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貞応二年(1223) 源頼朝 実朝 両公菩提の為、頼朝の妻である北条政子が建立。 明治三十三年 国宝に指定。 大津石山寺 多宝塔に次いで日本で2番目に古い多宝塔。 |
金剛三昧院 多宝塔の説明より |
余談ですが・・ 鎌倉幕府が編纂した幕府の歴史書「吾妻鏡」には、実朝はこの金剛三昧院に 葬られたと記録されているようですが、鎌倉の寿福寺にある母・政子のお墓の 隣にも実朝のお墓があります そして又、実朝の首は金剛三昧院でも寿福寺でもなく鎌倉から30km離れた 秦野市の「御首塚」(みしるしづか)に葬られています 実朝を暗殺するよう公曉をそそのかした三浦義村の元に持ち込まれた実朝の首 その首の処分に困り、三浦氏は近しい間柄にあった波多野氏の領地内に首塚を 建立したと考えられています |
重要文化財 大門 指定 昭和40年5月29日
高野山の盆地の西端にあたり高野山の西の入り口の正門である。重層の五間三戸、入母屋造、銅瓦葺の楼門。 大門は元禄元年(1688)に炎上し、宝永二年(1705)に落慶した。それが今の門である。 |
大門の説明より |
※ 高野山は和歌山県ですが、一連の話の流れの都合上カテゴリーは【奈良】に入れました
ちょこっと和歌山 |
一度 寄ってみたいと思っているお寺です。
大津石山寺に次いで2番目に古いという多宝塔は歴史を感じますね・・・
私が昨年の秋に行った常寂光寺にも多宝塔があって、
紅葉とマッチしていていい眺めだったことを思い出しました
あちらは桃山時代のものだそうです。
金剛三昧院!懐かしい!!!
ここで毎年書道の練成会があり数日泊り込みでした。
丁度主人もここで林間学校があり生徒を連れて行ってました。
でも、この多宝塔のこと知らなかったです。
泊まって字を書くだけとは情けない事です。
朝晩はすっかり凌ぎ易くなり、虫の音も
いちだんと賑やかになってきました。
高野山へ行かれたのですか?
高野山には数回行っていますが、歴史に疎い
私は多宝塔のことなど知りませんでした。
yoccoさんは、本当に博学でいらっしやいますね。
和歌山にも 源氏ゆかりの塔が現存している諸説が興味深いです
義経も奥州での自害説以外に 北海道まで生き延びてアイヌ民族と交流した伝説や名所まで!!あります
今回の旅は 奈良~和歌山と広範囲で しかもプランにロスがない濃密さですね
実朝に公暁、三浦氏に和田氏・・・
そんなことを思い浮かべながら大門の写真を見たら、鎌倉の血塗られた歴史の赤に見えてきました。
高野山も行かないと。
なかなか行く機会がなく
こうやって拝見して、ますます行きたい気持ちが大きくなりました
あぁ~yoccoさんが行かれた所
全部いきた~~いw
時代の背景を想像しながら
見て回ると一味も二味も違いますよねw
私も高野山へは今回初めて行きました
今回、残念だったのは完売で美味しいごま豆腐を食べられなかったことです
常寂光寺の多宝塔はいいですね
いかにも京都らしい雰囲気があり、私も好きです
わざわざ金剛三昧院まで多宝塔を見に行く人がどれだけいるのでしょう
東大寺の転害門もそうですが、拝観料をとるわけでもなく
国宝なのに無造作にそこにあると言う感じです
もったいないですね
ごま豆腐は召しあがりましたか?
ごま豆腐が大好きな私は、それを楽しみにしていたのですが
時間的に遅かったので有名なお店はみな完売でした
旅行前に調べてびっくり、金剛三昧院の前身は
北条政子が夫源頼朝菩提の為に創建した禅定院と言うお寺だったそうです
そうそう
義経は大陸に渡ってジンギスカンになったなどと言う突拍子もない説も有りますね