震災9年4月2日
最初、テレビで令和と聞いてびっくりしました。平成の時と、随分違っていたからです。名前も従来の感覚ではとらえられない、新しい令という字が使われ、多分、この名前を考えた人は殆ど皆無ではないかと思います。そういう自分も、
光和 光仁 光明 光信 光武 光民 光平
等の常識的な名前を考えていました。ただ、私が考えた和が一つだけ入っていたのはよかったです。
令和と聞いた時は令の音がなんとなく、冷えと音が重なってしまって冷たくよそよそしく感じてしまいました。それは多分大多数の人もそう思ったでしょう。律令の令、とか、命令の令などマイナス面ばかりが心に残ってしまったのです。
その後、出店が万葉集と分かり、日本古来のものだと喧伝されていましたが、なぜ、そこにこだわるのかなと思ってしまいました。それは、将来の日本を考えた時に、国際化が避けられないと思っていたからです。少子化による労働力不足からの移民受け入れや、外国人旅行者の増大、ITの普及による世界とのつながりなどが頭をかすめていたからです。また、今後の世界はより一つに向かっていっているという世界の流れがあったからです。
その後、総理のお話では「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる日本でありたい、との願いを込めた」と語ったお話や「令和」の出典は「万葉集」巻五の「梅花(うめのはな)の歌三十二首并(あわ)せて序(じょ)」。「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」から引用されたとのお話もあり、だんだん自分にも馴染んできました。
令という字は、