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俳優・勝地涼くんのこと。

『機動戦士ガンダム00』(2)-4(注・ネタバレしてます)

2025-08-20 00:20:20 | ガンダム00

復讐否定については、上記の三人のうち復讐を遂げた二人、ルイスとアンドレイは結局それによって幸せになっていない。
特にルイスは仇であるネーナがおよそ同情の余地もない相手だったにもかかわらず、仇を討った直後子供のように無邪気に大笑いした後に、人を殺した重さに絶叫している。
キャリア的にはまだ新兵で准尉とはいえ、軍人として戦場に出ている、それも脳量子波対応型の特別製の機体に乗っている以上、敵兵を殺したことが皆無とは思えないが(ほぼ対ソレスタルビーイング戦でしか参戦してないなら、ここまで誰も殺していない可能性もあるか?)、職務によってでなく私怨で人を殺した―恨みつらみがあるがゆえに“記号”とは見なせない、“人”として認識せざるを得ない相手を殺してしまったことで、自分が殺人者になったことを深く強く感じざるを得ない。
そこまでして仇を討ったのに、それで両親が戻ってくるわけではない。仇討ち直後笑いながら「ねえ、ママ、パパ、どこ?私やったよ」と両親を探すシーンに、復讐を遂げても失った家族は返らない虚しさを彼女が目の前に突きつけられているのが伝わってくる。スミルノフ大佐の仇としてアンドレイを討とうとしたピーリスに沙慈が叫んだ「もうやめてくれ!何も変わらない、仇を討っても、誰も生き返ったりしない。悲しみが増えるだけだ」という言葉をまさに体現している形だ。
この沙慈の台詞は綺麗事に聞こえるかもしれないが、沙慈自身も少し前までソレスタルビーイングを姉とルイスの仇同然と憎んでいたのである。そのために刹那に銃を向けたことさえあった。沙慈自身は引き鉄を引く手前で引き返したが、一度は復讐に走りかけたゆえの実感がこの言葉にはある。
事実この言葉を契機にピーリスの復讐心はいったん沈静化する。大佐を失った悲しみが強すぎて暴走してはいても、先に書いたように大佐が最後にアンドレイを守ろうとしたのを見ている彼女は、アンドレイを殺すことが大佐の想いを無にする行為であること、「悲しみを増やすだけ」だと本当はわかっているからだ。
そしてトランザムバーストによって(?)再びマリーが主人格となった状態でアンドレイと再会した時、彼女は戦うのでなく言葉でアンドレイと語り合い、彼の本質が父の愛に飢えた子どもであったことを知る。そしてアンドレイの方も自分がちゃんと父に愛されていたことを知り、子供のように大声で泣いた。
一方でスメラギへの愛情を拗らせたあげくに彼女に銃を向けるに至っていたビリーもトランザムバーストの光の中でスメラギの本心―彼女が決して自分を利用しようとしていたわけじゃない(利用ではなくとも好意に甘えていたには違いないのだが)こと、それ以上に自分自身の本心―彼女を憎んでいるのはあくまで愛情の裏返しであることを知って、その本心をちゃんと言葉でスメラギに伝えた。
自分の想いを吐き出して以降アンドレイもビリーも憑き物が落ちたようになり、ビリーなどスメラギに協力までしている。まあこの二人の場合はもともとは相手に愛情を抱いていた、その想いを裏切られたと誤解したからこそ愛が憎しみに裏返ったわけで、敵対した後もその憎しみの底には愛情が潜んでいる。愛あってこその憎しみなのだから誤解が解ければ本来の愛情に立ち返ることができた。
とはいえ、最終回で「私は軍人として生きる。市民を守り、平和を脅かす者と戦う。父と母が目指した軍人に」とのモノローグが登場するアンドレイは、“父は母を平然と見殺しにした”父は反乱軍の一員だった”との二重の誤解の果てに父親を手にかけた経緯を思えば、父が憎しみの対象から軍人・人間としての目標へとあまりにも簡単にシフトしていることにいささか唖然とする。
長年の誤解が解け、父親を尊敬できるようになったのは大変喜ばしいことだが(スミルノフ大佐は目標とされるに相応しい立派な軍人だと思うし)、その父を自ら殺してしまったことへの葛藤とかもう少しくらいないのか?と文句の一つも言いたくなってしまう。罪悪感が深ければこそ父の志を継ぐことが贖罪だと思っているのだろうし、そうした想いの延長線上に劇場版での壮烈な死にざまがあるのだろうと脳内補完してはいるのだが(小説版では父やスイール王国の人々に対するアンドレイの贖罪意識について掘り下げた記述がある)。
ビリーについても彼の項で書いたように、あの流れでスメラギとくっつかず劇場版で初出の女と結ばれたのには驚かされた。それも顔を合わせることさえほとんどなかったにもかかわらず数年来想い続け、二年間の(プラトニックのままでの)同居生活を経て、ようやく告白&ハグまでしたのにまさかの自然消滅。
これまでの執着は何だったのかと思ってしまうが、それこそアンドレイともども「憑き物が落ちた」ということなのかもしれない。そういえばトランザムバーストの光によって蘇った(のだと思う)ルイスはその光を「心が溶けていきそう」と形容していた。
アンドレイもビリーもマリー/ピーリスも、そしてルイスも、トランザムライザーが放出した大量のGN粒子の光の中で自身を苦しめてきた憎しみや執着心から解放されている。トランザムバーストにはGN粒子散布領域内の人間に意識を共有させるだけでなく、彼らの拘りを溶かす能力があるのかもしれない。
思えば敵対関係にある人と人がわかりあう、胸襟を開くには、まず相手に対する壁となっているものを取り払わなければならない。障害物を溶かしてはじめて相手と直接向き合うことができる。
執着心もその人の一部、というより捨てるに捨てられなかったその人らしさの真髄と考えると複雑なものがあるが、歪んだ執着心は相手も自分も不幸にしかしないことを鑑みれば、あえてその執着を捨てる―悟りを開くことによって他人とわかりあえる自分として生き直せるのかもしれない。
ただこのトランザムバーストの光でさえ、全ての人間の「心を溶かす」ことができるほど万能ではない。サーシェスは光の影響によって目の前のロックオンの心の声を感知しつつも「何だ、この気持ちわりい感じは?」という感想しか抱かず、ロックオンの方もサーシェスを理解しよう、赦そうなどという感情が湧いてきた形跡もない。
ロックオンがひとたびサーシェスを追いつめながら見逃そうとしたのは、トランザムバーストのせいではなく、死んだアニューの「わたしたち、わかりあえてたよね」という言葉を思い出したからである。それも完全に赦すと決めたわけではなく、サーシェスが銃を撃とうとすれば即座に返り討ちにしている。
結局どうやっても話が通じない人間はいるわけで、やはりトランザムバーストに「僕の脳量子波を乱して」と不快感しか表さなかったリボンズとも刹那はついにわかりあうことはできなかった(リボンズははっきり「その気は、ないよ!」と言い切っている)。ルイスとネーナが和解する姿も想像すらつかない。そもそもトランザムバーストの発信元だった刹那自身が、ヴェーダ本体の前でティエリアの遺体を見つけた時に「仇は討つ!」と発言しているのである。
復讐否定を提示しつつ、復讐心を捨てること、人と人がわかりあうことの困難さも繰り返し描かれているのだ。セカンドシーズンの復讐否定というテーマを象徴するようなキャラクターであるロックオン=ライルが復讐に猛るピーリスに理解を示し、ライルを助けるためにアニューを撃った刹那を理不尽と知りつつ一時は深く恨み、「昔を悔やんでも仕方ねえ」と言いながらいざ家族の仇であるサーシェスを目の前にすると強い復讐の念が胸に沸き起こってきたりするのがその代表だろう。
しかしライルはサーシェスをいったん撃つのを止めた時に“復讐のための殺人”を思いとどまった。最終的にサーシェスを射殺したのは身を守るためであり、小説版ではこの時のライルの心情を「彼には、復讐を果たした、という達成感はなかった。ただ、憐憫の翳りをたたえているだけである」と説明している。
そして彼はアニューを想いながら「おまえのおかげで人と人がわかりあえる世界も、不可能じゃないって思えたんだ。だから世界から疎まれても、咎めを受けようと、俺は戦う」との決意を新たにする。「人と人がわかりあえる世界」のために戦う。いっときは復讐心に流されかけた彼が「過去じゃなく、未来のために戦う」という初心に戻る姿に、困難でも復讐心を捨ててわかりあえる希望というものも合わせて提示しているのである。

復讐否定とセットの「未来」志向の方はというと、「忌まわしい過去を払拭するため」にソレスタルビーイングに参加し一度は挫折感から組織を抜けたスメラギは、今度こそ自分の戦術で仲間たちの命を守ると決意して復帰、ヴェーダ奪回作戦で対峙したビリーに「私は戦う。自分たちの意志で、未来を作るために!」と宣言する。
武力介入で奪った人の命の重みを背負い、国連軍にに捕まっても「罪を償う時が来たのだと感じ」て死の可能性も受け入れていたアレルヤは独房を訪れたピーリスと再会したことで彼女を取り戻す、共に生きるという「戦う目的」を得た。ヴェーダ奪回作戦に挑むにあたっての刹那の台詞は「俺たちは未来のために戦うんだ」であり、イノベイドの本拠地にしてヴェーダの所在地である外宇宙航行母艦「ソレスタルビーイング」へと向かう段でのスメラギの言葉は「イノベイターの支配から世界を解放し、再び世界を変えましょう、未来のために!」だった
そして初めてトランザムバーストを発動させイノベイターとして「完全なる進化を遂げた」時の刹那の言葉は「未来を創るために、俺たちは、変わるんだ!」。そのトランザムバーストのもたらす光を沙慈は「未来を照らす光」と表現し、リボンズとの最後の戦いに臨んだ刹那の決め台詞(というのか?)は定番の「目標を駆逐する!」ではなく「未来を切り開く!」。
刹那は一時プトレマイオス2に保護されていたマリナに「破壊の中から生みだせるものはある。世界の歪みをガンダムで断ち切る。未来のために」と語っているので、セカンドシーズン序盤の時点ですでに“未来のために戦う”心境に至ってはいるのだが、特に作品の終盤に向けて刹那のみならず皆の想いとして「未来」というフレーズが強く打ち出されている。
ちなみにヴェーダ奪還作戦時、ダブルオーライザーに新型モビルアーマー「レグナント」で襲いかかってきたルイスに沙慈は「戦いで勝ち取る未来なんて、本当の未来じゃないよ!僕たちはわかりあうことで、未来を築くんだ!」と叫んでいる。
刹那の「(未来のために)破壊の中から生みだせるものはある」という台詞を「(それは)本当の未来じゃない」と否定しているかのようにも聞こえるが、二人の言葉は必ずしも矛盾しない。「破壊」だけでは本当の未来は築けない、「破壊」は真の未来を築くための前段階であって、「破壊」によって「世界の歪み」を取り除いた後に相互理解による真の未来を築けばよい。要はスクラップ&ビルドである。
「刹那・F・セイエイ」の項で書いたように刹那は自分がやる、できるのは「破壊」の方だけで、真の未来―より優れた世界を構築するのは別の(例えばマリナのような)人間の仕事と思っているふしがある。
確かに「破壊」だけで終わってしまえば、そこに残るのは「戦いで勝ち取る未来」=軍事力で勝る者が幅を利かせる世界となってしまうだろう。しかしマリナやセカンドシーズン最終回で就任した新連邦大統領のような相互理解・宥和政策を掲げる人間にソレスタルビーイングが行ったような「スクラップ」は到底できないだろう。「ビルド」と対になるかぎりにおいて、「スクラップ」は「本当の未来」を創るための重要な力となりうる。

(と書いておいてなんだが、刹那たちの語る「未来」という言葉はどうもふわふわしていて、彼らがどんな未来を望んでいるのかいまいち見えてこない。彼らが“紛争のない世界”を望んでいるのはわかるのだが、それはエイフマン教授やビリー、マネキンらにこぞって夢物語扱いされるほどに実現困難なミッションだ。
自身が「ビルド」の段階に直接携わらないとしても、どうやって作るか、どうそれを維持するかといった具体的な方法論を持っていないなら、結局は計画性のない夢物語を描いていたに等しいのではないか。まあなまじ「未来」の内容を具体的に詰めてしまうと、「いや、それは自分が望む未来とは違う」とかなって皆が「未来のために」一丸となれなくなってしまうかもしれないので、スローガンはふわっとしている方が「スクラップ」の段階ではかえっていいのかもしれないが・・・。
「ビルド」について具体的計画を持っていないことは、アロウズのような「軍事力で勝る者」が「ビルド」の立役者面で台頭してくる余地を生んでしまう危険があるのではないか?そのあたりも含めてイオリアが「ビルド」も含めた具体的計画を200年前に作っていったから「スクラップ」担当がふわっとしていても済むのだが。
プトレマイオスの面々に限らず、王留美やアレハンドロの語る「世界の変革」もよく分からない。世界を「私色に染め上げる」ってどんな色だ?変革の「その先にある素晴らしい未来」とは?
まあこれも、必要な実務的手続きとか具体的な事を考え出すと夢もロマンも萎んでしまってモチベーションが下がるから、あえて考えずに楽しい夢だけ見てたのかもしれない。
なんだかんだ言って理想主義とかお花畑とか思われがちなマリナが一番、目的(アサディスタンの復興)もそのための手段(国を経済的に立ち直らせるため太陽光発電施設を建設すべく他国に技術支援を要請する)も具体的に見据えて、なかなか結果が報われないながらも地道に行動し続けている、というのが面白い)

そしてその「本当の未来」建設のキーパーソンとなるのがマリナである。といっても実際に宥和政策を掲げる新たな地球連邦を動かしているのは新大統領とその周辺の人々であって、マリナはむしろ平和の旗印、象徴といった立ち位置である。
彼女も小国とはいえ一国家のトップではあるのだが、ファーストシーズンの時点では政策決定はもっぱら議会が行っていて、マリナは自ら議会に出席し発言することはない。それどころか側近のシーリンから議会の決定事項を知らされて愕然とする場面などからすれば、彼女の意向は国政におよそ反映されていない。
そもそもが国民の意識をまとめるための手段としてとっくに廃止されていた王政が復活されることになり、旧王家の血を引いているからと議会によって選びだされたのがマリナである。最初からアザディスタン内でも象徴としての役割しか期待されておらず、政治的発言権を与えるつもりはなかったのだろう。一応は議会主義的君主制を取っている形だろうが、実際の権限はそれ以下、ほとんどないと言っていい状態なのではないか。
ただ良くも悪くもマリナに祖国のために働こうとする気概がありすぎたことから、改革派の議員の後押しによってなのか太陽光発電施設誘致のための外交官的立場を務めることとなった。若く美しく清潔感のある女性が熱心に援助を訴えれば、その健気さで発電施設誘致は無理でも食糧援助くらいは取りつけてくるかもしれないとの算段があったのかもしれない(実際、フランス外遊の際にシーリンが「予想通り食糧支援しか得られなかったのね」と話す場面がある)。
“議会がマリナを担ぎだした”という表現からするとマリナの両親のどちらかが国王として選ばれたようではないので、マリナが名前だけにもせよアザディスタンの国家元首であるなら「第一皇女」という肩書はおかしい気もするが、国王より皇女の方が若さ・健気さをアピールするのに適していると議会が考えたものだろうか。
セカンドシーズンでは議会が存在感を示す場面がないが、マリナが絶対君主の座を求めるとも思えないので最終回の再興後のアザディスタンでも議会制は健在、ただ再興の立役者であるマリナもこれまでより政治的発言権を得るようになったのではないかと思う。
アロウズが解体され再編された世界で、マリナが大衆から圧倒的人気を得たことは想像に難くない。その人気と影響力を議会としても無視はできない。新連邦としても、アザディスタンの消滅から復興までの道筋はアロウズとかつての連邦の悪事を鮮明に示したものとして、自分たちの正当性をアピールするためにも積極的に喧伝したいはずで、それもマリナの名声を高めることに繋がったろう。
何よりこれまで正義の軍隊と信じてきたアロウズの非道への憤りとその反動として平和を希求する世界市民の心情が、マリナを平和の使者、聖女へと押し上げた。それは彼女がアロウズの直接的被害者であった(因縁に等しい罪状で拘禁までされたうえ国土を焼かれた)からだけでなく、彼女なりのやり方で戦い続けていたからだろう。
ただカタロンに保護され守られていたのではなく、素朴な幸せと協調の大切さを歌にして世界に届け(歌を世界に流布したのはマリナ自身ではないが)、暫定政府崩壊後の政情不安定なアザディスタンに我が身の危険を顧みず乗り込み再興のため力を尽くした。そうした武器を持たない戦い方が、一種の軍事アレルギー状態になった人々の圧倒的支持を集めるに至ったのだ。

こうしたマリナのシンボル化は「イオリア・シュヘンベルグ」の項で書いたように元からのイオリアの筋書であったと思われる。もちろん200年後に中東の小国家にマリナのような人物が現れることなどイオリアがわかるわけもないので、直接にはヴェーダの裁量になるのだろうが。
上で書いたようにアロウズの解体と連邦政府の再編は「アロウズの実体を知った人々が深く憤りかつ真実を知ろうとしてこなかったことに恥じ入った結果」なのだが、この前段階として「中東再生計画」がある。
アザディスタン襲撃を機に連邦政府がアザディスタンに暫定政権を樹立し中東を再編する計画を発表したさい、「国内紛争に関しては、対立民族の一方をコロニーへ移住させることも視野に入れ」るとの文言を「無茶苦茶言ってるぞ」とロックオンが嘲笑したが、スメラギいわく「それでも世論は受け入れるでしょうね」「みんな困らないからよ」。
スメラギの発言通り「みんな」=旧三国家群を中心とする連邦加盟国の人々は何ら文句をつけなかった。地球連邦に参加せず紛争を繰り返す困った国々がどうなろうと知ったことではない、むしろ連邦が暫定政権を築いたことで彼らは平和と豊かさを手に入れられるのではないかと積極的に賛同すらしたのではないか。
アロウズの悪行が暴かれ中東の皇女であるマリナが国際的人気者になる中で、連邦加盟国の大衆はこの「中東再生計画」の非人道性を見逃したことを反省し、ここでも「恥じ入った」のではないだろうか。
こうした中東への無関心ないしは偏見を背景に、メメントモリによるスイール王国の首都とリチエラの軍事基地(周辺の難民キャンプごと?)消滅も、どう報じられたかは不明であるものの(さすがに消滅の事実そのものまで隠蔽はできなかったと思う)、多少無理な説明であってもさして疑問を抱かれずそのまま通ってしまったのは間違いない。
この後まもなくスミルノフ大佐の旧友パング・ハーキュリーによる正規軍の一部によるクーデターが起きている。タイミング的にメメントモリによる中東国家攻撃を受けての行動にしては早すぎるように思えるし、そもそもこれらがアロウズによる攻撃であることをクーデター派を含め正規軍のどの程度が把握していたかもわからないが(スイールの国境付近に駐屯していたスミルノフ大佐は首都消失の瞬間を目撃、上官のキム中将から緘口令を敷くよう言い渡された際、アロウズに反感を持つ兵も多く噂はすぐに広まると反論している。ただ仲間うちでのひそひそ話ならともかく、盗聴される危険を冒しても遠方の戦友に連絡しようとする兵士がどの程度いるものか。スミルノフ大佐が沙慈を尋問したのを部下がアロウズに告げ口したことからわかるように、どこにアロウズのシンパが潜んでいるかわからないのである)、アフリカタワーを占拠したハーキュリーの演説中の「中東再編のため、罪もない多くの人々が殺されたことをご存じか?」という台詞はスイールとリチエラへの攻撃を踏まえての発言とも思える。アロウズは中東に苛烈な弾圧を繰り返しているから、メメントモリ以外の虐殺行為を指している可能性の方が高そうだが。
このクーデター計画に対してアロウズはメメントモリ二号機を用いて、クーデター派が占拠している低軌道ステーションを人質もろとも破壊しようとする挙に出る。これはクーデター派を一掃するとともにアロウズの蛮行の生き証人となった6万人の一般市民を口封じしようとしたものだが、正直この事件(ブレイクピラー)がアロウズを解体へと導く決定的なターニングポイントになったと思う。
連邦はこの件を例によって「反連邦勢力」に責任をなすりつけ、情報統制下にある人々はそれを信じはしただろうが、犯人への恨みどうこう以上に恐怖感の方が強かったのではないだろうか。連邦加盟国でない中東の都市が吹き飛ぼうが他人事でしかなかったが、未曾有の災害が今度は自分たちの頭上に降りかかってきたのである。
東京で平和に暮らしていた沙慈が初めて世界のうねりにちゃんと目を向けたのは―それまでにも低軌道ステーションの事故で危うく死にかけたりすぐそばで爆破テロが起こったりしているのだが―姉とルイスを失ってからだった(それでもアロウズの蛮行や中東諸国の苦しみなどまるで知らず、ティエリアに「自分のいる世界くらい、自分の目で見たらどうだ」と言われるレベルであったが)。
ブレイクピラーに直接間接に被害を受けた人たちの中には、これまでにない真剣さで世界情勢について考え、結果連邦政府の発表に疑念を抱いた人も少なからずいたのでないか。
またテロなど武力行為による脅威は自分から遠い場所で起きる分には義憤が勝るが、自分の生活を脅かされるとなれば恐怖が勝る。実際にテロで家族や大事な物を奪われたとなれば怒りが勝るようになるだろうが、“奪われるかもしれない”段階なら危機感と恐怖が先行するだろう。平和を願うマリナの歌がラジオを通して世界中で支持されはじめたのもこの頃である。

(ただファーストシーズンには沙慈とルイスのカップルという一般人代表が繰り返し登場することで、彼らとその周辺の一般人が何を考えどんな生活をしているのか描かれていたのが、セカンドシーズンでは両者とも一般人とは到底言えない立場に移行したため、連邦の一般市民が何を考えてるのか、本当に根っから地球連邦の言い分を信じているのか、それとも劇場版で映画「ソレスタルビーイング」を観た観客の一人のように「政府のプロパガンダ」が多分に混ざってるものと醒めた目で見ていたのかがわからなくなっている。
どちらの人間もいたというのが実像であろうが、そのあたりの具体例が全く(あえて)描かれないことで、彼らは“情報統制によって騙されている一般市民”として記号化されている。)

また一般市民は情報統制で騙せたとしても、兵士たちはそうはいかない。クーデター軍・カタロンは言うに及ばず、ブレイクピラー時に軌道エレベーターの外装パネルの迎撃に参加した連邦軍・アロウズの兵士たちは実際の状況を見聞きしている。
ソレスタルビーイングの指揮官(消去法でソレスタルビーイングの人間とわかる)が素顔をさらしてまで「お願い、みんなを助けて!」と「現空域にいる全機体」(したがって後から参加したアロウズのパイロットたちはスメラギの顔を見ていない)敵味方なく訴え、3機のガンダムを筆頭にその場の全員で地域住民の命を守るため戦った。
人命を最優先にしたスメラギの訴えを聞いた連邦軍兵士はもはやソレスタルビーイングを絶対的な悪とは見なせなくなったろうし、敵味方を超えて共闘したソレスタルビーイング、カタロンやクーデター軍の人間(こちらはもともと同僚や先輩・後輩でもある)に一種の連帯感を抱きもしただろう。
外装パネルが大量に降ってくるという事態そのものはクーデター軍のやらかしと誤認していたかもしれないが、少なくとも連邦政府の公式発表が“反連邦勢力の仕業”で済ませて身内の醜聞といえる一部正規軍のクーデターが発端である事実を隠蔽していること、迎撃の陣頭指揮を取ったに等しいソレスタルビーイングをはじめとする「反政府勢力」の貢献が全く伏せていることに対し、強い不信感を覚えた者は多かったと思う。
一方アロウズの兵士にしても、指揮官であるマネキンの乗る空母に乗艦していた者たちは、マネキンと技術顧問のビリー・カタギリの会話から、パネル落下の原因がアロウズの衛星兵器にあることを知っている。6万人の人質ごと、軌道エレベーターと周辺地域への甚大な被害も顧みず低軌道ステーションを破壊しようとするやり方に「こんなことが許されるのか!?」とマネキンが激怒していたことも。
ブレイクピラー後にマネキンと数十名の兵士が艦船やMSごと行方不明になった際に、当然彼らはブレイクピラーを引き起こしたアロウズ上層部への怒りからの覚悟の失踪と判断しただろうし、その推測は他の兵士たちにも広まっていったに違いない。
何より正規軍もアロウズも、兵士たちにはそれぞれに家族も友人もあるのである。自身の大事な人間がブレイクピラー事件で直接の被害を受けた者も少なからずいるはずだ。アフリカタワーを含めブレイクピラーによる主な被害地域は旧AEU領で、マネキンの造反も彼女が元AEU軍(おそらく出身地もヨーロッパ圏だろう)だったことが多少影響しているかもしれない。
これまでと違い中東でなく連邦加盟国を舞台として起きたこの惨劇は、正規軍・アロウズの兵士も含めた連邦加盟国の国民の意識に確実に作用した。
この事件の真相が隠蔽されたことで改めてアロウズの情報統制を打ち破る必要性を痛感したスメラギたちはヴェーダ奪還を目指すようになり、またアロウズから脱走したマネキンたちは着々とカタロンとの連携を進め、状況は急速にヴェーダ奪還を賭けた最終決戦へと向かってゆくが、もしそれがなかったとしても、遠からずアロウズは内部から瓦解していたのではないか。

ところで、正規軍のクーデター計画について、スメラギはヴェーダを握っているイノベイドが計画を知ったうえであえて見逃していたのではないかと疑う場面がある。この考えが正しかったことは後のリボンズのモノローグによって証明されているが、何のためにリボンズはクーデターを放置したのか。
クーデター派が占拠した低軌道ステーションを、滞在していた一般市民ごとメメントモリで吹き飛ばすのまで含めてリボンズの計画の内だったわけだが、なぜリボンズは大勢の一般市民を犠牲にするような手段をわざわざ取ったのだろうか。
犠牲者の数が多いほど、それも連邦に属する一般人であればそれだけ連邦市民の“反政府勢力”への怒りを喚起できる、(小説版によれば)結果人類の意志統一がより進むといった計算があったようだが、上で書いたように、一般連邦市民はともかく、アフリカタワー周辺にいた正規軍とアロウズの兵士たちまで欺ききることはできない。リボンズが人間ではなく、かつ人間を見下しているがゆえに人間心理を読み損なったのか。
思うに、“一般市民の虐殺を行い、その罪を反連邦勢力に負わせることで人々の連邦及びアロウズへの帰属心を高める”というのは虚偽の理由づけではないか。リボンズは本気でそう思っていたかもしれないが、イオリアの意を汲むヴェーダの思惑は違っていたのではないか。
「僕の平和を壊したのは君たちだ!」と叫んだ沙慈に「自分だけ平和ならそれでいいのか?」と答えた刹那や、「(中東再生計画が実行されても)世論は受け入れるでしょうね。誰も困らないからよ」と諦めたように答えたスメラギの言うように、自分の身に火の粉が降りかからない限り虐げられている人間の苦しみを見ようとしない、自分の周囲にしか関心を持たない連邦加盟国の人々に喝を入れ、現実に目を向けさせることがクーデター計画見逃しからブレイクピラーまでの一連の行為の真の目的だったのではないだろうか。
「たとえ痛みが伴おうとも」「市民たちを目覚めさせる」との一念からクーデターを決行したハーキュリー大佐の想いは報われたと言えるだろう。彼が望んだよりもはるかに凄惨な形でではあったが。

こうした下準備によってアロウズや連邦政府の武力頼みの政策、強権的手法に対する疑念を少しずつ醸成させておいたところへ、最終決戦でソレスタルビーイングがヴェーダを奪還したことによって情報統制が解除され、一気に世論が覆るに至る。そして平和の旗印としてヴェーダが白羽の矢を立てたマリナをシンボルとした、武力解決よりも温情主義・宥和主義を良しとする新時代が幕を開ける。
人類初のイノベイターとイオリア計画の根本ともいうべき“人類はわかりあう必要がある”という理念を体現し平和の象徴ともなったマリナ、この二人がともに中東の出身なのは偶然なのか。「イオリア・シュヘンベルグ」の項で書いた“ストレスが成長、進化を促す”という理屈でいけば、中東という地域に加えられた多大なストレスが彼らを生みだしたと言えるのかもしれない。

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