想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

カフェタイム

2016年02月06日 | エッセイ

震災6年3月8日

(ヨーグルト生活)で高機能ヨーグルトをたっぷり飲みましょう

 誰も、ふと、息を抜きたいことがあるでしょう。そう、今日は、好きな音楽でも聞いてみましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=ssIemc6ob5U ボレロ

 確か、中学生の頃聞いたように記憶しています。私たちが中学生の頃は、8教科が高校受験でありましたので、音楽ももちろんテスト科目になります。何回も聞いて覚えたように思います。今、聞いていますと、段々、音が大きくなって遠くから近づいて来る様子が思い出されます。単純なリズムの繰り返しのようですが、これが、心の安定というか癒しになるんでしょうね。何度聞いても秋がきません。Simple is beautifulですかね。

https://www.youtube.com/watch?v=HHnXd5navZw グノーのアベマリア

 これも、単純なリズムの流れの中で主旋律がまるで、気流の流れのように、ゆっくり、流れて来ます。時に、その流れがおおきくなったり、小さくなったり変化し、とうとうと流れてゆくゆったり感の中の高揚が何ともいえないです。感性とは理屈を超えていますね。いいものはいいです。

 https://www.youtube.com/watch?v=MAg6RtRonO0  アヴェマリア

  まさに天使の声が聞こえてきます。アベマリアと歌うその声はまさに天使の声、少女の歌声はどこまでも周りに伝わります。癒されます。若き日のよき想い出がよみがえります。クラッシックはいいですね。深みがあります。奥行きがあります。

 https://www.youtube.com/watch?v=vws-xQiAHlI シューベルトのアベマリア

 何度聞いてもこの曲もいいです。底辺を同じメロディーが流れているのがいいのかな。心が落ち着きます。同j流れが静かに続くと安心感につながっていくようです。母の胎内にいるような感じでしょうか。受胎期の赤ちゃんの精神状態が思い浮かんできます。
 透明感のある声がよけいに宗教観を盛り立てています。

(ヨーグルト生活)で高機能ヨーグルトをたっぷり飲みましょう
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最近の薬物事件から想う

2016年02月05日 | エッセイ

震災6年2月5日

 

 最近、どのテレビ局もM選手の薬物乱用事件で持ちきりです。これは、単にM選手のみでなく、社会の重大問題です。まず、問題はこのことにより、本人の人格はもちろん、家族、しいては社会や集団にも大きな影響が及ぶということです。

 昔は暴力団などの特定な人達が使用していたらしいのですが、今や、一般人にも蔓延しているのが、大いに気になるところです。

 どこかの小学校の校長先生や教務主任までもが、常飲していたというから、開いた口がふさがりません。ついに教育界に迄、浸透して来たかと、愕然とします。

 飲んで仕事をしたら、効率が上がったとか、不安が無くなったとか、色々な理由があるようですが、単に一時的なもので、その後の大きなマイナス面を考えると、割にあいません。

 さて、この薬物問題ですが、この芽はどこに隠れているのでしょう。麻薬じゃないからいいやという、安易な薬依存の社会風潮もあるのでは無いかと思います。

 本来、薬は人間に取って異物であるという薬に対する認識不足です。人間には祖先から頂いたという自然治癒能力があるという、当たり前のことが、欠けているところにあると思えてなりません。それが、徐々に常用化され、効き目がなくなり、より刺激的なものに移り、麻薬へとハードルを低くしていくのです。

 極論すれば、たばこの常用も同じようなものだと思います。税金を払ってるんだからなんて、空威張りをしないで、これも、やめた方がいいです。周りの人にも迷惑です。

 

 一般的に人は風邪をひくとすぐ、すぐ、薬を飲むとか、医者に行きます。それが、今のむしろ常識です。この常識はよくよく人間の体を考えると非常識だといえます。よく考えると、この短絡的な発想の先に薬物事件の問題があるように思えてなりません。

 風邪薬も麻薬も本来は人間にとって異物なんだという、基礎的な教えが欠如しているように思います。人間は生身であり、息をしてます。体温も持っています。また、高等な精神を有しているのです。昔の人はよくいったじゃないですか、心頭滅却すれば火もまた涼しとね。 頭が痛いから、頭痛薬を飲む。すると、頭痛から解放されるという短絡な思考が大変なことになる端緒となるのです。頭が痛ければ仕事のペースを下げるとか、なぜ、頭が痛くなったのか、自分で原因を考えるとか、するのが本筋であろうかと思います。頭痛→薬という現代人にとって便利な思考をカットする必要があります。

 学力不振→塾通いも同じパターンだと思います。その前に、すべての事象は因縁果で動いていることを自覚し、また、諸行無常を思い浮かべ、その状態はいつまでも永遠に続くものでないという、自然の摂理を肌にしみこませていれば、このようにならないのにと、残念でなりません。

 スポーツや勉強だけができるというバランス感覚にもよると思います。一つだけ、とんがらないと、その目的は達成しないのも、一面、事実だろうと思いますが、大きなバランス感覚の中でそれはかなえられないと、後の、リアクションが大変です。

 かえって、それが、足手まといになり、素直な自分が見れなくなったのだろうとも思えます。本来、人に貴賤はないのです。誰にも、埋もれている価値があるように仕組まれてこの世に誕生しているのです。それが、この世だと思います。

 過去の名声や過度の実力だけが一人歩きして、自分だけ特別な人間だと思っている奢りが変な自尊心に通じてしまって、にっちもさっちも行かなくなっているのです。

 ものには程があるという、程差を知り、足るを知らないといけないのです。常に謙虚な人間、畏敬の念を抱いている人間にはそういうことはあり得ないと思います。

 この体に宿っている最高のものが、自然治癒力です。それが、尽き果てると、いわゆる寿命となるのです。天寿を全うするというのは、このことだと思います。ですので、薬はあくまで補助手段であり、自然治癒能力を最大限発揮させる呼び水として使うようにして欲しいとつくづく思います。

 日本の医療制度は世界的に見てもよい制度だと思いますが、これが、仇となり、薬が大量に消費され、無駄遣いされているのも事実です。私たちはもっと賢くなり、この制度を上手に使っていかなくてはなりません。薬に垣根を低くしてはいけないのです。

 日本の薬使用量は多分世界最高だと思います。このことは、必要以上に薬を多用している証拠だと思います。医者と薬は、よくよく慎重に選び、最後の最後の頼みとして利用されんことを願います。

 その前に、人間には自然治癒の力という素晴らしい力が誰にも宿っていると言うことをあらためて考えてほしいと思います。

 単なる風邪などは医者に行ったから直ったのでなく、ほっておいても、医者に行く頃にはもう、直りかけていることが大部分です。

 人間生きることを考えると、大変ですが、死ぬことを考えると滅多にしなないものです。だから、平均寿命が80歳にもなっているのです。

 すべてのことの最終目標は幸せですから…。このベクトルの方向の中で、成果を考えていかないと、今はよくてもやがてそれは将来に禍根を残してしまうことになりかねません。幸せという抽象的な言葉は、実態や形が見えにくく、人にもわかりにくいものだと思いますが、要は、一人ひとりが幸せの砦を心に築く努力をすることです。その過程が大切です。そして、高度な洗練された精神の世界を一人ひとりが構築していって欲しいです。

 精神の世界は形がありませんので、永遠の命に繋がっていくものなのです。薄っぺらな人間にならないでください。薬で直ってもそれが無くなれば、また、元通りになってしまいます。お金も使えばなくなります。

 自然治癒能力を高めればそれは永遠に繋がっていくのです。人間の本来持っている自然治癒能力とはなんぞや、と、ゆっくり考えてみたいと思います。それが、尽き果てたとき親の元に帰るのかなと思うこのごろです。

 諸行無常、生きていることは常々変化していることかとつくづく思います。

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恵方巻から想う

2016年02月03日 | エッセイ

 

 我が家でも、昨日は恵方巻の寿司を食べました。先日妻から頼まれて、サークルKに行って予約をしておきました。毎年、マスコミの影響からか、豆まきの時期になると、恵方巻が話題になります。

 いつ頃のころだったか恵方巻がはやりだしたのは、確かコンビニで宣伝が始まった様に記憶してます。調べて見ましたら、昭和64年頃にセブンイレブンで広告があったそうです。そんな、訳で、我が家でもいつの間にか、節分に恵方巻を食べるのが、日課になりました。

 「今日は、お父さん、恵方巻だから、楽しみにしてね。それに、おすましでもつけようかしら。」
そんな、会話が朝、我が家に響きました。夕食が楽しみです。寿司といえば、回転寿司もポピュラーになり、日常に食べることが出来るようになりました。

 こうして、見ると、日本の日常も全体的には随分進歩してきたなと想います。貧困の二極化が叫ばれている時代ですが、庶民が寿司を食べれるなんて、幸せなことです。

 回転寿司のない時代には、寿司は高級品で滅多に食べれませんでした。最近は、おいしい食べ物が多く、そういう面では幸せになりました。感謝感謝です。寿司といえば、独身時代、アパートの隣の方が富山出身ということで、実家に帰るとよく、マスの寿司を持ってきてくれました。郷土の料理もまた、その土地の香りがしていいものですね。その彼もいいやつでした。

さて、節分と言えば、昔は豆まきがありました。最近、だいぶ恵方巻の日に取って変わって行くような気もしないではありません。私たちの祖先が気付きあげてきた、よき伝統は守って行きたいものです。

 どんどん移り変わっていく食生活の中で、家族がそろって何か同じものを食べ、一年の幸せを祈る、これは素晴らしいことだと思います。歴史の重みはこんな所に伝統となって流れて来ているのですね。

 本来、私はあまり伝統は好きではないのですが、こういう意味の伝統はよき伝統として残したいですね。伝統に縛られるのいやですが…。

暦の中で考えてみましょう。

◯1月 おせち

 お正月でおせちを食べます。これも、主婦の知恵で、保存が効くため、忙しい正月の料理から解放されることかららしいですね。また、他の意味もあるらしく、お節とも書きますので、色々意味があるようです。

 中に入っている具材も意味があるんですね。

・数の子…子孫繁栄
・黒豆…豆に働く
・田作り…五穀豊穣
・叩きゴボウ…家の基礎の堅牢(根がしっかり生えているからでしょう。)
・かまぼこ…紅白でおめでたを表す。赤は魔除け、白は清浄。昔から祝い事には紅白を使います。
・伊達巻き…知識が増えるように
・きんとん…黄金にたとえて金運を呼ぶ縁起物(そういえば、金色をしてますね。)
・紅白なます…水引をかたどっているとされ、平安や平和を願う。

これだけでもおめでたを感じます。

※のしの水引                山野草のミズヒキ

「水引き」の画像検索結果「山野草 ミズヒ...」の画像検索結果

・ぶりの照り焼き…出世魚(照りがいいですね。また、雰囲気を盛り上げてます。照りを出そうとする日本人の感性がいいです。さすが、日本人という感じです。)
・鯛の姿焼き…めでたい
・車エビの艶煮…茹でるとお年寄りのように腰が曲がることから、長寿でいられるようにという願いが込められている。
・煮蛤…夫婦円満
・昆布巻…「こぶ」は「よろこぶ」
・レンコン…見通しがきく
・サトイモ…子孫繁栄
・ちょろぎ…長寿
見ているだけで、おめでたいですね。

○ 七草粥
◯2月 豆まき、恵方巻 ひな祭りで菱餅

◯5月 端午の節句で柏餅、ちまき、桜餅

◯7月 土曜の丑 
 昨年は一回も食べなかった様に記憶してます。庶民にはだいぶ遠い存在になりました。今年は、是非食べたいとおもいまうす。

◯9月 お月見団子

ざっとあげれば、お祝い事や行事には必ず、おいしい食べ物がありましたね。日本人の感性には感心してしまします。いいものはできるだけ、次の世代にも残していきたいです。

 この年になりますが、まだまだ、日本の古きよき伝統は知らないことばかりです。少しずつ、勉強していきたいです。

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日本の皆保険制度から想う

2016年02月02日 | エッセイ

 



震災6年2月3日

 今回は日本の保険制度について想っていることを述べてみます。 日本には冠たる保険制度があり、医療には困らないですね。という、話を海外からよく聞くことがあります。いいことばかりでしょうか、常日頃から想っていることを、述べてみたいと想います。便利な制度があるせいで、患者は軽い病気でもかかるようになり、医療費を無駄にしてしまう傾向がきぐされます。医者は過剰に薬を出し、その多くが無駄にすてられています。 治療費を事前に保険として、負担していることを忘れ、薬を簡単に多用することにより、本来、誰にも備わっていたはずの自然治癒力が損なわれていくことに、だんだん気づかないようになっていないでしょうか。どうも、日本人の薬好きの背景には保険を使えば、コストがかからないという安易な考え方が根底にないのでしょうか。かねがね気になっているところであります。

 

 そのため、安易な薬の多用は免疫力も衰えさせ、いざというとき、薬の効果が薄れていくということになりかねません。そのことに気づかない人がどんどん増えている感じがします。

 

 医療制度は、このことをもっと、考えていかないと補助手段であるはずの薬が返って将来大きな副作用となって降りかかって来るような気がしてなりません。支援学校でも他動で授業に困るからと、おとなしくなる薬を使たり、眠れないとすぐ、睡眠薬を使うことがあるようです。やれ、血圧が高いといって、その原因をのぞくことを考えずに数値だけ低下させる薬を服用し生物が持っている本来の生きる力が医療により逆に弱められているように想います。

 

 清原選手の薬物使用の問題も始めは軽い気持ちでやっていたのが、薬の為の薬の悪循環に陥って行ったのは明らかなことでしょう。そういう安易な考え方の中に保険制度が組み込まれているとしたら、大変なことです。

 

 薬物乱用は人間には本来自然治癒能力あるということを忘れているのではないでしょうか。保険で便利だからと異物である薬を安易に使うこととよくにていると思いました。 やはり、子どもの頃から、安易に薬は多用しないで、本来生物は自然治癒能力を十分備えて誕生していると言うことを酸っぱいほど、教育されてくるのがいいと思いました。

 

 さて、以前、コミュニティセンターに勤めていた頃、男性のトイレをのぞくと、タイルの下に沢山の結晶のような白いものが落ちていることがよくありました。これを見て、私はいかに高齢者が薬漬けになっているということがよく分かりました。病気をしたら薬を飲むという短絡的な回路をもう一度見直して、なぜ、病気になったかという過程を反省して、生活改善をすることによりよくなることは無いだろうかと自問自答することが大切だと思いました。脚力が弱ったから、ほら、グルコサミンとか、コンドロイチンなどという、宣伝に惑わされないで、短絡的気に薬を飲むと言う行為から、ちょっと、待ってみると、最近は運動してないな、これが原因かもと、考えて、もっと、運動をして脚力をつていかないと、薬にすぐ頼っていては、だめだと思います。

 

 本当に薬が必要で飲んでいるのだろうか。疑問に思ってしまいます。

 

 保険制度が悪いといっているのではありません。世界に冠たる日本の保険制度です。この互助組織はすばらしいですが、これをどう、運用、利用したらいいかの面で医者や薬業界の利益至上主義に載せられていないかをもっと、自覚して欲しいと思います。利用する良心みたいなものが大切です。どんな立派な制度を作ってみても、利用する本人がしっかりしていないと、返って自助努力をそこなってしまいます。本当はもっと、もっと、保険料も安くできるはずです。過剰医療といわれて久しく、使う側の良心が問われていると思います。

 

 以前、目医者に行って、驚いたことがありました。目の周りが腫れたので、そこを見てもらいたいといって通院したのですが、まず、視力を計る。何の為に計るともいわずに看護師さんが、訳もなくやっている感じでしだ。その説明も後で、ある訳でなし、これには参ってしましました。素人でもその医療が無駄だと分かりました。 本来なら、まず、医者が患者を診察し原因を探る方策として、視力を計るなら分かります。順序が逆になっていて、最初から、訳もなく視力検査をするのでは、何の為の検査かわかりません。患者ももっと、賢くならなければいけません。これで、保険の請求ポイントがあがる仕組みになっています。この視力検査は、眼科ではどの病院もやっていますが、過剰医療の一因だと思います。この辺にもメスを入れてほしいものです。薬価改定ばかりでなく、その辺にも問題がありあそうです。

 

 風邪なども西洋ではやたらに医者に行かないということを聞いたことがあります。命に関わる重大な病気でなくても、日本人はすぐ、病院に行きます。本来の人間が持っている自然治癒力の偉大さに気がついていないみたいです。医者も訳も分からなくても、病名をつけます。その為の、薬が処方されます。この繰り返しで日本の医療費は増大の一途をたどっています。

 

 ばい菌があるから病気になるのではなく、人間の体のバランスが崩れたときに、病原菌にふれると体調を崩すのです。その本来の考え方が、どこかにいってしまい、風邪を引く→病院に行くが短絡的になされていることを反省する必要があります。そうすれば、もっと、医療費は減るはずです。医療は最後の砦だと思ってもっと、思慮深く利用することが今、日本国民に求められています。

 

 日本の医療も、やっと、健康寿命をいうようになりました。いい傾向になってきたと思います。現実は、高齢者の増加により、益々の社会保障費の増大に頭を悩ましている官僚の発想でしょう。でも、いいことなので、実践していきたいです。 当たり前のことが、やっと日の目をみたようなものとなりました。健康であってこそ本来の長寿になるのです。

 

 薬を飲んだり医者にかかることを考える前に、自分の体の管理をしっかるする術を学ぶべきです。

 

 私はかねがね、すべてのものは、水の流れのように流れてとどまることを知らないことがすべてだと思っています。世界も地球も人間の体も体液がさらさら流れるような状況を自ら作り出すことが健康につながることだと思います。

 

 日本に革命が起こらないのも、どうにか、下から上、上から下、そして、横にも色々な考えが流れているからでしょう。どこか、滞るところがあると、物質は必ずそこで、熱を発します。人間でいえば、病気の状態です。自然でいえば、なにか、マグマでもたまってきているのでしょう。電線でいえば、抵抗が強いほど熱を帯びます。そこで、一旦滞って熱が出るのです。その熱がでることにより、その状態を解決しようとする力が働きます。その状態を人間では病気といっているのです。

 

 物質には究極に超伝導という現象があります。ですので、最終的には人間にもそのような状況下になる人もいるのでしょう。その人こそ、天寿を全うする人です。

 

 本来の人間の持っている体液を流そうとする自然治癒力が発揮できるような環境を作る必要が体の中でもあります。ほどほどに、体を動かす、頭を使う、神経を使う、周りに気遣う。どれもが、神経や肉体を動かすことにつながります。健全な精神に健全な肉体が宿ります。 そういう、私もいつ、医療のお世話になるかもしれません。そのときは、よろしくお願い致します。



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