読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【読了本】『つながらない生活』 「つながり過ぎ」で見失った自分を取り戻す、思索と知恵に満ちた一冊

2014-01-19 12:38:01 | 本のお噂

『つながらない生活 「ネット世間」との距離のとり方』
ウィリアム・パワーズ著、有賀裕子訳、プレジデント社、2012年


のっけから「告白」いたしますが、わたくしはつい3年くらい前まで、ネットにおける発信やコミュニケーションからは、遠く距離を置いた生活を送っておりました。
それが、スマートフォン(わたくしはiPhone)を手に入れ、ふとしたことからTwitterを始めてみたことを契機にして、劇的に変わりました。多種多様な情報に接することのできる重宝さに加え、発信することの面白さに病みつきとなりました。
その後、ブログやFacebookも始めることとなり、ネットでの情報収集と共有、発信は、すっかりわたくしの生活においても欠かせないものとなりました。その中で知り合い、つながることのできた方々は、今やわたくしにとっては財産ともいえる存在です。
しかしながら、それは良い影響ばかりをもたらしたわけではありませんでした。洪水のように溢れる情報や、時折目にするげんなりするような書き込み、はたまた「議論」とは名ばかりの罵倒合戦などに、いつしか疲れを覚えるようにもなっていきました。親しくさせていただいている方々の書き込みは逃しちゃいけないという、ある種の強迫観念も強く芽生えました。
読書量も減りました。ことに、多少込み入った内容の本を読むことがなくなっていき、それとともに自分がより一層薄っぺらい存在になっていくような思いが募ってきてもいました。
これではいけないのではないか•••。そう悶々としていた中で知ったのが、この『つながらない生活』という本です。

朝起きてすぐツイートしますか?
休日もメールを見ますか?
フェイスブックの書き込みが気になりますか?
毎日、充実していますか?


本書のオビに記されていた上のことばに、ハッとさせられるものがありました。多くの人たち、そしてわたくし自身が置かれている「つながり過ぎ」の状況を、あらためて突きつけさせられたような思いがいたしました。

本書の著者、ウィリアム・パワーズさんは、ワシントン・ポスト紙でテクノロジー担当記者を務めたこともある著述家です。
パワーズさん自身、テクノロジーがもたらした「つながり」により、恩恵と利便性がもたらされた一方で、それによって生み出される忙しさにも振り回されるという状況が生じました。それも、テクノロジーにより忙しくさせられるというより、自らの意思により忙しい状況を作り出したりもしているのです。そのことで、自分と向き合うために必要な余裕や、奥深い体験といったものが失われていることに、パワーズさんは気づきます。

「わたしたちはみんな、特殊なつながりの世界に夢中になるあまり、別のつながり方すべてを脇に追いやっている。なぜなら、誰かのそばで時間を過ごして相手に十分に注意を払うには、そのあいだ、世界中に散らばる大勢とのつながりを断たなくてはならないからだ。考え、感情、人間関係がうまく根づくように、〝ゆとり〟や〝あそび〟を生まなくてはいけないのである。」
「一つのツールが、おびただしい長所と途方もない短所を併せ持っている。長所を伸ばし、短所を減らすことができたなら、つながりに満ちた暮らしの可能性はとめどなく広がるはずである。スクリーンは自由、成長、最良の絆をもたらすだろうし、そうであるべきだ。」

そのような考えのもと、パワーズさんは歴史上に名高い7人の賢人たちの生き方や思索から、「つながり過ぎ」を打開するヒントを求めていきます。
その7人とは、プラトン、セネカ、グーテンベルク、シェイクスピア、ベンジャミン・フランクリン、ヘンリー・ソロー、マーシャル・マクルーハン。いずれの人物も、それぞれの時代にコミュニケーションのあり方が劇的に変容するようなイノベーションに接しながら、それによって生じた新たな「つながり」の中で迷い、悩み、思索を重ねた人びとでありました。

まずは哲学者のプラトン。彼が残した対話篇『パイドロス』の中から、パイドロスがソクラテスを誘って街中から離れた静かな場所でじっくりと語り合った、というエピソードが紹介されます。ここでは、大勢の人びととの「ほどよい距離」を見つけることの大切さが語られていきます。

「この本の趣旨にひきつけて述べるなら、プラトンは『パイドロス』において、デジタルのつながりにおいて新しい発想をするうえでの基本原則を示している。「慌しい世の中で深みと満足を得るには、まずは人混みから離れることだ」と。(中略)人生という名の馬車をよい方向へと駆っていくには、喧騒に満ちたこの社会でひしめき合う数々の馬車とのあいだに、いくらか隙間を設けることが欠かせないのである。」

逆に、喧騒から離れられない中であっても、自己の内面を深めることができることを教えるのが、古代ローマの哲学者であったセネカ。興隆していくローマ帝国で、慌しい喧騒と情報の洪水の渦中を生きたセネカは、狂騒の只中にあっても、自らの心を平穏に保つ術を身につけていました。セネカは書簡でこう記します。

「わたしは自分の考えに没入して、それ以外のものに気が散らないよう、強く自戒しています。心が平穏でありさえすれば、騒々しさはいっさいやり過ごせるのです」

ここでは、内面世界を深く旅することで、現実世界と距離をとることの意義が語られます。

3人目の賢人はグーテンベルク。そう、活版印刷の発明という、歴史に残るようなイノベーションを成し遂げた人物であります。
グーテンベルクが生きていた時代、本を読める人はごくわずかで、多くの人びとは本の中身を「音読」によって知るだけでした。そこへ生み出された活版印刷により、本の大量生産への道が開かれ、外界から影響や制約を受けずに内面世界を旅することができる「黙読」の文化が広まったのです。パワーズさんは、「今日わたしたちが尊ぶ自由や平等といった理念が根づいたのも、読書と、そこから生まれた考える習慣のおかげである」と、その意義を評価します。
同時に、本の中身とデジタル世界のあいだを交互に行き来したりもできる電子書籍リーダーを「つながりの絶えない書籍」とし、「ある意味これは、グーテンベルクの発明以前、一人で黙読する姿が怪訝な目で見られた時代への回帰ではないだろうか」とも述べています。
電子書籍についてはさまざまな考え方がありますし、それによって新しい本とのつきあい方ができるようになったことも事実ですが、このような視点からの考察は初めて目にしました。個人的には、いろいろ考えさせられるものがありました。

次に登場するのはシェイクスピア。代表作の一つ『ハムレット』の中で、印象的な形で登場する書き直し可能な手帳を取り上げたパワーズさんは、それが不要なものを消し去り、大切なテーマだけを残しておけることにより、心の重しを取り除く働きをしていたと指摘します。

「『悩まなくてもよい』。ハムレットの垢抜けた手帳はこう囁いた。『すべてを知っている必要はない。大切ないくつかの事柄さえ知っていればそれでよいのだ』」

さらにパワーズさんは、手帳の「形あるものとしての存在感」に魅了される、といい、「デジタル機器の強み(大勢とのつながりを容易にする力)が弱みでもあるのと同じく、紙の弱みは強みにもなりえる」と、ここでも紙であるからこそ持ち得る利点を述べています。

5人目の賢人は、事業、政治、科学などの多方面で活躍したベンジャミン・フランクリン。
さまざまなことに手を広げていくチャレンジ精神と社交性を持ち合わせていたものの、それゆえに生じた混沌や悪しき習慣を克服すべく、フランクリンは「13の美徳」を自らの行動原理として課しました。それらは「儀式が効果を生むためには、当人たちがその威力を信じなくてはいけない」との考え方のもと、いたずらな禁則ではない、前向きな面を強調したものとなっていました。

「自分の好ましくない点、改めたい点に目を留めただけでなく、なぜそれを改めたいのか、改善につながる内面の理由にも着目したのだ。そのうえで、自分で考えた儀式に従い、目標に向けて行動を変えはじめた。最初に理由を納得すると、前途は大きく開けてくる。」

「節制する」「余計なことは言わない」「中庸を得る」などといった、このフランクリン流「13の美徳」は、われわれ現代人にとっても、大いに参考にできる普遍性があると感じました。

次は、ナチュラリストのバイブル的な書物『森の生活(ウォールデン)』を著した、著述家のヘンリー・ソロー。パワーズさんは、ソローが社会から隔絶し、テクノロジーを否定するような「世捨て人や仙人」といったイメージ(実はわたくしもそうした印象を持っておりました)とは違うことを述べます。森の中に建てた小屋とはいっても都市部からさほど離れていない場所に位置していたことや、家業でもあった鉛筆製造でも画期的な成果を上げていた、とか。
その上で、世間との多面的な関係を途絶させることなく、少し距離をとって思索にふけり、内面へと回帰できる場所をつくる大切さを語ります。そしてそれは、何も世間から離れた特別な場所である必要はない、というのです。

「大切なのは場所ではなく哲学なのだ。人混みのなかでも晴れやかな気持ちでいるためには、誰もがささやかなウォールデンを必要とする。」

最後に取り上げられる賢人は、メディアの変容と人間との関係を考察し続けた文学者で評論家のマーシャル・マクルーハン。本書に登場する賢人たちの中で唯一、コンピュータの誕生後を生きた人物であります。
「あまりに理屈っぽく、いらだたしいほどもったいぶっている」がゆえに難解さを持つマクルーハンの言説から、「人間の心はテクノロジーからかつてなく大きな影響を受けているが、依然として自分の心であることに変わりはない」という洞察を得ます。

「何より大切なのは、主体性を持ち、経験は常に自分がかたちづくるものだと意識しておくことだ。四六時中キーボードを叩いてネット上での用事ややりとりに対処しているなら、それがあなたの人生である。それで幸せかもしれないが、そうでないなら別の選択肢もあるはずだ。」

こうして、7人の賢人たちの思索から得た知見とアイデアをもとに、パワーズさんは土、日の2日間はすべてのデジタル機器との接続ができないようにしたのです。そうして世間からいくらかの距離を置くことで、家族が揃っているときにも、そして一人で過ごすときにも、心豊かに過ごせるような環境をつくりだすことができた、と。この「前向きな儀式」につけられた名前は「インターネット安息日」ーー。

•••と、いつも以上に長ったらしく、いささか紹介し過ぎの感もある文章となってしまいました。まことに恐縮でありますが、本書はそれほど、わたくしにとって心に響くものがあり、しかも「つながり過ぎ」に対処する上でも有益な思索と知恵に富んでいました。
もとより、パワーズさんはテクノロジーの進歩と、それがもたらす「つながり」自体を、一概に頭から否定するようなことはせず、記述はきわめてバランスのとれた思考から綴られております(念のために申し上げますと、わたくし自身も「つながり」で得ることができた財産を、みすみす手放すようなつもりは毛頭ございません)。だからこそ、パワーズさんの語る内容は大いに説得力を持って響いてくるものがあります。
7人の賢人たちから導き出された「『つながり断ち』7つのヒント」にしても、「これらは提案であって処方箋ではない。置かれた状況は一人ひとり異なるので、万人向けの特効薬などない」と慎ましやかに提示されます。ですが、それぞれの状況に合った無理のない「つながり過ぎ」へ対処するための知恵とヒントが、本書にたくさん詰まっているのは間違いありません。
これからも、「つながり」の中で、疲れや悩みを覚えることもあることでしょう。そのたびに手に取って立ち返り、自分を取り戻していくよすがとなる一冊になりそうです。「つながり」を完全になくすのではなく、より良いかたちで「つながり」を活かし、発展させていく知恵を得るために。

最後に、本書の装丁にも触れておきたいと思います。落ち着いた色合いとデザイン、そしてピカピカしたツヤを出すことなく、サラサラした手触りが心地よい表紙も好きであります。これこそ、紙の本でなければ得られない良さ、といえましょう。