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想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

自然治癒力と医療

2017年12月23日 | エッセイ
【10枚】 平成30年(2018年) お年玉付き年賀はがき 犬のフジさん 無地 インクジェット
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 震災7年12月23日

 森羅万象、本来そこに生存しているということは、意義があってのこと、生物には本来、自然治癒力があります。その力をそぐような薬はいけません。

 人には寿命があるのです。天寿があるのです。体が朽ちるのはごく自然のことです。朽ちるべくして朽ち果てるのです。その流れを天寿と捉えないと、どこまでいっても幸せになれません。

 人の最終目標は幸せです。その為の補助としての医療です。エネルギーはたまれば圧力が高まり爆発するのが、自然の流れです。もっと、自然を眺める事が大切です。

 そこから、気づくことが大事です。永遠に生きようなどということは、人のエゴです。自分の体がどうなっているか、内省し見つめてください。この世には切りがあります。限界があります。人の体もいつか尽きて行くのです。

 病気はすべて体液の流れが正常でない状態です。

 古代ギリシャのターレスは「万物の根源は水であるにちがいない」という結論 に達しました。「水がその姿をいろいろに変えることによって,この世のすべ ての事物が生じるに違いない」とターレスは考えたのです。
胎児は90%、成人は60%が水で出来ていると言われています。病気は全て体液の滞りがあり、そこで炎症が起こっているのです。なぜ、そうなったか治療をする前に、よく考えをめぐらすことです。

 現代人は何でもすぐ、医療に頼ってしまいます。そこに最大の落とし穴があります。死ぬときは死ぬが宜しい。しかし、急いで死ぬことはない。死は黄泉の国の誕生です。

 そして、人はそこで、永遠の命を得るのです。何故人は死をそう怖がるのか?死と生は表と裏のようなもの。
紅葉の葉も裏を見せ表を見せて散ってゆくではないか、死を恐れ医療に頼るよりも、もっと人間を生物の一員として見つめようではないか、何故、人はこの世に誕生し、誰がこの世に誕生させたか、その使命は何なのか。

 この辺に深く想いを馳せた方がよろしい。人は生きるべくして生き死ぬるべくして死ぬのである。深く、自然の理を観察すれば答えは自ずとでてくる。これがじねんたる自然なのだ。


 想いは重ねれば、やがて、思想となり、信念となる。最後に信仰となり、これは、誰にも覆させることの出来ない不動のものとなる。

 最後に人を救うものはこの信仰である。信仰に勝るものはこの世に存在しない。この種の信仰を持てば、死も現生も同じ次元の世界になるのだ。

 現世には空間があり、時が流れている。全てのものに質量があり、物理的に存在している。粗密があり、過去、現在、未来の時の流れの中で全ての物が存在している。

 現世には限りがあり、諸行無常であり、絶えず変化して行く。形あるものは、いつか滅び、栄枯は盛衰して行く。物に溢れ物欲の世界だ。しかし、愛もあり、思い遣りにも溢れている。どちらを選ぶかは、個人の判断になる。

 死後の世界はどうだろうか、命を現世で終えた途端、魂は黄泉の世界に入る。そこは、質量や時間の流れもなく、空間もなく、勿論、無の世界である。

 魂は質量もないので、どれだけの魂も存在していても混雑はない。瞬時に移動も可能、そもそも時間と空間が存在しない世界なのだ。だから、無である。

 黄泉の世界を現世から考えるから分からなくなる。黄泉の世界こそ永遠の命の世界であり、現世は一時的な世界なのである。たかが、百年、されど百年の世界である。だから、まず、この世界で己の魂を磨き、永遠の世界に入って行きたい。

 永遠の世界は、愛と慈しみに溢れた世界と信じて、信じる者は救われる世界、幸せいっぱいの世界 viva nature!

 信仰に勝る者なし、良い信仰心を持とう!我以外皆師であり、自然は最高の教師です。

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