震災6年2月5日
最近、どのテレビ局もM選手の薬物乱用事件で持ちきりです。これは、単にM選手のみでなく、社会の重大問題です。まず、問題はこのことにより、本人の人格はもちろん、家族、しいては社会や集団にも大きな影響が及ぶということです。
昔は暴力団などの特定な人達が使用していたらしいのですが、今や、一般人にも蔓延しているのが、大いに気になるところです。
どこかの小学校の校長先生や教務主任までもが、常飲していたというから、開いた口がふさがりません。ついに教育界に迄、浸透して来たかと、愕然とします。
飲んで仕事をしたら、効率が上がったとか、不安が無くなったとか、色々な理由があるようですが、単に一時的なもので、その後の大きなマイナス面を考えると、割にあいません。
さて、この薬物問題ですが、この芽はどこに隠れているのでしょう。麻薬じゃないからいいやという、安易な薬依存の社会風潮もあるのでは無いかと思います。
本来、薬は人間に取って異物であるという薬に対する認識不足です。人間には祖先から頂いたという自然治癒能力があるという、当たり前のことが、欠けているところにあると思えてなりません。それが、徐々に常用化され、効き目がなくなり、より刺激的なものに移り、麻薬へとハードルを低くしていくのです。
極論すれば、たばこの常用も同じようなものだと思います。税金を払ってるんだからなんて、空威張りをしないで、これも、やめた方がいいです。周りの人にも迷惑です。
一般的に人は風邪をひくとすぐ、すぐ、薬を飲むとか、医者に行きます。それが、今のむしろ常識です。この常識はよくよく人間の体を考えると非常識だといえます。よく考えると、この短絡的な発想の先に薬物事件の問題があるように思えてなりません。
風邪薬も麻薬も本来は人間にとって異物なんだという、基礎的な教えが欠如しているように思います。人間は生身であり、息をしてます。体温も持っています。また、高等な精神を有しているのです。昔の人はよくいったじゃないですか、心頭滅却すれば火もまた涼しとね。 頭が痛いから、頭痛薬を飲む。すると、頭痛から解放されるという短絡な思考が大変なことになる端緒となるのです。頭が痛ければ仕事のペースを下げるとか、なぜ、頭が痛くなったのか、自分で原因を考えるとか、するのが本筋であろうかと思います。頭痛→薬という現代人にとって便利な思考をカットする必要があります。
学力不振→塾通いも同じパターンだと思います。その前に、すべての事象は因縁果で動いていることを自覚し、また、諸行無常を思い浮かべ、その状態はいつまでも永遠に続くものでないという、自然の摂理を肌にしみこませていれば、このようにならないのにと、残念でなりません。
スポーツや勉強だけができるというバランス感覚にもよると思います。一つだけ、とんがらないと、その目的は達成しないのも、一面、事実だろうと思いますが、大きなバランス感覚の中でそれはかなえられないと、後の、リアクションが大変です。
かえって、それが、足手まといになり、素直な自分が見れなくなったのだろうとも思えます。本来、人に貴賤はないのです。誰にも、埋もれている価値があるように仕組まれてこの世に誕生しているのです。それが、この世だと思います。
過去の名声や過度の実力だけが一人歩きして、自分だけ特別な人間だと思っている奢りが変な自尊心に通じてしまって、にっちもさっちも行かなくなっているのです。
ものには程があるという、程差を知り、足るを知らないといけないのです。常に謙虚な人間、畏敬の念を抱いている人間にはそういうことはあり得ないと思います。
この体に宿っている最高のものが、自然治癒力です。それが、尽き果てると、いわゆる寿命となるのです。天寿を全うするというのは、このことだと思います。ですので、薬はあくまで補助手段であり、自然治癒能力を最大限発揮させる呼び水として使うようにして欲しいとつくづく思います。
日本の医療制度は世界的に見てもよい制度だと思いますが、これが、仇となり、薬が大量に消費され、無駄遣いされているのも事実です。私たちはもっと賢くなり、この制度を上手に使っていかなくてはなりません。薬に垣根を低くしてはいけないのです。
日本の薬使用量は多分世界最高だと思います。このことは、必要以上に薬を多用している証拠だと思います。医者と薬は、よくよく慎重に選び、最後の最後の頼みとして利用されんことを願います。
その前に、人間には自然治癒の力という素晴らしい力が誰にも宿っていると言うことをあらためて考えてほしいと思います。
単なる風邪などは医者に行ったから直ったのでなく、ほっておいても、医者に行く頃にはもう、直りかけていることが大部分です。
人間生きることを考えると、大変ですが、死ぬことを考えると滅多にしなないものです。だから、平均寿命が80歳にもなっているのです。
すべてのことの最終目標は幸せですから…。このベクトルの方向の中で、成果を考えていかないと、今はよくてもやがてそれは将来に禍根を残してしまうことになりかねません。幸せという抽象的な言葉は、実態や形が見えにくく、人にもわかりにくいものだと思いますが、要は、一人ひとりが幸せの砦を心に築く努力をすることです。その過程が大切です。そして、高度な洗練された精神の世界を一人ひとりが構築していって欲しいです。
精神の世界は形がありませんので、永遠の命に繋がっていくものなのです。薄っぺらな人間にならないでください。薬で直ってもそれが無くなれば、また、元通りになってしまいます。お金も使えばなくなります。
自然治癒能力を高めればそれは永遠に繋がっていくのです。人間の本来持っている自然治癒能力とはなんぞや、と、ゆっくり考えてみたいと思います。それが、尽き果てたとき親の元に帰るのかなと思うこのごろです。
諸行無常、生きていることは常々変化していることかとつくづく思います。