な生活を守るための正義の戦いと信じているはずの人々が、心の奥底ではどんな理由があろうと争いを嫌悪し、誰も傷つかない社会を求める気持ちがあることを示しているかのようだ。
そして最終回ではアロウズの敗北・解体を受けて、アザディスタン王国は新体制で再出発した連邦の支援により再建を実現する。
そこにはマリナの身の危険を顧みない働きぶりと真っ正直な言動が大きく寄与したことが小説版で説明されている。世界規模で多くの人々がマリナを支持した背景には、彼女があの〈平和の歌〉の作者&歌い手であることも当然影響しただろう。
アロウズによる非人道的戦闘行為が明るみに出てショックを受けた人々の“戦争アレルギー”とも言うべき状態が、武力に拠らない根気強い話し合い、相互理解による平和実現を旨とするマリナをアロウズのアンチテーゼ、平和の象徴たらしめたのだ。

ただ劇場版の序盤での沙慈のモノローグにあるように、この時点での平和は、ソレスタルビーイングの武力介入によるパワーバランスの崩壊~アロウズ覇権時代の反動としての「忘れられない恐怖によるかりそめの平和」に過ぎない。マリナの理想主義が真に勝利する姿が描かれるのは劇場版のクライマックスを待つことになる。


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『機動戦士ガンダム00』(1)ー19(注・ネタバレしてます)

2025-04-16 12:34:40 | ガンダム00

グラハム・エーカー

ユニオンのエースパイロット。初登場時は中尉。ユニオン直属米軍第一航空戦術飛行隊(MSWAD)所属→オーバーフラッグス隊隊長を経て、セカンドシーズンではアロウズに参加、ワンマンアーミーのミスター・ブシドーとして単独行動を専らとするが、再編後の地球連邦軍ではソル・ブレイブス隊隊長として再び精鋭を率いて戦う立場となっている。

外見的には金髪碧眼の典型的な西洋風美男子。しかし癖のない容貌に反して言動は癖がありまくり(笑)。名(迷)言に事欠かないというより口を開けば全てが名(迷)言になる勢いで、登場のたびに視聴者を笑わせてくれつつ、戦闘シーンは抜群に格好良い。
刹那に「貴様は歪んでいる!」「貴様は自分のエゴを押し通しているだけだ!」と批判された通り、人間の耐久力を超えた性能のカスタム機を血へどを吐きながら嬉々として操る彼はまさしく戦闘狂なのだが、サーシェスのような残忍さ・粗暴さは感じさせず、むしろ明朗快活でさわやかですらある。個人的には『00』で一番好きなキャラクターが彼です。

グラハムと言えばまず挙げられるのがガンダムへの熱烈な〈愛〉。ソレスタルビーイングが初めて世間に姿を現したAEUイナクトのお披露目式でガンダムエクシアのとんでもない機体性能を目の当たりにし、それから間もなくセイロン島でエクシアと交戦、アザディスタンの太陽光受信アンテナ建設現場近くで現地の少年を装った刹那と遭遇――ともっぱら刹那との縁が深い印象だが、グラハムの台詞の中でも最も有名と言っていい「抱きしめたいな、ガンダム!」という愛の告白(?)を受けたのは刹那ではなくロックオンのデュメナスである(しかし「抱きしめたいな、ガンダム!」と言いながら変型して膝蹴り、そのまま押し倒して顔を掴み上げて「まさに眠り姫だ」って・・・ドSですか)。
最初にアザディスタンでロックオンと戦った時にも「身持ちが固いな、ガンダム!」なる名台詞を残していて、この頃はそれほど刹那一途というわけではなかった。
グラハムがエクシアのパイロットを終生のライバル、愛を超えた憎しみの対象と位置づけたのはファーストシーズンの最終決戦時、エクシアと交戦し彼がかつてアザディスタンで出会った少年だと気づいてからだ。
激闘の果てに相討ちとなり状況的に(主人公補正のある刹那は助かる可能性が残されていたが)死んだかと思われたグラハムは、重傷を負ったらしいものの生き延び、以降はもっぱら刹那の乗る機体―エクシアの後継機である00ガンダムとの戦いをひたすらに求めることとなる。

セカンドシーズンのグラハムは、親友ビリー・カタギリの叔父であるホーマー・カタギリの影響なのか日本趣味を通り越して武士道に目覚めてしまい、もともと癖のある言動がさらに癖が強くなった・・・というか完全に迷走しているような(苦笑)。
顔を仮面で隠しているのは顔に大きな傷を負ったせいとしても、あの陣羽織は一体・・・。ただグラハムは美形ではあるけれど特に容姿を自慢するような様子がなかったので(むしろMSとそのパイロットとしての自身の技量以外の事には興味がなさそう)、本当に傷を気にして顔を隠しているものかどうか。
むしろ再生医療の進んだあの時代にあれだけはっきりと傷が残っているので、ガンダムを倒しきれなかった(なぜ倒しきれなかったと判断したかについては後述)自身への戒めとしてあえて傷を残した、という方がグラハムらしい気もする。
(まあセルゲイ・スミルノフ大佐も太陽光発電紛争で負った傷が顔にありありと残っているので、ルイスのように細胞障害さえ負わなければどんな傷でも治る――というものでもないのだろうが)
ただ進んで傷を残したか否かは置いても、セカンドシーズンのグラハムはかつてはなかった陰を帯びている。象徴的なのが「ミスター・ブシドー」という呼び名。
彼が自らそう名乗ったわけではなく、この名前をあまり気に入ってはいないそうだが、そう呼ばれることを拒否もしない。それに普通なら上官からの指令においてまであだ名で呼ばれることはないだろう。
そしてファーストシーズンでは何かにつけ「この私、グラハム・エーカーであると!」など敵に対し名乗りをあげていた(通信回線が開かれてるわけではないので実質独り言)グラハムが、全く名前を名乗ることをしなくなった。
彼はアロウズに参加するにあたってグラハム・エーカーという名を捨てたのだ。となればあの仮面も素性を隠すためという意味合いがあるのではないか(バレバレだったとは思うが)。

彼が名前も顔も捨てた理由はおそらく、刹那との戦いでグラハム・エーカーとしての自分は死んだものと思っていたからだろう。
刹那との勝負はお互い相手の機体を貫いての相討ちであったが、大きな爆発が起きたにもかかわらず、その後機体に穴は開き怪我はしているものの四肢欠損など障害が残るような傷は負っていない刹那の姿が出てくるので、爆発したのはグラハムのカスタムフラッグの方だったことがわかる。
実際4年後のセカンドシーズンを見てもグラハムは顔のみならず腕にも消えない傷跡が残っている(カタギリ司令に対面してアロウズ入りを乞う回想シーンで半袖シャツから覗く腕にいくつも傷跡がある)のに対して、刹那の方は目立つ傷跡は一切ない。両者戦闘不能という意味では確かに相討ちだったが、機体とパイロットのダメージの度合いからすれば刹那の勝ちと言っていいだろう。
そして戦闘の当事者であり歴戦の勇士であるグラハムは、相手に止めをさせなかった、実質自分が敗れたことを感じとったのだと思う。グラハムは4年ぶりに戦場で刹那と相まみえた時「生き恥をさらした甲斐があったというもの!」と嬉々として叫んでいるが、彼にとって敗れたあげくに生き残ったことは「恥」だったのだ。
セカンドシーズンで再度刹那に敗れた時の行動からも、彼が敗北者は潔く死ぬべきだと考えているのがわかる。にもかかわらず彼が生きて軍人を続けアロウズに志願すらしたのは、刹那はきっと生きていて再び彼と戦う機会があると信じていたからではないか。
先に書いたカタギリ司令との対面シーンでカタギリ司令は「ソレスタルビーイングが再び・・・」と言い、それを受けてグラハムは「その折にはぜひとも私に戦う機会を与えて頂きたい」と頼んでいる。これは小説版によるとまだアロウズが正式に活動を開始する前、セカンドシーズンの時間軸から3年前のことだという。
ソレスタルビーイングは「フォーリンエンジェルス」作戦で壊滅的な打撃を受け、以降公に活動していなかった時期だが、グラハムはソレスタルビーイングは解体していない、いずれ再び表舞台に現れる、その時そこにはあの少年もいるはずだ、との確信を持っていたのではないか。再び刹那と本気で戦う時が一度死んだグラハム・エーカーが蘇る時、そう思っていたのではないだろうか。

とはいえ、アロウズでは時にイノベイターの傀儡として動かなければならないこともあった。カタロンの基地を殲滅させた時のようなどうにも意に染まぬ作戦は「興が乗らん!」と参加を拒絶したりしているが、基本的にはイノベイターというかリボンズの思惑であちこち移動させられている。
カタロン基地の殲滅作戦に反感を示したグラハムの感性は、同じくこの作戦に強い嫌悪感を見せたマネキンやソーマ・ピーリスに近しいものであり、彼にとってアロウズとその背後にいるイノベイターのやり方は気に入らぬことだらけだったと思われる。
それでもアロウズに籍を置き続けたのは、上で書いたようにいつか再び刹那と戦えると思っていたからだろう。本人が言う通り、刹那と、ガンダムと再戦するという目的のためには手段を選ばない彼は確かに「修羅」になったのだ。

そしてラグランジュ5で刹那に正面から果たしあいを申し込むにあたって、MSを降り姿をさらした上で「この私、グラハム・エーカーは、君との果たしあいを所望する!」と久しぶりにはっきり名乗りを挙げる。
ミスター・ブシドーとしてこれまでも2回刹那とは刀を交えているが、名乗りを挙げたのは今回が初。この戦いにかけるグラハムの意気込みが伝わってくるようだ。
しかし腹をくくって勝負を受けた刹那との戦いの結果はグラハムの敗北に終わる。それも前回のような引き分けに近い形ではなく、機体(スサノオ)が完全に機能停止に追い込まれたうえダブルオーライザーにビームサーベルの切っ先を突きつけられるという完全敗北。
戦闘途中に謎の白い空間に引き込まれ刹那が「変革」(グラハム流に言えば「極み」)を遂げつつある姿を見せつけられ、必殺の一撃を「真剣白刃取り」という剣術の技で防がれたことも武士道を掲げるグラハムには精神的ダメージだったろう。
そして勝者である刹那による止め―尊敬できる好敵手の手による堂々たる死を与えられず、「生きて明日を掴む それが俺の戦いだ」「生きるために戦え」と〈生きる〉ことを促された・・・。
小説版によればグラハムは孤児だったという。明朗快活で自信溢れる言動から典型的なエリートコースを歩んできた人間だろうと思っていただけに意外だったが、頼もしい後ろ盾も経済的な基盤もないままにパイロットとしての腕一本で這い上がってきたということなのだろう。グラハムが戦うことに全てを賭けているのにはそうした背景があったわけだ。
そしてやはり孤児であり子供時代から戦いばかりの人生だった刹那に(彼のそうした過去を知らないなりに)自分と同じ匂いを出会った当初から感じていたのではないか。
だから同じように戦うことしかできないはずの〈同類〉である刹那がいつしか戦いの先にあるものを見出していた、自分の先を行っていたことにグラハムは衝撃を受けた。
戦闘だけでなく人間としても上を行かれたことに前回以上の敗北感を覚えながらも、一度は自害も考えたもののグラハムは刹那の言葉通り「生きる」ことを選んだ。
それは安易に死を選ぶよりも、敗北感に塗れながらも生き続ける中で刹那が到達した極みに自分も到達したいとの思いがあったからではないか。死んでしまえば二度と刹那に追いつくことはできないのだから。
彼が劇場版でフェルトに「私が超えなければいけないのはこの少年だ」と語ったのはそういう意味だったのだと思う。

劇場版で、再編された地球連邦軍のパイロットにしてソル・ブレイヴス隊隊長として登場するグラハムは傷こそあれ以前のように顔をさらしていて、ファーストシーズンの頃に立ち返ったようにも見える。少なくとも泥に塗れても生きて戦う決断をしたグラハムは、もはや〈生き恥をさらしている〉などとは感じていないだろう。
そしてELSとの最終決戦にあたって自分が盾となって刹那を超巨大ELSのもとへと向かわせた際に、グラハムは「生きて未来を切り開け!」とかつて自分が言われた言葉を手向ける。さらに刹那に先行して超巨大ELSの〈傷口〉に突入し自爆によって侵入路を確保した―「生きて(人類の)未来を切り開」いた時、彼はイノベイターではなくとも、刹那に〈追いついた〉のではないか。「未来への水先案内人は、このグラハム・エーカーが引き受けた!」と例によって朗らかに名乗りをあげながら。
セカンドシーズンの最終回ではカタギリに会いに来た=死は思い留まったことしかわからなかった(すでに劇場版の制作が決まってたからこそキャラクターその後については最低限しか描かなかったのかもだが)グラハムが、生き生きと躍動している姿は何とも嬉しかったものだった。


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『機動戦士ガンダム00』(1)ー18(注・ネタバレしてます)

2025-04-07 20:49:19 | ガンダム00

パトリック・コーラサワー

AEUのエースパイロット。地球連邦軍発足後はそのまま連邦軍に移り、マネキン大佐を追いかけてアロウズに志願する。
ファーストシーズン第一話で、AEUの新型機イナクトのお披露目式でパイロットを努め、結果初めて人前に姿を現したガンダム(刹那のガンダムエクシア)に瞬殺されるという見事なかませ犬の役割を果たして以降、すっかり失敗ばかりの三枚目的なイメージがついてしまった。
それは自ら「模擬戦でも負け知らずのスペシャル様なんだよ!」と豪語する自信家ぶり、しかも語彙がなんか間抜けなところにも表れている。ましてエクシアに倒されるシーンで「オレは!2000回で!模擬戦なんだよお!」と語彙が崩壊するに至っては(笑)。模擬戦で負け知らずというのも実戦ではダメなのか?という印象を与えてしまうし。
ちなみに「2000回」というのは小説版によれば「二千回以上のスクランブルをこなし」たことを指すそうだが、緊急出動した数=勝ち戦の数ではないし、出動はしたものの戦闘には至らなかったケースもそれなりにあるだろう。自身の能力を誇る台詞としてはいま一つ説得力に欠ける。
まあ具体的な経緯はともかく2000回の出動のたび生きて帰ってきたのだけは確かなので、後の異名(あてこすり)「不死身のコーラサワー」の片鱗がすでに見えるとはいえるかも。

ともあれ、この鮮やかなキャラの立ちっぷり、「パトリック・コーラサワー」という(いささかユーモラスでもある)フルネームが明かされていることからも、コーラサワーが遠からず再登場すると踏んでいた視聴者は少なくなかったものと思う。
そして満を持しての(?)再登場シーン―美女といちゃついてたかと思えば時間だからとあっさり女を突き放して、埋め合わせの(いかにも口先だけの)約束をして別れるというプレイボーイ風の言動で格好つけたかと思えば直後に新しい上官のカティ・マネキンに張り倒されるという、情けなくも笑える姿を見せてくれる。
しかも最初は自分の非を棚に上げて反抗→もう一発殴られて「二度もぶった」とへたりこむ→「いい女じゃないか」といきなり一目惚れして従順に、というスピーディーな態度の変化っぷりでさらに笑わせつつ、初登場のマネキンのキャラクターを鮮やかに印象づけるこれまた一種のかませ犬的役割をしっかりと果たして、さすがはコーラサワーと期待に違わぬ活躍を見せてくれた。
そして最初はその自信たっぷりの傲岸不遜な態度からもっと鼻もちならないキャラクターになってもおかしくなかったコーラサワーが、ここでマネキンの忠犬(というか一途に懐いているワンコ)としてのキャラを確立したことで、ちょっと間抜けだけど憎めない、何気にパイロットとしては優秀な(だからこそ敗北によって相手を引き立てる役割が務まる)人物として視聴者から愛されるようになっていったのではないだろうか。

そんなコーラサワーの魅力が特に表れているのがマネキンを夕食に誘った時のエピソード。正装して大きな薔薇の花束を抱えたコーラサワーの姿に「今世界は大きな変革期を迎えようとしている。そのことについて考えるようなことはないのか」と呆れたようにマネキンは尋ねるのだが、それに対しコーラサワーは「はい、ないです」とさらっと即答するのだ。
普通上官に、しかも惚れた女に「考えるようなことはないのか」と問われたら、何も考えてなくても見栄を張って考えているかのように自分を飾ろうとしてしまうものだ。
しかしコーラサワーは無駄に自分を大きく見せようなどとはしない。専門分野であるMSの操縦に関しては大いにプライドを持っていると思うが、それ以外のことは知らないことは知らない、できないことはできないと至って正直だ。
個人的にはこのシーンですっかりコーラサワーが大好きになった。「まったく、放っておけん男だ」と苦笑しながら食事の誘いを了承したマネキンも、コーラサワーが変に賢いふりなどしていたら相手にしなかったのではないか。
マネキンほど賢い女性には賢さを装ってもかえって底の浅さを見抜かれて軽蔑されてしまいそうだ。実際これまでマネキンに近づこうとした男の中には、彼女に侮られたくなくて背伸びしたあげく空回りして玉砕した例が多々あったのではなかろうか。
彼女のような女性には、己の知性に自信があって彼女と並び立とうと、もしくは自分が上に立とうとする男ではなく、知性で張り合おうとは全くしないコーラサワーのような〈素直な〉人間がベストパートナーなのかも知れない。

コーラサワーは機体が破壊されても、自力で帰投できない状況になっても、どうにかこうにか生き延び続ける。「不死身のコーラサワー」の異名の通りである。
そのコーラサワーにして、ソレスタルビーイングによるヴェーダ奪還作戦(実質アロウズ対ソレスタルビーイング+カタロン+クーデタ―派の戦い)」の中でいよいよ死を覚悟する事態になったさいに、彼はマネキンに「大好きです。カティ」という言葉を残す。
死地にある男の最期の(と思われた)言葉、初めてのファーストネームでの呼びかけ&告白にさすがにマネキンも感じるところがあったのではないか(「愛してます」でなく「大好きです」という言い回しもちょっと子供っぽくて、かえって素の心情という感じがする)。ここに至るまでも何だかんだ言ってマネキンはコーラサワーに関しては私情が入るところはあったのだ。結局この時も奇跡的に生還したコーラサワーとセカンドシーズン最終回ラストでめでたく結婚式を挙げることとなる。

(この最終回だが、どうやってコーラサワーが助かったのかわからないどころか、結婚式の場面まで彼が生きていたことすら明かされてなかったため、二人が無事結ばれたことに感動するより「え?生きてたの!?」とあっけに取られてしまった。他にもいろいろ説明不足な箇所があって、連続ドラマの最終回によくあるみたいに15分延長とかできたらな~なんて思ったりします。
とはいえ式直前まで控室で、難民の世話に当たっているアンドレイ・スミルノフ中尉に電話を通して指示を出してるあたりは実にマネキンらしくて、時間的制約の中で各キャラクターらしい顛末を描き出したのはさすが)

私見になるが、コーラサワーがマネキンに惹かれた一番の要因は初対面で殴られ叱責されたこと―思い通りにならない女だった事が第一のように思える。
直前に女とデートしていた時の様子からしても女好きのプレイボーイ、それもそれなりに整った容姿とAEUのエースパイロットであることから女の方から近寄ってくるのだろうと想像されるコーラサワーが、毛色の違う手ごわそうな相手を戦士の性として〈落としてみせる〉と無意識に闘争心を掻き立てられたのではないかと。
だから結婚というハッピーエンドにたどり着いたら、〈釣った獲物に餌はやらない〉ではないがこれまでのような情熱は薄れてしまうのではないか?という不安がないではなかった。
マネキンに殴られた時の最初の反応(「何だ女、よくも男の顔を」)からすれば、本来男尊女卑的な傾向もあるようではあるし(それにしても相手が上官なのはわかってたろうに、とっさの事とはいえよく上意下達の軍隊でこんな台詞が吐けたものだ。だからこそ第一話の時点で〈エースパイロットだが性格に難がある〉とか言われてたのだろうが)。

しかし劇場版を見ると、こんな心配は全くの杞憂だった。結婚しても二人の関係は驚くほどに独身時代と変わらなかった。
完全なプライベートシーンが出てこないので断言はできないが(部屋着でくつろいでる場面はあるが、あれはソレスタルビーイング号内なので半分仕事中みたいなものである)、告白の時にはマネキンを「カティ」と呼んだコーラサワーは奥方を相変わらず「大佐」と階級で呼び、会話の内容・話し方とも上司と部下そのままである。
特徴的なのはすでに准将に昇進しているマネキンをたびたび注意されながら(そのやりとりを二人とも楽しんでる感があるが)大佐と呼び続けていることである。
初めて彼女に出会って恋に落ちた時から告白に至るまでの時間、コーラサワーはずっと「大佐ぁ」と彼女を追いかけ続けてきた。「大佐」という呼びかけの中に彼女への思いと大事な時間の全てが詰まっている。だからコーラサワーはこの呼び方を変えたくないのではないか。彼女をいつまでも恋に落ちた時のままの新鮮な気持ちで愛し続けていたいから。
同じく聡明なマネキンの方もコーラサワーとは上司と部下の関係でいる方が円満な夫婦関係を保てると(逆説的なようだが)察して、あえて上司然と接し続けているのではないか。その甲斐あって?劇場版でも相変わらずコーラサワーはマネキンに頭が上がらず、相変わらず二人はラブラブだった。もしいずれ子供が生まれたとしてもこの二人はずっとこのままでいそうだし、またそうあってほしいなと切に願ってしまうのである。

 


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『機動戦士ガンダム00』(1)-17(注・ネタバレしてます)

2025-03-31 21:06:44 | ガンダム00

カティ・マネキン

AEUの戦術予報士にしてMS部隊の戦術指揮官。階級は大佐。その後地球連邦軍発足にともない連邦軍に移り、アロウズから招聘を受けて(いやいやながら)アロウズに移る。
ブレイクピラー事件を機に完全にアロウズに愛想を尽かし、行方をくらました後ひそかにカタロンと協力、ヴェーダ奪還をかけてのアロウズ対ソレスタルビーイングの最終決戦時にソレスタルビーイングに加勢、彼らの勝利とアロウズ解体に大きく貢献する。その後新生地球連邦軍に所属、准将に昇進する。

“女傑”とか“鉄の女”とかいったフレーズがぴったりくるような、知的でクールな美貌と男性的というかいかにも軍人的な、高圧的ともいえる話し方が印象的。それは初登場シーン、遅刻してきたコーラサワーをいきなり張り倒す場面で鮮やかに示される。
不意を打たれたとはいえ大の男、それもエースパイロットなのだから運動神経は人一倍優れているはずのコーラサワーを一発で吹っ飛ばすあたりに、彼女の鍛え方がわかるというものだ。
下の者を甘やかさず上の者にへつらわず堂々と正論を述べる彼女を煙たく思う人間は多いだろうが(アロウズの上級士官、グッドマン准将やリント少佐などが好例)、部下からはその公正さ、媚びない態度で案外慕われてるのではないか。
美女なのに色っぽくない(というより意識的に色気を振りまかないようにしていることで、その毅然たる態度がかえって凛とした色香を醸し出しているようでもある。コーラサワーがマネキンに一目惚れしたのは、彼女の顔の造作だけでなくその〈色っぽくない色香〉に捕まってしまったのでは?と思っている)のも男女問わず周囲に好印象を与えていることだろう。

しかし回想シーンの大学時代など見ると、髪を下ろし薄い水色のワンピースを着ているのもあって、雰囲気がずっと柔らかい。
まだ軍隊入隊前で、ビリーの台詞からするにすでに彼女が発表した戦術が実戦で利用され戦果を挙げているそうだが、本人が直接に作戦指揮を取って命のやりとりに関わってはいないのだろうから柔らかくて当然ではあるのだが、マネキンを作中のような“鉄の女”たらしめたのは、やはり例の同士撃ちの件が大きいのではないか。

マネキンは初登場の時点ですでに若くして(30前後くらい?)大佐の地位にある。ビリーの情報が正しければ大学時代に佐官待遇でスカウトを受けていたというから、入隊時から少佐とかだったのかもしれないが、きわめて順調に出世を重ねているように思える。
この件で降格処分を受けていればこうはならないだろう。つまり友軍同士の同士撃ちという事態を招いたのは誤情報が原因で、その情報に基づいて戦術を立てたマネキンやリーサ・クジョウ(スメラギ)に直接の非はないと見なされたのではないか。
スメラギの回想で事件後上官から「優秀すぎたんだよ、君たちは」と言われる場面があるが、これも叱責という口調ではなく嘆き節という感じだった。スメラギたちの優秀さが結果的に被害を拡大させたのは事実だが、彼女たちを責めるのは酷だというのが上層部の共通認識だったものと思われる。
とはいえ実際に作戦立案をした立場としては、責任を問われずとも良心の痛みを感じずにはいられなかっただろう。リント少佐にこの件について当てこすられた時にリントの胸倉を掴むほど激高していたことからしても、マネキンがこの件で受けた衝撃が相当大きかったのがわかる。
しかし一方の当事者であるスメラギは軍を退役したのに対し、マネキンは軍に残ることを選んだ。そしてその時点で彼女はある覚悟を固めたのではないか。

想像だが、戦術予報士とは語感から連想される気象予報士同様、過去に使用された古今東西の戦術を分析し目下のミッションに最適な戦術を割り出す、それも考えうるあらゆる状況の変化に対し、その時々で打つべき手も前もって考案し、“プランBからプランCに移行”のように細かく戦術を切り替えてゆく仕事なのだろうと思う。
状況の変化にリアルタイムで対応する必要はあるが戦術予報士自らが武器をとって戦うわけではないので、戦況を把握できる環境さえ確保されていれば本人が前線にいる必要はないのだろう。
ファーストシーズン前半のスメラギも、ガンダムマイスターたちが戦っている間戦況に応じて指示は出しても彼女が乗るプトレマイオスは後方の安全地帯にいた(だからこそ初めてプトレマイオスが直接攻撃にさらされた時クリスが怯えるあまりパニックに陥った)。甚だしきは三国家群による合同軍事演習(という名のガンダム鹵獲作戦)の時、マイスターたちが十数時間も敵の大物量攻撃にただただ耐え続けていたとき、スメラギはじめマイスター以外のクルーは王留美の別荘に滞在していた(もちろん前線の仲間の無事を案じながらだが)。
しかしマネキンは彼女が関わっているほとんどの作戦において最前線とはいかずとも戦場に身を置いている。セカンドシーズンの初期、リント少佐立案による海中のプトレマイオス2を襲撃する作戦の際など、ソレスタルビーイングの反撃に遭い、ミスター・ブシドーが現れるのがもう少し遅ければ彼女やリントの乗る空母はダブルオーガンダムの攻撃で撃沈されていたはずだ。
現役軍人、それもMS部隊の戦術指揮官であるマネキンと民間組織に所属するスメラギでは立場が違うのは確かだが、彼女は望んで積極的に現場に出ているのではないか。そのために戦術予報士というだけでなく、MS部隊指揮官をも引き受けて危険を承知で戦場に立っているのではないか。
同士撃ち事件の時に自分が現場にいたなら相手が友軍だともっと早く気づけた、あれほどの惨事に至ることはなかったとの思いがあって(現場にいなかったというはっきりした描写はないが、いたならああはならなかったろう)、直接前線の空気を肌で感じることを自身に課すようになったのではないだろうか?
スメラギが「二度と間違えない」と決めてソレスタルビーイングに参加したように、マネキンも「二度と間違えない」覚悟で戦場に出ているのではないか、そんな気がするのである。


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『機動戦士ガンダム00』(1)ー16(注・ネタバレしてます)

2025-03-25 00:36:50 | ガンダム00

セルゲイ・スミルノフ

「ロシアの荒熊」の異名を持つ人革連のMS部隊「頂武」の指揮官。ファーストシーズン時は中佐。
セカンドシーズンでは新たに発足した地球連邦軍の大佐だが、政府直属の独立治安維持部隊アロウズが力を伸ばして行く中でアロウズから引き抜きの声がかかる事もなく実質閑職に追いやられていた。<br>
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能力といい人格といい、まさに軍人の鑑のような人物。指揮官としての能力においては、まずガンダム捕獲作戦が挙げられる。
当時はまだGNドライブ搭載のMSに切り替わる前で、少し後の三国家群の合同軍事演習(という名のガンダムを誘き出し破壊する作戦)や「フォーリンエンジェルス」と違い人革連のみでの作戦だったにもかかわらず、戦術においてスメラギの裏をかき、アレルヤのキュリオスを一度は鹵獲、ティエリアのヴァーチェもあと一歩で鹵獲できるというところまで追い詰めた。“天才”のスメラギを“老巧”のスミルノフが上回った形である。
(ただ途中からの経過はいささかまずかったが。ヴァーチェからナドレに変わることで窮地を脱したティエリアの場合はさすがに想定外だろうからやむをえないとして、アレルヤに逃げられたのはその際の味方の被害を考えても迂闊だったといえる。
別人格のハレルヤが目覚めたこと自体は想定外でも、アレルヤが意識を取り戻して暴れる可能性を考慮してガスなり電気ショックなり意識を奪い続けるか身体を動かせなくする対処をしてから近づかせるべきだったろう)

MSのパイロットとしてもGNドライブ搭載型のジンクスに乗り換えて早々にガンダムスローネ(直接にはネーナのスローネドライ)を圧倒し、ファーストシーズンでは人間離れした反射能力を持つ超兵であるピーリスと常に共に行動している。彼女の動きが見えているし追えているのだ。
戦闘スタイルは最初にセイロン島で刹那と戦った時など見るに、「肉ならくれてやる!」の言葉通りの“肉を斬らせて骨を断つ”式の、何かを犠牲にしてもより大きな戦果を得る、より大切な物を守るという姿勢のようだ。
ファーストシーズンの最終決戦でハレルヤに追い詰められたピーリスをかばって止めの一撃を受けたのも、ピーリスへの個人的情というより自分が犠牲になることでハレルヤの意表をつきピーリスにハレルヤを倒させることができる(その方がピーリス戦に専念してるハレルヤに直接自分が攻撃するよりも勝率が高い)と判断したからだろう。
そう、この人の偉いところはより大切な物を守るために犠牲にするのが自分や自分の乗っている機体で、他人を捨て石にしないところだ。
部下に対しても甘い顔はしないが、ピーリスへの対応を見ても面倒見はよく、厳格ながら情があり、時には規律を曲げても部下や他人を守る〈話のわかる〉人物である。
そうでなければアレルヤとピーリスの仲を(二人、とくにアレルヤの覚悟を見たうえで)認め表向きはピーリスは死んだものとしたり、カタロンの基地から脱走した沙慈を捕獲(保護)したさいに(彼は巻き込まれただけの一般人だと確信したうえで)アロウズに睨まれるリスクを負っても彼を逃がしたりはしない。こう書いてみるとつくづくと理想的な軍人であり人格者だと思う。

その一方で、私人としてはうってかわってダメダメである。別に酒癖が悪かったり女癖が悪かったりするわけではない、セカンドシーズンの初めでピーリスとお茶を飲んでいたシーンを見るかぎり平時も穏やかでごく常識的な人物ではある。
ただ妻亡き後、実の息子であるアンドレイにきちんと向き合うことをせず、結局彼との関係を致命的なまでにこじらせてしまった。
さらに彼はピーリスに自分の養女になる話を打診していたが、アンドレイがピーリスにアロウズからの招集命令を伝えに現れたとき(ピーリスに用があるのにスミルノフの家を訪ねてくるということは、単に同じ士官用宿舎に入居してるお隣さんではなく養子縁組しないうちから一緒に暮らしているのだろうか)のピーリスの様子からすれば、ピーリスはアンドレイを知らなかった。下手すれば息子がいること自体知らなかったかもしれない。息子の存在を知っていれば、顔は知らずとも両者のやりとりから“ああ、この人が息子さんなのね”的な反応になっただろう。
そしてアロウズでのアンドレイのピーリスへの態度はあくまでも上官に対するもので、ピーリスがスミルノフの部下で個人的にも親しくしてるのは知っていても養女になる話がある(年齢的にピーリスの方が義理の妹となる)などとは思ってもいないのではないか。
いかに息子と疎遠になってるとはいえ、彼の知らないところで養子縁組の話を進めるのはいかがなものか。ピーリスの承諾が得られてからきちんと話すつもりだったのかもしれないが、少なくともピーリスの方には養女になる話を持ち出したさいに不仲の息子がいることは知らせておくのが誠意というものだろう。養女になる話を承知したあとで実の息子=義理の兄になる人物がいてしかも父親と不仲と知るのでは、ピーリスが気の毒ではないか。
仕事の上では有能かつ上にも下にも人望のある人物が、家庭においては無能力者ということはままあるが、スミルノフ大佐はそれを地でいっている感がある。

それはアンドレイとの確執の原因となった妻ホリーの戦死についても言える。第五次太陽光紛争時、自軍がピンチとなり作戦本部から最終防衛ラインへの後退命令が下された際に、軍事基地の指揮管制室で全体指揮を取っていたスミルノフは、ホリーが小隊長を務める第四小隊が前線に取り残されるのを承知のうえで救援部隊を送らず全軍後退の指示を出した。
最終防衛ラインを死守することが軌道エレベーターの技術者とその家族―つまりは民間人の命を守るために必要だとの使命感からの判断だったが、それは唯一戦果を挙げていたがゆえに突出していた=最も活躍していた第四小隊を見殺しにすることでもあった。結局予期された通り第四小隊は壊滅、ホリーも戦死するに至ってしまった。
民間人の生命と安全を守るのが軍人の務めというスミルノフの言い分は最もであり軍人とはかくあるべきと言いたくなるが、もし第四小隊にホリーがいなかったとしてもスミルノフは同じ判断を下しただろうか。最終防衛ラインは死守しなくてはならない、しかし友軍を見殺しにすることもできないと、どうにか第四小隊も共に後退できるような策を講じようともっと足掻いたのではないか。
なまじ身内がいたがために、家族の情に流されて民間人を危険にさらすわけにはいかないと、第四小隊もろともに切り捨てる決断をしてしまったのではないか?
上で書いたようにこの人の偉いところは目的のために犠牲にするのはあくまで自分で他人を捨て石にしないことだが、家族は自分の一部、家族のことは私事という認識があるために、いざという時に家族は犠牲にする対象になってしまうのだ(その意味では部下と家族の中間―公と私の狭間にいたピーリスが最もいいとこ取りの関係性を築けていたのかもしれない)。

ただこうした私人としての欠点も、彼が公人として立派であろうとした、事実理想的な軍人の姿を体現していたことの弊害であり、彼の真面目さ、不器用さを示していて個人的には好感が持てる。彼がアンドレイを息子として愛していたのは、自機の爆発にアンドレイを巻き込むまいとそっと突き放した最期の行動からよくわかるし。
ただその愛情をきちんとわかるように示せなかったことで息子に道を誤らせ、親殺しの大罪まで犯させてしまった。ダブルオーライザーのトランザムバーストがなかったら、アンドレイがピーリスを通じて父の愛情を知ることもないままだったはずだ。
『00』の大テーマである〈わかりあう事の大切さと難しさ〉を家族間で体現してみせたのがスミルノフ大佐だったとも言えるのではないだろうか。 <br>


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機動戦士ガンダム00(1)-15(注・ネタバレしてます)

2025-03-15 21:07:43 | ガンダム00

ソーマ・ピーリス(マリー・パーファシー)

人革連の超兵第一号の少女。人間離れした反射能力に裏打ちされた高い戦闘力を誇り、登場当初は戦闘マシンのような無機質な厳しい表情と態度が印象的だった。一方で外見的には華奢で顔立ちも幼く、14、5歳としか見えない。スミルノフ大佐が「乙女」と評するのも無理からぬところ。
14、5歳で正規に軍隊に所属できるのかという疑問は超兵だから例外と解釈するとしても、セカンドシーズンの回想シーンを見るかぎり、彼女はアレルヤと同年配に見える。アレルヤがファーストシーズン時点で19~20歳(超人機関破壊ミッションの直後に20歳を迎えた)なのは確定なので、実はピーリスもああ見えて20歳前後なのか?
彼女はアレルヤと出会った頃、脳をいじられた関係で全くの寝たきりになっていたから、その分骨格の成長が遅れたとかあるのかも。

そんな彼女も4年を経たセカンドシーズンでは大分大人っぽくなった。第一話の私服のシーンなどは雰囲気も柔らかく、マリーと差を感じないほどだ。これは4年間ガンダムが現れなかったこともあり軍人ながらも比較的平穏な時間が続いていたこと、セルゲイ・スミルノフ大佐が一緒にいたというのも大きいのだろうが。
実際マリー・パーファシーとしての記憶も失い超兵として戦うことだけが全てだったピーリスが人間らしく変わっていったのは上司として父親代わりとして親身に世話をしてくれたスミルノフ大佐(ファーストシーズンでは中佐)によるところ大である。
ピーリスは超兵である自分が人間らしい幸せを求めていいのかという葛藤を抱えつつも、大佐の養女になるという話を受けようとしていた。それだけスミルノフ大佐に対する愛着が強く、彼との関わりの中で生まれた人間らしい感情を大事にしたいという気持ちもあったのだと思う。
ピーリスはアレルヤにフルネーム(マリー・パーファシー)を呼ばれたのをきっかけにマリーとしての記憶と人格を思いだすが、それも大佐との交流を通して人間らしい情緒がピーリスの中に育っていた、本来のマリーの人格に近づきつつあったからかもしれない。

マリーはピーリスとしての記憶も愛情もそのまま継承していたし、大佐の死のショックで再びピーリスが表に出てきた時、ピーリスは(主にアレルヤに対して)厳しい態度を取りながらもプトレマイオス2から脱走しようとはせず(これは彼らと共に行動した方が大佐の仇であるアンドレイ・スミルノフ少尉と戦える確率が上がるからというのもあるだろうが)、最終的にはかつての敵だったガンダムマイスターたちと共闘することもマリーと呼ばれることも受け入れた。
マリーがピーリスの感情を共有しているように、ピーリスの側もマリーの記憶と感情を共有しているがゆえに、マリーがアレルヤに抱く愛情や他クルーへの友愛も我が事のように理解しているのだろう。人格は異なっていても体だけでなく記憶も共有する彼女たちは、アレルヤとハレルヤの関係に近いものがある。
アレルヤハレルヤのように会話したり同時に表に出たりという場面はないが、劇場版だとハルートで戦っているときの彼女の言動は、マリーのようでもピーリスのようでもある。
マリーからピーリスに人格が切り替わるシーンがないのでマリーのままなのだろうが、アレルヤも戦闘時は彼女を「ピーリス」と呼んでいたりする。超兵としての名前を呼ぶ、呼ばれることで気持ちを戦士モードに切り替えているのかと思うが、ファーストシーズン最終戦及びセカンドシーズンのヴェーダ奪還作戦からの最終決戦時のアレルヤたちのように、マリーとピーリス二つの人格が同時に表に出ているもしくは融合しているのかもしれない。
かつてハレルヤはピーリスに〈脳量子波で得た超反射能力の速度域に思考が追いついていない、反射と思考の融合こそが超兵のあるべき姿〉と言い放ったが、劇場版の彼女は「反射」のピーリスと「思考」のマリーが一体となったことで、「超兵のあるべき姿」にたどり着いたのではないか。
脳をいじくりまわされた結果もう一つの人格が期せずして生まれてしまったアレルヤと、実験のせいで切れてしまった脳と身体の連係を繋ぎ直すため別の人格を植え付けたマリー。意図的が否かの違いはあれど、反射と思考を二つの人格で分担することが超兵が真の力を発揮するためのベストな形なのかもしれない。
とはいえ何で別人格を植え付けると脳と身体の接続が復活するのかはよくわからないんだが。


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機動戦士ガンダム00(1)ー14(注・ネタバレしてます)

2025-03-09 00:55:04 | ガンダム00

フェルト・グレイス

プトレマイオスの戦況オペレーター。ファーストシーズンでは外見も立ち居振る舞いもごく幼く(片言のようなぽつぽつとした喋り方、口数の少なさ、表情の乏しさなどは幼いというより、感情の出力に難があるようにも思える)、こんな子供が秘密組織の一員(しかも後方担当ではない)なのかと驚いたものだった。
彼女自身がロックオンに〈両親は第二世代のガンダムマイスターだった〉と語るシーンでその理由がわかったが。両親ともソレスタルビーイングの人間でいわば職場結婚、ソレスタルビーイングの中で生まれたフェルトはそのまま自然に組織の一員となった、ということだろう。

ただこれってどんなものか。仮にフェルトがソレスタルビーイングに入らず一般人の少女として生きたいと願ったとしても、それを選択できる手段がほとんどない。
ソレスタルビーイングに参加した人間はその時点で社会的には死んだか行方不明かという扱いになっていると思われる。その子供が一般社会で生きようとしても戸籍(にあたるもの)がないし、戸籍がない理由を説明することもできない。
ヴェーダなら偽の身元を作ることは容易いだろうが、そもそも構成員に重い守秘義務を課すソレスタルビーイングがメンバーの一般社会復帰を認めるはずもない。
仮に両親がフェルトには普通の子供として生きてほしいと願ったとしても、物心つく前に(ソレスタルビーイングについての記憶が一切ない状態のうちに)児童保護施設の前にこっそり捨ててくるくらいしか方法はなかったろう。その場合フェルトは孤児となってしまうし、彼女の意志でソレスタルビーイングに所属するか否かを選べなかったことに違いはない。
セカンドシーズンで刹那はカタロンの基地に保護されている孤児たちを見たとき、「まさかカタロンの構成員として育てているのか?」と誤解し怒りを露わにしたが(これについてはシーリンがすぐに〈一時保護しているだけで戦闘員として教育・利用する意図はない〉と釈明している)、フェルトやミレイナの置かれた状況も似たようなものだ。
彼女たちは秘密組織に所属する両親から生まれ、善悪の区別もつかぬ年頃から秘密組織の一員としてその理念を刷り込まれ、ほぼ前線と言っていいプトレマイオスのオペレーターとしてごく若い少女のうちから命の危険もある任務についているのだから。

ただおそらくだが、こうした〈望んでソレスタルビーイングに参加したわけではない人間〉は基本的に危険の少ない後方勤務に回すようになっているのではないか。
ソレスタルビーイングの構成員は何かしらの才能をヴェーダやスカウト担当に認められて所属を決めた人間がほとんどと思われる。組織の役に立つ能力を確実に備えている彼らと違って、望んで参加したわけでない人間は何か秀でた能力を持っているとは限らない(構成員の子供の場合、その気があれば幼い頃から組織の業務に触れることで一種の英才教育効果はあるかもしれない。父を手伝う中で機体のメンテナンスも立派に行えるようになったミレイナのように)。
組織のことを知った以上一般社会に戻すわけにはいかないので、なるべく危険のない場所であたりさわりのない業務に当てるというのがありそうな話だろう。つまり前線といってもいい実働部隊の母艦に搭乗しているフェルトは、自分から志願してオペレーターの道を選んだ可能性があるということだ。
ヴェーダがハッキングされていることが判明しスメラギの指示でクリスとともにヴェーダから独立した予備システムを構築した際は、彼女たちの作業の速さがぎりぎりマイスターたちの命を救うことになったわけで、このエピソードからすればフェルトはオペレーターとして相当優秀といっていいだろう。
またガンダム鹵獲作戦の時、一時パニック状態に陥ったクリスに「生き残る!全員、生き残るの」と喝を入れた場面など見ると、度胸の座り方も大したものだ。この時も、その少し前にロックオンに「生き残れよ」と声をかけられた時も、意志の強さを感じさせる凛々しい表情を見せていて、感情が乏しい、精神的に未成熟と思えたフェルトの意外な芯の強さをうかがわせる。
同時に「生き残る!」という台詞がロックオンに言われた言葉を反復したものであることに、ロックオンの彼女に対する影響力もまた見て取れる。

フェルトがファーストシーズン中盤からセカンドシーズン中盤にかけてロックオン=ニール・ディランディに好意を抱いていたことは誰の目にも明らかだが、彼女がロックオンに惹かれたのは「生き残れよ」という台詞のちょっと前、泣いているところを見られたのを機に両親のことを打ち明け「君は強い女の子だ」と励まされたのがきっかけだと思われる。
そんなフェルトはセカンドシーズンの後半では刹那に心惹かれるようになるが、こちらのきっかけは何だったのだろう。
ロックオンに生き写しの双子の弟ライルが二代目ロックオンとして仲間に加わったとき、フェルトの目はずっと彼を追っていた。しばらく後にアレルヤがマリー(ソーマ・ピーリス)をプトレマイオス2に連れてきた時フェルトは彼女に〈仲間の仇〉として(ピーリスとマリーは別の人格とわかっていても)怒りをぶつけてしまうが、その際も失った仲間の名前の中で一番力を込めたのは「ロックオン・ストラトス」だった。
この頃までは亡くなって4年を経てなおフェルトの〈一番〉はロックオンだったのだ。それがいつから刹那に恋愛感情を抱くようになったのか。
セカンドシーズンのわりと早い時期に、捕虜になっていたアレルヤともども救出したマリナがしばらくプトレマイオス2に身を寄せていた時も、特にマリナに嫉妬している風はなかった。
一方でロックオン=ライル・ディランディがヴェーダ奪還のためのイノベイター(イノベイド)捕獲作戦のため出撃する際に、通信で堂々と操舵士のアニュー・リターナーに「愛してるよ」と発言し二人が恋仲とは知らなかったブリッジの面々をざわつかせた時には、「おめでとうございます」とアニューに対し何のこだわりもない笑顔を向けている。
ニールではないとわかっていてもライルを目で追ってしまっていた彼女が、ライルの〈荒療治〉が効いたのか、この時点では完全に彼への想いをふっきっているように見える。ただそれはニールへの想いを過去のものにできたのか単にニールとライルを切り離して見られるようになった結果なのかは判然としないのだが。

フェルトの刹那に対する想いが初めてはっきりと描かれるのはリンダから白い花をもらい、それが中東で咲く花と聞いて中東出身の刹那をふと思い浮かべる場面だ。中東の花から中東出身の仲間を連想すること自体は全く自然なことだが、刹那を連想した事実になぜかフェルトは動揺してしまう。
フェルトはこの時初めて刹那を意識している自分に気がついた。ただいつから何をきっかけに意識するようになったのかはわからないままだ。
ただ刹那はこの頃純粋種のイノベイターとして目覚めつつあり、心身とも変革期を迎えていた。いつまでも出会った頃の少年然とした刹那のままではない、そんな彼の変化を見るなかで刹那に対する認識も変わっていったのかもしれない。
誰にも優しく頼もしく愛想も良かったロックオンと違い、刹那は自分の感情を表すのが下手で言葉も足りない。ロックオンとは全くタイプが違う。むしろあまり感情を出さず無口という点ではファーストシーズンの頃のフェルトに似ていると言えるかもしれない。
そんな刹那に対するフェルトのスタンスは、ロックオンに対していたときのような少し甘えた感じではなく、常に彼を案じ、彼を支えたい役に立ちたいと思っているように見える。
フェルトの想いはロックオンの時も刹那の時も実ることがなかったが(二人ともフェルトに仲間としての好意は持っていても恋愛感情はなかったろう)、二つの恋を通じてフェルトは人として女性として大きく成長した。その意味で彼女の恋は報われたといってもいいように思うのである。


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『機動戦士ガンダム00』(1)-13(注・ネタバレしてます)

2025-03-01 23:58:09 | ガンダム00

スメラギ・李・ノリエガ

ソレスタルビーイングの戦術予報士で、実質的にプトレマイオスの艦長も兼ねる。ガンダムマイスター4人も含めたプトレマイオスクルーのリーダー的存在。
カティ・マネキン曰く「大胆さと繊細さを合わせ持つ」戦術を得意とする才媛だが、マネキンのような如何にも司令官といったタイプではなく(もう軍人ではないから当たり前かもしれないが)、気さくで色っぽい(といっても服の露出度を別にすれば意図的に色気を振りまいてる感はない)お姉さんで、過去の過ちへの自責の念から来る精神的な脆さを露呈することも多々あり、リーダーとしては大分不安定でちょっと心配になるところはある。

その分かりやすい例が彼女の酒癖で、職務中に飲んでいることも珍しくない。
ロックオン(ニール)は「ミス・スメラギはその過去を払拭するために戦うことを選んだ。折れそうになる心を酒で薄めながらな」と彼女の酒癖に理解を示していたが、戦いを憎むがゆえに武力による戦争根絶を行うという矛盾にメンバーはみんな心の痛みといずれ裁きを受ける覚悟を抱え耐えている中、絶大なストレスをかろうじて酒で紛らわしている、酒に逃げることで使命から逃げずにいるスメラギが最も危うさを感じさせるのは間違いないだろう。

ファーストシーズンの最終回から4年後を描いたセカンドシーズンの冒頭部では、スメラギはソレスタルビーイングを離れ旧友のビリー・カタギリの元に居候しつつ自堕落に飲んだくれる日々を送っている。
スメラギがついに使命を放棄して酒に逃げっぱなしになってしまった理由は多くの仲間を失った4年前の戦いにあるのだろうと最初は思った。ロックオン、クリス、リヒティ、モレノは死亡、刹那とアレルヤは行方不明(生死も不明)――生き残ったメンバーの誰もが大きな喪失感と敗北感を味わったことだろうが、戦術予報士として戦いの指揮を取る立場にあった彼女の失意と自責の念は他の仲間とはまた質の違うものだったことは想像に難くない。
しかし考えてみれば、スメラギがビリーの家に転がりこんだのは2年前なのである。それにファーストシーズンの最後、強襲コンテナに搭乗していたスメラギはイアン、フェルトと一緒だった。いかに失意が大きかったとしてもその場から一人失踪したわけではないだろう。
大破したプトレマイオスに戻ることはできなかったろうから、ソレスタルビーイングのラボのどれかに(途中でかろうじて生き延びていたラッセとティエリアも収容したうえで)ひとまず皆で身を寄せたのではないか。
そこでセカンドシーズン導入部に出てきたような新しい機体の開発やツインドライブのマッチングテストなどに勤しんでいたというのが一番ありそうな線だと思う。

ではスメラギがソレスタルビーイングを離れたのは何故なのか。2年前に何があったのか――と考えると浮かび上がってくるのがアロウズの登場である。
ソレスタルビーイング、とりわけプトレマイオスクルーは壊滅的な打撃を受けたものの、ガンダム討伐作戦をきっかけに地球連邦が樹立し三国家群の冷戦時代は終わりを告げる。世界が一つにまとまり、これで戦争のない世界が実現する―イオリアが、ソレスタルビーイングが掲げた戦争根絶が達成されたと思えば、仲間を失った心の痛みもいくらか和らいだろうし、自分たちの戦いには意味があったと誇らしさを覚えもしただろう。
しかしやがて各国間の格差が再び争いを呼び、テロや地域紛争が相次いだその結果としてアロウズによる徹底的弾圧が行われるようになる。しかもその非人道的なやり口を隠蔽するための情報統制に使われているのが、本来ソレスタルビーイングの頭脳であったはずのヴェーダなのだ。
自分たちは何のために戦ってきたのか。仲間は何のために命を落としたのか。自分たちのしたことは結局アロウズによる恐怖政治を招来しただけではなかったのか。スメラギの心を折ってしまったのはこの徒労感であったのではないだろうか。

そんなスメラギを立ち直らせたのは刹那の荒療治だった。いきなりビリーの元に現れると彼にスメラギの正体をばらして(4年を経ても守秘義務をまるで気にかけてないのは相変わらずである)その退路を絶ち、かなり強引にプトレマイオス2に連れ帰った。
最初のうちこそスメラギは本式に戻る決断がつかず、また仲間を死なせてしまうのではないかと案じて作戦を立てることにも消極的だったが、アレルヤ救出作戦の時に「俺たちに戦術予報をくれ」「たとえミッションに失敗しようとも、あんたのせいなんかにしない」と言い切った刹那の言葉に応えて大胆な戦術を立案したのを契機として、スメラギは制服を着てプトレマイオス2の一員として復帰する。
ビリーの優しさに甘えて酒に溺れるばかりだった2年間は全く立ち直れなかったスメラギは、自分の能力が必要とされていること、命がけでその能力を信じてくれる仲間の存在を思い知らされたことで、自分の生きる意味を再発見したのだ。
以後彼女が酒を飲むシーンは一切出てこなくなる(出てこないだけで、完全に酒を絶ったとは限らないのだが)。酒に頼ることなく、仲間の技量と精神力を信じて物量の不利をはね返すハードだが有効な戦術を次々と繰り出すスメラギは、ファーストシーズンの頃よりも強く格好いい。スメラギを最も彼女にふさわしい場所へと引き戻した刹那のお手柄である。

・・・ところで刹那はどうやってスメラギの所在を知ったのだろう?ライルの場合は、カタロンの一員として活動する彼をたまたま見かけたことがあったのではと考えたのだが、スメラギは家に引きこもりがちだったようだし、主に紛争地域を転々としてたらしい刹那が偶然彼女を見かける可能性は少なそうだ。王留美からソレスタルビーイングにもたらされた情報というのが一番ありそうな線か。
そういえば〈どうやって知ったか〉繋がりでいえば、上で引いたロックオン(ニール)の台詞はティエリアとの「あなたは知らないようですね。スメラギ・李・ノリエガが過去に犯した罪を」「知ってるさ」というやりとりに続くものである。
このシーンの少し前まではヴェーダを通じてクルーの個人情報にアクセスすることができたティエリアがスメラギの過去を知っているのは不思議ではないが、ロックオンはどうして知っていたのだろう?
これはスメラギ本人がロックオンに話した可能性が一番高いのではないか。フェルトも両親の話をロックオンに打ち明けていたが、大人で包容力のあるロックオンにスメラギも何かの折に打ち明け話をすることがあったのかもしれない。
余談ながら、ロックオンはスメラギを「ミス・スメラギ」と呼ぶ。刹那とティエリアは「スメラギ・李・ノリエガ」とフルネーム呼び、アレルヤは「スメラギさん」である。
ライルが二代目ロックオンとしてプトレマイオス2の一員となった時、彼は自然と「ミス・スメラギ」と彼女を呼んでいた。ニールがスメラギをどう呼んでたか誰かに確認したわけじゃないだろうに。少年期から離れて暮らしていてもやはり双子だなあとちょっとほっこりしたのでした。



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『機動戦士ガンダム00』(1)ー12(注・ネタバレしてます)

2025-02-22 22:48:55 | ガンダム00

ハレルヤ

アレルヤ・ハプティズムの中のもう一つの人格。穏やかなアレルヤとは対照的に粗野で暴力的な言動が目立つ。脳量子波を操れるのはアレルヤではなく彼の方である。

ハレルヤはアレルヤが超兵機関で受けた(脳量子波を使えるようにするための)人体改造実験の結果として生まれた―つまりは脳への物理的干渉によって生み出された人格という位置づけのようだが、彼の言動など見るといわゆる解離性同一症(多重人格)に近いものを感じる。
多重人格は主に幼少期に受けた身体的精神的虐待から自身の精神を守るために、被虐待児童が自分の代わりに苦痛を受け止めてくれる別人格を生み出してしまうものと言われている。直接脳をいじくられたために別人格が誕生したというより、実験による心身の苦痛が耐え難かったアレルヤが無意識に自己防衛のためハレルヤの存在を生み出したという方がより実態に即しているように思えるのだ。
というのもハレルヤが現れるのはもっぱら戦闘時で、アレルヤの弱腰を罵りながらも彼に代わって気の優しいアレルヤでは厳しい局面や辛い役回りを引き受けてくれているように見えるからだ。
それは最初に本格的にハレルヤが行動を起こした事件とおぼしき、被験者数名で超兵機関を脱走したものの船が故障し酸素も食料も不足する中で起きた仲間うちでの殺し合いの際にも見て取れる。アレルヤ(の身体)が生き残るには他の子供たちの犠牲が必須と言えたが、優しいアレルヤに仲間を殺すことなどできない。だからハレルヤが代わってそれを行った。
以来生き伸びるための辛い選択・行動はもっぱらハレルヤが表に出て担ってきた。それはアレルヤの本意ではないが(むしろ彼はハレルヤの冷酷な決断、生き残るためとはいえ必要以上に残酷な戦い方を選ぶ傾向を嘆いていた)、ハレルヤがいなければアレルヤはとっくに死んでいただろう。ハレルヤが戦闘時以外はほとんど現れることがない、平時にアレルヤの身体で遊び歩いたりしてる様子がないのも、彼が〈アレルヤを守るために生まれた人格〉である証左のように思える。

ただ一般的な多重人格のイメージと違って、ハレルヤが身体を動かしている時でもアレルヤも意識を保っているし、ハレルヤのやったことを記憶している(ただハレルヤが勘づいていたソーマ・ピーリスの正体―彼女がマリー・パーファシーであることをアレルヤは知らなかった。少なくともハレルヤの方はアレルヤに隠し事をしようとすれば可能だということだ)。
辛い役回りをハレルヤが代わりに担ってはいるが、彼が行った殺戮・暴力行為の一切をアレルヤはつぶさに見ているわけで、その意味ではハレルヤがいるからといって精神的苦痛を免れているわけではない。むしろハレルヤの残虐行為のためにより心を傷つけられることが多く、長らくアレルヤはハレルヤの存在を持て余し気味だった。
変化が訪れたのはファーストシーズンの終盤、ロックオンの弔い合戦ともいうべき最終決戦の時だ。身体の主導権を握っていたハレルヤにアレルヤが「ぼくも、生きる」と戦う意志を告げた。そしてハレルヤは前髪を掻きあげ、アレルヤの時は髪で隠れている金色の右目、ハレルヤの時は隠れているグレーの左目の双方を露わにする。
事実上二人が共闘した最初の場面であり、両者の意識が共に前面に出ていながら動きがかみ合わなくなる場面がなく、ハレルヤ言うところの「反射と思考の融合」が完璧に成されていた。全くタイプが異なるようでも、彼らが二人で一人、同じ人間なのだと感じさせる場面である。
この戦いで頭の右側面に傷を負ったアレルヤはハレルヤの人格をしばらく喪失してしまうが、その間はガンダムに乗っても動きが今一つ精細を欠いているのをアレルヤも自覚せざるを得なかった。
その後ダブルオーライザーのトランザムテストで撒き散らされた加速粒子をきっかけにハレルヤが4年ぶりに目覚めることとなるが、ハレルヤ不在の時間は彼がまぎれもなく自分の半身であったことをアレルヤに思い知らせることとなった。
そして刹那が純粋種のイノベイターとして完全覚醒したことによって作動したダブルオーライザーのトランザムバーストによりハレルヤが本格復活してからは、アレルヤ・ハレルヤはファーストシーズン最終戦を思わせる、いやそれ以上のコンビネーションを見せつけることとなる。

ところでふと思いついたのだが、アレルヤの色違いの目は生まれつきなのだろうか。普通は途中で目の色が変わることはないだろうが、アレルヤの場合、彼の人格が表に出ている時はグレーの左目、ハレルヤが出ている時は金色の右目が露出していて、人格と目の色が結びついてるかのようである。ならば超兵機関での人体実験をきっかけとしてハレルヤの人格が生まれた時に、彼が司る(?)右目の色が変わったということはないだろうか。
純粋種のイノベイターもイノベイドも脳量子波を使う時に目の虹彩が金色に輝いている。ハレルヤの場合は虹彩が輝くのではなく、いわゆる黒目部分の色が金色なのであって、脳量子波をことさら使う場合でなくても、ハレルヤが表に出ていない時でさえ髪の毛に隠れてるだけで常時、右目は金色のはずという点は違っている。
この違いはGNドライヴによって覚醒を促されたイノベイター、ヴェーダが生み出したイノベイドという〈イオリア計画の産物〉であるか、別系統の研究(たぶん)によって脳量子波を引き出された超兵であるかの差なのかもしれない。
ともあれ、〈金色の目〉が脳量子波を使えることの証と見なすなら、脳量子波に目覚めた―脳量子波を使えるハレルヤという人格が生まれた時点をもってアレルヤの右目が金色に変わったという可能性もあるのかも?と思ったりするのである。


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『機動戦士ガンダム00』(1)ー11(注・ネタバレしてます)

2025-02-15 14:58:53 | ガンダム00

ロックオン・ストラトス(ライル・ディランディ)

初代ロックオン・ストラトスことニール・ディランディの双子の弟。機体は狙撃型のケルディムガンダム(セカンドシーズン)→ガンダムサバーニャ(劇場版)。
セカンドシーズンで彼が登場した時、前振りもなくいきなり後付けで出てきたように誤解してしまったのだが、見返すとファーストシーズンの第9話の冒頭で〈ロックオンが白い花束を持って墓参りに行くとすでに同じような白い花束が置かれている。「もしかしてあの人が?」と呟くロックオンを木陰からもう一人のロックオンが見ている〉という場面があり、しっかり存在が示されていた。「あいつ」でなく「あの人」なので、発言者=後から現れたロックオンの方が目下―弟のライルだったのがわかる。
よく聞くと、ニールは死の間際にも「ライルの生きる未来を」と呟いているし。当時ファンの間ではロックオンの(双子の)兄弟か?→家族の事を語るシーンで両親と妹の話しか出てこない、兄弟じゃなくてクローンかなんか?→「ライルの生きる未来」って言った?ライルとニールって似てるしそれが兄弟の名前かな?みたいな感じで話題になったのではと憶測。

勝手な想像はさておき、セカンドシーズンが始まってライルの正体はニールの双子の弟、早くに寄宿学校に入学して家族と別行動していたために両親と妹の命を奪ったテロに巻き込まれずに済んだものと判明したわけだが、ニールの回想の家族団欒シーンにライルが出て来なかったこと(・・・ひょっとすると回想シーンのニールに見えた少年はライルの方だった可能性もあるのかも?ニール視点の回想だから彼自身の姿は(視界に入らないため)出てこなかったということで)、家族をテロで失った場面のニールの外見(10~12歳くらい?)からすると、ライルは10歳そこらで一人家族と離れて寮暮らしをしていたことになる。
本人の希望かつ幼年向けの寄宿学校は別段特殊な存在ではないとはいえ、双子の兄弟のうち片方だけに幼いうちから寮生活をさせるとは両親もなかなか思い切ったものだ。ライルが何かと兄と比較されることを嫌っているのを感じとっていたのかもしれない。
ニールの回想中の家族がいかにも幸せそうな様子だっただけに、幼くしてあの団欒の輪から自発的に外れることを望んだライルの鬱屈は相当深かったものか。はたしてニールは弟の自分に対する複雑な心境をどの程度察していたものだろうか。

しかし兄と比較されるのをそこまで嫌うということは、ライルは自分が兄に劣っていると感じていたわけだろう。
確かに「兄さんほど狙いが正確じゃない」なんて台詞も出てくるし、ニールは人革連の低軌道ステーションの重力ブロックが流された事件の際には、アレルヤに協力して地球上からの超精密射撃でブロックの連結部を狙撃しパージするなどという超絶技能を(それもライルの乗るケルディムよりも一世代前のガンダムデュメナスで)発揮している。両親亡き後ライルに経済的援助を行っていた(10代前半のうちから!?)あたりも含め、まあできすぎた兄であるには違いない。
とはいえライルだってカタロンの旧式モビルスーツに多少乗ったことがある程度の戦歴にもかかわらずケルディムに乗って間もない頃から相応の戦果を挙げていたし、第一次メメントモリ攻略戦で電磁場光共振部を正確に射貫いたり、ヴェーダ奪還作戦でも戦闘不能ぎりぎりの状況で一秒限りのトランザムを最大限有効に使い、右手に損傷を負ったケルディムの残った薬指と小指でGNピストルのトリガーを引くという冷静な踏ん張りで逆境を跳ね返し勝利を掴んだりしている。ライルは決して兄に劣らぬ技量と度量を持っているのだ。
子供の頃だってきっと本人が感じるほどニールとの間に優劣はなかったのではないか。それをずいぶん拗らせてしまったのは同じ年同じ顔の兄弟という環境ゆえか。
まあ拗らせたというには彼の兄や他の家族に対する対応はわりあい淡泊な感じはあるんですが。むしろ拗らせる前に距離を置いたという方が正しいのかもしれない。
何かと兄と比べられることの居心地の悪さが兄をはじめ家族に対する本格的な憎しみに育ってしまう前に、身の振り方を自ら考え選択した―子供ながらに自分と周囲を客観的に見つめてベストと思える対応をしたと見た方がライルの性格的にありそうな気がします。

ライルは〈弟には普通の幸せな人生を生きてほしい〉と望んでいたであろうニールの意志に反して、大手商社のサラリーマンとしてのまずまず安泰と想像される生活を捨て反政府組織カタロンに所属していた。このあたり私設武装組織ソレスタルビーイングに参加した兄と共通する〈見て見ぬふりはできない〉性格を感じてしまう。
とはいえ、ニールはもし自分の家族がテロの犠牲になっていなかったら、ソレスタルビーイングにもカタロンにも入ることなく、家族と平穏な日常を送っていた気はする。まして自分は兄と違って「家族が死んだのは十年以上前のことだ。俺にはそれほど思いつめることはできねえ」と自嘲するように語った、血を分けた家族に対しても淡泊なところのあるライルはニール以上に反政府組織に走る理由がないようにも思えたりもするのだが。
それはさておき、カタロン関連でやや引っかかるのがライルの「ジーン1」というコードネーム。ジーンとはgene=遺伝子のことかと思うが、カタロンという組織を構成する因子の一つという意味だとすれば、ずいぶん非人間的な呼び名のように思えてしまう。カタロンの構成員でもクラウスやシーリンは普通に名前で呼ばれているのに。
ライルの場合カタロンに入った当初は会社員をやりながらの二足のわらじだった可能性もあり、正体を隠すために本人がコードネームを希望したのかもしれないのだが、ソレスタルビーイングメンバーのいかにも名前らしく聞こえるコードネーム(刹那など沙慈の隣に住んでいた時そのまま刹那・F・セイエイを名乗っていた。コードネームの意味がないんじゃあ。マリナ・イスマイールに初めて会ったときには偽名を使ったというのに)に比べると無味乾燥すぎるきらいがある。
二代目ロックオン・ストラトスとしてソレスタルビーイングに所属しつつもカタロンに内通していたり(むしろ内通するためにソレスタルビーイングに入った)、劇場版ではマリナたちが視察に使った船にいつのまにか副操縦士?としてもぐりこんでいたりするところからして、もともと潜入捜査を中心に活動していてクラウスたちのような本流のメンバーからはちょっと外れた存在なのかもしれないが――何となくカタロンであんまり大切にされてないような感じがしてしまう。
ライルが最終的にカタロンを離れソレスタルビーイングのガンダムマイスターとして生きる道を選んだのは、プトレマイオス2の方に自分の居場所を見出したからでは?なんて思ったりするのである。
まあカタロンを離れたというか、アロウズ解体・連邦の新体制移行の際に、カタロンも解散しちゃってるわけでカタロンに残るという選択肢自体ないとも言えるのだけど。

カタロン関連でもう一つ不思議なのは、なぜ刹那がライルがカタロン構成員なのを知っていたのかということ。ヴェーダを使えば〈ニールの弟〉の現況を把握することは難しくなかったろうが、ファーストシーズンの中盤以降ソレスタルビーイングはヴェーダのアクセス権を失っている。
そもそもニールは生前〈アイルランドのテロで家族を失った〉話は皆に明かしていたが、双子の弟が生きていることについては口にしていない(少なくとも話すシーンはない)。
ニールの家族の件に最初に言及したのはヨハン・トリニティだが、彼もライルの存在には触れていない。どんなきっかけで刹那はニールに双子の弟がいることを知ったのだろうか?
ライルの存在だけならファーストシーズン初期のティエリアがヴェーダのレベル7の情報にアクセスしてロックオン・ストラトスの個人データを閲覧して知っていたとも考えられるが(アレルヤが超兵機関攻撃のミッションプランをスメラギに持ち込んださいにアレルヤのデータを調べて「アレルヤ・ハプティズム、そうか、彼は・・・」などと言っていたところからすると、ティエリアはマイスターの来歴を調査すべき特段の理由がない限りわざわざ他人の個人情報を見ようとはしなさそうではある)、当時はまだライルはカタロンに所属してないどころか対アロウズ勢力として台頭してきたカタロンそのものもまだ発足していないだろう。
ヴェーダ以外で〈ニールにライルという弟がいてカタロンの構成員である〉情報をもたらす可能性があるとしたらエージェントの王留美だろうが、彼女経由なら刹那だけでなくプトレマイオスクルー全員が情報を共有しているはずだ。
カタロンとの会談のために中東第三支部に向かう途上での、〈なぜカタロンの基地が連邦に見つからないか〉についてライルが説明した際、ティエリアが「詳しいな」と言いライルが「常識の範疇だよ」ととぼける場面からすれば少なくともティエリアはこの時点でライルがカタロンの人間だと知ってはいない。知ったうえでカマをかけている可能性はゼロではないが、冗談を言っただけでも驚かれるティエリアがそんな腹芸をやるようにも思えない。
ヴェーダ奪還作戦の頃になると、ライルがカタロンに情報を流すことを前提としてスメラギが作戦を立てたりしているくらいでライルがカタロン構成員なのは暗黙の了解となっているが、正面からライルを通じてカタロンと連携を図らないあたりあくまで〈暗黙〉、公然の秘密という感じだ。はっきり〈ライル・ディランディはカタロン〉という情報が最初から皆に伝えられていたならこんな扱いにはならないだろう。
となると他メンバーは知らず刹那だけがニールの弟の生存及び彼がカタロン構成員だと知ることになる何かがあったはずだ。

セカンドシーズンの第1話で、刹那はカタロンと間違われ強制労働させられたうえにアロウズのオートマトンに殺されそうになった沙慈・クロスロードを危うく救っている。
刹那がこの場に現れたのはアロウズの蛮行に怒りその動静を探っていたためだが、この時カタロンメンバーによる仲間の救出作戦も同時に行われていた。というよりカタロンが囚人救出作戦を行う情報を掴んでアロウズがカタロン殲滅に動いたように、アロウズの動きを見張っていた刹那もカタロン殲滅作戦を掴んでそれを止めるべく動いたのだろう。
この件に限らず、同じアロウズを敵と見なすもの同士、刹那は行く先々でカタロンメンバーとたびたびかち合っていたとしてもおかしくない。そうしてたまたまカタロンの一員として働いているライルを見かけ、ロックオンそっくりの容姿に驚いて彼の素性を調べた――こういう流れなら刹那だけがライルの存在及び彼がカタロンだと知っていたことも、かつてのテロ現場跡地の公園でライルと対面したさいに彼の外見に驚いた様子がない(プトレマイオスクルーは皆初めてライルを見たとき驚きを隠せなかった)のも頷ける。
それにしても刹那がなぜ他メンバーにライルがカタロンだと明かさなかったのか(ライルの方も刹那に対し自分がカタロンなのをあっさり認めているのに、なぜか他メンバーには自分の正体が伝わってない前提でふるまっている。あの堂々とした態度を見る限り、自分の正体を内緒にしておいてくれと刹那に頭を下げたようには思えないし?)、そもそもロックオンの弟とはいえすでによその組織の構成員である相手をソレスタルビーイングに引き入れようとしたのかについては謎のままではあるのだが。


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