想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

 主観から客観へ 今、地球が危ない! 

2021年06月05日 | エッセイ
コロナ2年9月5日

∞ミクロ←自分→∞マクロ
 こんなことに想いをめぐらしている自分が今ここにいる。はてさて、宇宙は膨張しているという人もいる。私には分からない。事実の確かめようがないから。
 もともと無限大に大きいのだから、膨張しても意味はないのではないかとも想う。宇宙がとてつもなく大きなものなら、ウイルスの住むミクロの世界もまた、途轍もなく小さな世界ではないだろうか。どちらにしても、これらは人間の大きさを中心に考えているいわゆる主観論的な考え方だ。
 ウイルスから人間を見ればそれは途轍もなく大きな宇宙そのものだろう。ウイルスは人間から見れば観察可能な究極の小さな物体であろう。しかし、ウイルスの立場に立てば、もっと小さな物は無限にあるのだろう。そう考えると、人間が見ている世界は相対的なものだろうと予想はつく。
 多分、絶対的には極小も極大もどこまで行っても限りはない。だから、∞という記号が考え出された。宇宙という空間には限りはないのだと想う。
 キリスト教では過去に地球がすべての中心であり、すべての宇宙は地球を中心として、動いていたと解釈されていた。今、思えば随分と自己中な考え方だと思う。それが、ある時、コペルニクスにより否定された。きっと、彼は自分を超えて客観的に地球を見つめていたのだろう。
 いつの時代も、主観でしか物が見れない人がいる。しかし、この主観は客観の上に成り立っているのだ。
 コロナ禍の世界もこの主観で考えれば、早くコロナを撲滅し征服し人間界を中心にことをすませたいと願うだろう。
 しかし、世界は人間だけで成り立っているんではないという客観的な立場に立てば、私たちの幸せも地球号があってこそなのだから、その中で考えないといけないという結論になる。
 人間中心の主観から地球中心の客観に頭を切り替えていかないともう地球が持たない所に来ている。沢山のグレタさんの出現が必至な時なんだ。地球がだめになれば、人間も生きていけない世の中になって来ているのだということを理解せざるをえない時代になっているのだ。
 すべて主観は客観という上に成り立っている。まあ、あくなき欲望の資本主義も即刻方向転換をしていかないと、もう、地球という客観ももたない所に来ているという事だ。実態経済を上回って貨幣経済だけが膨張していることはありえない。今こそ、全世界が一丸となってエゴを捨て、パラダイムシフト変換をしていかないと人類そのものが危なくなっている。どこまで、エゴなのか、人間はと想ってしまう。
 プラごみの問題も、昨夜NHK特集でやっていたが、危機的状況のようだ。また、どこかで、この辺を述べてみたい。
 先進国や国連が中心となって、この時代をどうするかを真剣に考え実行に移してほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする