蓋を開けてみれば予想通り、参政党をはじめとした新しい流れが議席を増やし、自民党にとっては厳しい結果となりましたね。
まさに「なるようになる」と表現できる今回の選挙では、新しい政党も台頭しました。
このような状況下で、物価高の問題も重なり、私たちの生活は二極化がますます進んでいます。豊かになる層と、苦しい生活を強いられる貧困層。まさに私たちは、この厳しい二極化の中で日々の暮らしを送っているわけです。
今回の選挙、特に参政党という新しい動きが、日本の未来を変えていく可能性を秘めていると感じます。この流れの中で、憲法改正という議論も当然浮上してくるでしょう。
人が生きているということを丁寧に見つめていくと、私たちの身体は目に見えない流れによって支えられていることに気づきます。身体の中を絶え間なくめぐっている体液。その流れは、酸素や栄養を届け、不要なものを運び出し、細胞のひとつひとつを潤しています。
この体液の流れは、心臓の働きだけでなく、私たちの呼吸、姿勢、そして「心の状態」とも深くつながっています。神経系や自律神経が絶妙なバランスを取りながら、体のすみずみまで流れを導いてくれているのです。
私が感じているのは、さまざまな不調の原因が、この体液の流れに滞りが生じたときに現れてくるということです。流れがにぶれば、身体の一部に熱がこもったり、痛みや重だるさといった形で現れることがあります。
しかし、ここで見落としてはならないのが「心のあり方」です。心の持ち方によって、体の流れは大きく左右されます。不安や怒りは流れを閉ざし、深い呼吸や微笑みは、それを優しく解きほぐしてくれます。
例えば、ふとした拍子に物にぶつかったとき、それを周囲や物のせいにするのではなく、自分の気の緩みに気づき、そっと笑って受け止める。そんな柔らかな心の姿勢が、体の中の流れにも良い影響を与えるのです。
健康とは、単なる数字や見た目ではありません。体内をめぐる流れがスムーズであること、そして心が穏やかであること。その両方が重なったとき、本当の意味での健やかさが現れてきます。
最近、「自然食品」や「自然治癒力」という言葉が再び注目されています。高度に発達した現代の文明社会において、人工的な製品よりも、自然から生まれたものへの回帰が求められているのではないでしょうか。
そのなかで、私は「ゴマ」、特に「セサミン」という成分に注目しています。セサミンはゴマから取れる成分で、サントリーのサプリメントとして非常に人気を博しています。多くの方が健康のために日々摂取していることでしょう。
けれども、もともとセサミンは「ゴマ」の一部。ゴマは、日本では古来から使われてきた優れた自然食品の一つです。「ひらけゴマ」とは魔法の呪文のように使われ、そこにはゴマが持つ神秘的な力や価値が込められています。
江戸時代の東海道五十三次を旅した「やじさん・きたさん」も、竹の皮に包んだゴマ塩のおむすびを持って歩いたと言われています。それほどまでに、ゴマは庶民のエネルギー源であり、健康食だったのです。
ところが、近年では「サプリメント」という形でゴマの力が商品化されました。ネットで「ゴマの効能」と検索しても、最初に出てくるのはサプリメントの宣伝ばかり。昔ながらの自然食品としての情報は、どんどん埋もれていくばかりです。
本来、自然食品は「医食同源」という思想に根ざしています。食べることが治療にもつながる。そうした考え方が、古くから日本人の生活に息づいていたはずです。
私たちは、いまこそ自然に立ち返るべきではないでしょうか。人工的に加工されたサプリメントに頼るのではなく、昔から伝わる自然の恵みを見直し、安価でおいしく、しかも体に良いものを選び取る知恵が求められています。
自然は、人間の手で作られたものではありません。何千年もかけて形づくられ、今もなお変わらぬ姿で私たちの生活を支えてくれています。人間もその一部である以上、自然の原点に立ち返ることが、真の健康と豊かさへの道であると、私は信じています。
名もなく咲いた 朝の花
誰が気づくこともなく散る
だが それが美しいと
知る人はいる
誰のためでもない
自分の心に恥じないため
それが職人
誇りという名の
無言の証明

最近、私はふと「職人」という言葉について思うことがありました。
「職人気質(しょくにんかたぎ)」など、よく耳にしますが、この言葉にはとても広くて深い意味があるように思います。
私の父も、職人でした。
正確には、後年はサラリーマンとして働きましたが、その根っこには“職人気質”があったと思います。
真面目で丁寧で、仕事に誇りを持ち、納得いくまで手を抜かない姿勢――それが私の記憶に残っています。
思えば、日本には法隆寺という世界最古の木造建築があります。
あれも、道具ではなく“組み合わせ”だけで建てられていると聞きます。
それを手がけたのもまた、職人たちでした。
何百年、何千年を超えて残るものをつくりあげる――それはまさに、究極の技と魂の結晶でしょう。
そう考えていくうちに、私は気づいたのです。
この世にあるほとんどの職業は、突き詰めれば“職人”なのではないか、と。
お医者さんも、学者も、教師も、演奏家も。
みな、最初は理論や知識を学びますが、そこから経験を積み、実践を重ね、自らの体で覚え、工夫し、鍛え、技を深めていきます。
やがて、無意識に手が動き、体が反応し、判断が直感になる――。
それはもう、「体で語る」域に入っていて、“職人”と呼べるものなのです。
そしてその域に達した人には、自然と“光”が宿ります。
言葉にせずとも、見る人が見ればわかる。
その背中に漂う気配、手元の動き、佇まい――それがすべてを語っています。
そして、もしそこに少しでも「芸術的な要素」が加われば、その仕事はさらに美しく、魅力を増していきます。
理屈を超えた世界。魂が宿る世界。
そうした仕事をしている人々を見ると、私はただただ「すごいなぁ」と思います。
職人とは、学んだ知識を経験で磨き、身体に染み込ませ、血肉としたうえで表現する人。
つまり「表現者」なのだと思います。
その表現が、技術の中にあり、所作の中にあり、作品の中にあるのです。
そんなことを考えているうちに、「職人」という言葉の意味が、ますます深く、重く、ありがたく感じられるようになりました。
今の時代だからこそ、もう一度「職人気質(しょくにんかたぎ)」の心を見直すことが必要なのかもしれません。
私の家も戦争で焼けてしまい、長い間、バラックの家で暮らしていました。台風のたびに家が吹き飛ぶのではと恐れた日々も、今では懐かしい思い出です。けれども、あの頃は心がとても満たされていました。両親はやさしく、家族は仲良く、心は確かに“幸せ”だったのです。
やがて、小学校6年生のころ、父がどうにかお金を工面し、家を建てました。本来なら喜ぶべきことだったのでしょうが、私は前のバラックの家に対して不思議な懐かしさ、そして一種の郷愁のような気持ちを抱いたのを覚えています。壊れかけの家だったけれど、そこにあった温もりは何物にも代えがたいものでした。
また、「君の名は」という映画・ドラマも思い出します。「忘れずして誓う、我が心の悲しさよ」――そんな一節が印象に残っています。美しい言葉の裏には、あの時代の人々が大切にしていた“心の美”があったのだと思います。
今、日本は戦後80年を迎えました。政治も大きく揺れ動き、真の日本らしさを問う声が高まっています。外国人政策や中国の影響など、課題は山積みです。これからの10年は、混沌とした時代になるのではと危惧をしております。