読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【読了本】『作画汗まみれ 改訂最新版』 職人アニメーターが熱っぽく語る、アニメ黄金時代の貴重な記録

2013-07-15 20:01:25 | 本のお噂

『作画汗まみれ 改訂最新版』 大塚康生著、文藝春秋(文春ジブリ文庫)、2013年(元本は1982年、増補改訂版は2001年、ともに徳間書店より刊行)


今年の4月から刊行がスタートした「文春ジブリ文庫」。
ジブリ製作のアニメーション映画を読み解く「ジブリの教科書」と、ジブリ作品のフィルムを使った「シネマ・コミック」がメインですが、ジブリ作品に関連したノンフィクションもラインナップに加わっています。そのジブリ関連書で最初に文庫化されたのが、本書『作画汗まみれ』であります。
著者の大塚康生さんは、日本におけるアニメーションの黎明期からキャリアを積み重ねてきた、伝説的な職人アニメーターです。高畑勲・宮崎駿両監督とは、若い時から協働して作品づくりを手がけてきた同志であり、『太陽の王子 ホルスの大冒険』や『ルパン三世』『未来少年コナン』など、多くの名作アニメを共に創り上げてきています。本書は、そんな傑出した才能の人たちと共に歩んだ、日本のアニメ黄金時代の舞台裏が生き生きと、そして熱っぽく語られています。

厚生省の麻薬Gメンから、憧れのアニメーションの仕事へと転身し、そのわずか1年後には、日本初のカラー長篇「漫画映画」として製作された『白蛇伝』(1958年)の原画スタッフとして腕を奮った新人アニメーター時代。
高いドラマ性と克明な画面づくりを追求したことで大幅なスケジュールと予算の超過を招くなど、難産の末に世に送り出された『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)。
「いままでになかった種類のイキで大人志向のアニメーションを」との意気込みで製作したものの、思わぬ低視聴率の前に大幅な路線変更と打ち切りを余儀なくされた『ルパン三世』(1971~72年)。
宮崎駿監督が初めての演出に挑み、獅子奮迅ともいえる仕事ぶりで、その才能を全開にした『未来少年コナン』(1978年)。さらには、「日本人の手でアメリカにも通用するようなアニメーションを」という夢の実現に挑んだ『リトル・ニモ』(1989年)製作の苦闘•••。
本書で語られる、アニメ黄金時代を飾る数々の作品の舞台裏はいずれも興味深く、かつ非常に貴重な証言ともなっていて、読んでいて引き込まれるものがありました。

大塚さんの視点で語られる、さまざまな人物たちの横顔も興味深いものがあります。
「文学であろうと、漫画であろうと、原作のオリジナリティとその精神的要素を徹底的に尊重する」という高畑勲監督。一方、「原作を宮崎世界に変えてしまうことでエネルギーを発揮する」のみならず、「古いものには、自らが生み出した作品に対してさえも攻撃的に破壊、再生を加える」という宮崎駿監督。2人の対照的な創作姿勢の見立てにも「なるほど」と思わされるものがありました。
また、自分たちがやっていることは「営利事業」ではなく「作家集団」といいながら、動きを省略する手法で『鉄腕アトム』を製作し、テレビアニメの低コスト化の流れをつくった手塚治虫さんと虫プロダクションに対しては、けっこう率直に手厳しい見方をしています。
このあたり、「動かす」ことに心血を注いできた職人としての矜恃が溢れているようでした。それだけに、批判のための批判にはない説得力があるとともに、手塚さんの才能や情熱に対する敬意も忘れない、とてもバランスがとれた記述になっていて、好感がもてました。

驚かされたのは、大塚さんがアニメーターとして採用されるにあたって行われたテストと全く同じ内容のテストが、57年たった現在でもいくつかのプロダクションで行われている、ということでした。

「アニメーター志望者の適性を見るには、きれいに描かれたイラストやデッサンよりも、単純な絵で『人物を動かしてみる』テストが効果的で、イラスト的な美しい絵を2~3枚持ってこられてもアニメーターとしての適性が判断しにくいのです。」 (第1章より)

そして、アニメーターとしての勉強の方法にも近道はなく、いろいろなポーズをたくさん、素早く描く訓練をしておく必要がある、とも大塚さんは言います。その“経験量”の差が、2~3年経つと大きな差になってくる、とも。
アニメ製作がセルアニメからCGへと変わろうと、「動かす」ことの本質はそうそう変わるものではないんだなあ、ということを教えてくれる話でした。

逆に、今では途絶えてしまっていることもあります。
かつては、原画や動画、美術、演出のそれぞれの職種が、積極的にほかの領域に食い込んでいくことで、全スタッフの創造力をくみ上げて作品に反映させることができたといいます。しかし、今では合理化によりそのような共同作業が少なくなった、とか。
その上で大塚さんは、最近いい作品が生まれにくいのは、そうした才能の組み合わせによる有機的な組織が作りにくくなったことも原因なのでは、と指摘しています。
この話はアニメ界のみならず、さまざまな組織においても示唆となるものがあるのではないか、とわたくしは感じました。

本書を読んで、日本アニメの黄金時代の熱気と、そこから生み出された作品の魅力を再認識することができました。そして、至るところで垣間見える、大塚さんの職人としての心意気も、また魅力的でカッコいいものでした。
宮崎監督に誘われて『未来少年コナン』に作画監督として加わったくだりの、このことばがとても印象に残りました。

「人生は回り灯籠のようなもので、目当ての作品が回ってきた時、それをつかむか、『待てばもっといいのが来る』とぐずぐずしていて、永久に機会を逃してしまうかです。」 (第7章より)

アニメ好きはもちろん、職人の仕事が持つ魅力に触れたい方にも、読んで得るところのある一冊だと思いました。

余談ながら、本書で大塚さんが「これまででもっとも好きなアニメーションのひとつ」とおっしゃるのが、劇場版『じゃりン子チエ』(1981年。大塚さんは共同で作画監督をつとめました)。これ、実はわたくしめも大好きな作品であります。

DVDもだいぶ前から持っていて、ときおり取り出しては観ております。リアルに描き込まれた大阪下町の風情も実にいいですし、ていねいな人間描写に笑わされたり泣かされたりして、観飽きることがありません。
本書を読んだら、また久しぶりに観たくなってきたなあ。

8月刊行予定文庫新刊、超個人的注目本10冊

2013-07-11 20:22:03 | 本のお噂
来月(8月)に刊行される予定の新刊文庫から、わたくしが個人的に注目している書目を10冊ピックアップしてみました。
数多く刊行される文庫の中から、わたくし自身の興味を惹いた書目を選んだという偏りまくった一覧なので、皆さまにとって参考になるかどうかはわからないのですが•••何か引っかかる書目があれば幸いであります。
刊行データのソースは、取次会社が出している書店向けの出版情報誌『日販速報』の7月8日号付録の文庫新刊ラインナップ一覧です。発売日は首都圏基準であり、遠方の地方では1~2日程度のタイムラグがあります。

『身体のいいなり』(内澤旬子著、朝日文庫、7日発売) 乳がんと診断されてから、なぜかかえって健やかになっていったという自らの体験を綴り、話題となった講談社エッセイ賞受賞作が文庫化。

『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』(ウェンディ・ムーア著、河出文庫、2日発売) 『ドリトル先生』や 『ジキル博士とハイド氏』のモデルともされる「近代外科医学の父」であり、とてつもない奇人でもあったジョン・ハンターの伝記。これはかなり読んでみたいですね。

『「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》』(橋本毅彦著、講談社学術文庫、8日発売) 「標準化」をキーワードにして、近代の科学・技術の歩みを読み解くという内容だとか。これもなんだか興味深そう。

『サイゴンから来た妻と娘』(近藤紘一著、小学館文庫、2日発売) 文春文庫で刊行されていた、大宅壮一ノンフィクション賞受賞の名作ノンフィクションが再刊。サイゴンで出会った子連れのベトナム人女性と結婚した記者に巻き起こる騒動を通して、互いのカルチャーギャップを見つめます。

『つぎはぎプラネット(仮)』(星新一著、新潮文庫、28日発売) 星さんの著作はもうあらかた文庫になっているからもう出ないだろうな、と思っていたのですが•••まだ隠し球があったのか?これは気になるなあ。この際だから、最初の著作『生命のふしぎ』も文庫化してくれないかなあ。

『真鍋博のプラネタリウム 星新一の挿絵たち』(真鍋博・星新一著、ちくま文庫、7日発売) 星新一さんがらみでもう一冊注目なのがこちら。1983年に新潮文庫オリジナルで刊行された本を再刊。星作品を飾った真鍋博さんのイラストと、ショートショートから抜き出された文章とで構成された小宇宙。

『日本SF短篇50(4)』(日本SF作家クラブ編、ハヤカワ文庫JA、9日発売) 日本SF作家クラブ創立50周年記念アンソロジー、第4巻は90年代の傑作を収めます。収録作家は宮部みゆきさん、菅浩江さん、北野勇作さんほか。

『予想どおりに不合理 〔増補版〕』(ダン・アリエリー著、ハヤカワ文庫NF、9日発売) 「あなたがそれを選ぶわけ」を行動経済学から解き明かして話題となった本が、増補版として文庫で登場。

『昭和史を語る』(半藤一利・宮崎駿著、文春ジブリ文庫、6日発売) 零戦設計者の堀越二郎を主人公にした最新作『風立ちぬ』が公開される宮崎駿監督と、昭和史を探究し続けている作家・半藤一利さんの共著が文庫で登場。

『どら焼きの丸かじり』(東海林さだお著、文春文庫) これはもう余計な説明は要りませんな(笑)。

7月刊行予定の新書新刊、個人的注目本10冊

2013-07-07 12:32:25 | 本のお噂
今月(7月)刊行予定の新刊新書から、わたくし個人が気になる書目を10冊選んで列挙してみました。
タイトルや著者を見て個人的にビビッときたものをピックアップしたので、けっこう偏っているのではないかと。ゆえに、皆さまにとって参考になるかどうかはわからないのですが•••。どこかに引っかかりのある書目があれば幸いであります。
内容紹介および刊行データのソースは、書店向けに取次会社が発行している出版情報誌『日販速報』7月1日号と、その付録である新書新刊ラインナップ一覧です。発売日は首都圏基準ですので、遠方の地方ではタイムラグが生じます。

『未来力養成教室』(日本SF作家クラブ編、岩波ジュニア新書、19日発売) 人気SF作家9人からのメッセージを収録する、とのこと。どのような顔ぶれか気になるところです。

『「人間原理」とは何か』(青木薫著、講談社現代新書、17日発売) サイモン・シンの著作の翻訳でも知られる科学系翻訳家が、宇宙論の変遷を追うというもの。これは面白そう。

『日本の深海』(瀧澤美奈子著、講談社ブルーバックス、18日発売) 世界屈指の深海大国である日本の海底地形や資源、生物、環境などの実像を紹介。

『ドキュメント 深海の超巨大イカを追え!』(NHKスペシャル深海プロジェクト取材班+坂元志歩著、光文社新書、5日発売) 先月発売されたNスペのDVDを購入したばかりなので、ついついこちらも気にしてしまうな。

『蔵書の苦しみ(仮)』(岡崎武志著、光文社新書) これは著者と仮タイトルだけで即買い決定(笑)。

『風景は記憶の順にできていく』(椎名誠著、集英社新書、17日発売) 現在の風景を入り口に記憶をたどる、シーナ流ノスタルジック街ブラ、と。椎名さんの新書はずいぶん久しぶりですね。

『ネットのバカ』(中川淳一郎著、新潮新書、13日発売) 快著『ネットはバカと暇人のもの』の著者による2013年のネットの真理。これもかなり楽しみな一冊であります。

『この古典が仕事に効く!』(成毛眞著、青春新書インテリジェンス、1日発売) こちらも著者とタイトルだけで即買い決定。

『僕らが世界に出る理由』(石井光太著、ちくまプリマー新書、8日発売) 未知なる世界へ一歩を踏み出す悩める若者に贈る、いまを生き延びるための冒険の書、と。若者ではないけど気になる(笑)。

『悪の引用句辞典 マキアヴェリ、シェイクスピア、吉本隆明かく語りき』(鹿島茂著、中公新書、25日発売) 古今東西の名句を紹介し、社会の深層と人間の本性を見抜くコツを伝授、とのこと。これも楽しみですねえ。

その他、ちょっと気になる書目を簡単に列挙しておきます。
『「命の値段」はいくらなのか? 行動経済学が教える医療入門』(真野俊樹著、角川ONEテーマ21、10日発売)
『現代オカルトの根源 霊性進化論の光と闇』(太田俊寛著、ちくま新書、8日発売)
『生活保護 知られざる恐怖の現場』(今野晴貴著、ちくま新書、8日発売)
『沖縄・奄美の小さな島々』(カベルナリア吉田著、中公新書ラクレ、10日発売)
『科学技術大国 中国 有人宇宙飛行から、原子力、iPS細胞』(林幸秀著、中公新書、25日発売)
『1分で感動する科学(仮)』(左巻健男著、PHPサイエンス・ワールド新書、18日発売)

NHKスペシャル『足元の小宇宙 ~生命を見つめる 植物写真家~』

2013-07-07 09:13:26 | ドキュメンタリーのお噂
NHKスペシャル『足元の小宇宙 ~生命を見つめる 植物写真家~』
初回放送=7月6日(土)午後9時00分~9時49分、NHK総合


一見地味に見える植物たちが見せる、意外な動きや生命の輝きを撮り続けている植物写真家、埴沙萠(はにしゃぼう)さん、82歳。
60年前にサボテンの研究に携わったことから植物に魅せられ、40年前に植物写真家として独立。以来撮り続けた植物写真は50万枚にのぼります。10年前からはホームページを立ち上げ、自らが撮った写真を短い詩文とともに公開しています。
現在、埴さんが主なフィールドにしているのは、群馬県みなかみ市にある自宅周辺の里山。そこを、2台のカメラが入った10㎏の荷物を担いで歩き回ります。持病の座骨神経痛で無理がきかない日でも、カメラは欠かさず手にします。そして、足元に目をこらし、これはという植物を見つけては、しゃがみこみ、さらには這いつくばりながらカメラを向けていきます。

春。埴さんがカメラを向けるのは、カランソウ。丈も低く、直径5㎜ほどの花もあまり目立たない感じ。ごくごく地味な、あまり人からも顧みられないような植物です。
そんなカランソウですが、雄しべから花粉を飛ばすとき、意外なまでに派手な動きを見せます。遠くまで花粉を飛ばそうとするかのように、ポン、と勢いよく雄しべが弾けるのです。
その動きをピッチング・マシンに喩える埴さん。「こんな飛ばし方、誰に習ったのか•••よく考えたもんだなあ」と感嘆するのでした。

春になるとあちこちに生えてくるツクシ。その頭からは、緑色をした小粒が湧き出すようにあふれ出てきます。ツクシの胞子です。
それを「かわいい坊や」と呼ぶ埴さん、胞子を持ち帰り顕微鏡にセットします。それに微かに息を吹きかけると•••緑色の小粒から放射状に伸びた白い糸のようなものが、閉じたり開いたりするのです。胞子から伸びる白い糸のような部分は湿り気を帯びると丸まり、乾燥すると開くという性質があるのです。
息を吹きかけるたび、丸まったり開いたりを繰り返す胞子の動きは、まるで踊っているかのようなユーモラスなものでした。その動きに目を細めながら「面白くてどこでやめたらいいかわからない」という埴さんでありました。

夏。この時期には、埴さんが「植物のしっこ(おしっこ)」と呼ぶ現象が見られるようになります。余分な水分を葉の表面から排出するという、植物の生理現象。それにより浮き出た水玉は、日の光を反射して美しい表情を見せます。
中でもワレモコウは、葉の周囲に連なるギザギザの頭から水玉が浮き出て、まるでネックレスのように見えるのです。埴さんは、水玉が浮き出てくるところをカメラに収めたいと、30秒に1回シャッターが切れるようにカメラをセットして、その瞬間を撮ろうと腐心しますが、なかなかうまくはいきません。ようやく撮れた写真も、埴さんには満足のいかないものでした。そして、また次の夏に再挑戦することに。
「ワレモコウの水玉の美しさは文章では表せない。だからこそ写真で撮りたい」埴さんはそう語ります。

秋。埴さんが最も楽しみな姿を見せてくれる植物が生えてくる季節です。それは、きのこ。
きのこに風除けのカバーをかぶせ、背後には照明をセットします。そしてカメラを覗いてみると•••きのこの傘から、細かな粒子状のものがゆらゆらと立ち上っています。きのこの胞子です。その光景はとても幻想的なものでした。埴さんはそれを「胞子の舞い」と表現します。
さらに、食用として店で売られているシイタケやシメジを同じような方法で観察すると、それらも思いがけないほどたくさんの胞子を立ち上らせるのです。
まるで水が流れるかのような動きを見せる、シイタケやシメジの「胞子の舞い」。売られていたきのこであることを忘れるくらい、その姿は生命感にあふれていました•••。

足元で目立たないように生えている植物たちが見せる、意外なまでに生命感あふれた姿の数々に驚きを覚えました。中でも、ツクシの胞子が見せるユーモラスなダンスや、きのこの胞子の舞いには目を奪われました。
ですが、何よりも魅力的だったのは、それらをカメラに収める埴さんのキャラクターでありました。
植物たちに目をこらし、時には這いつくばって夢中でカメラを向け、その動きに目を細める埴さんの姿は、まるで少年がそのまま大きくなったかのようにチャーミングで、かつ好奇心旺盛なものでした。
「楽しいことばかりだよ、世の中は。よく見るといろんなものが見えてきて」
という埴さんのことばも、とてもいいものでした。身近にある楽しいものや面白いことに目を向ける好奇心が、いかに人をいきいきとさせるか、ということを、埴さんから教わったように思います。
そんな埴さんを支え続けている、妻の雅子さん(野菜人形作家でもあります)が語ったことばも印象的でした。
「好きなことがあるってことは、いいことだなあ、と」
そう。これもまた、人生を楽しく豊かなものにする要諦、なのではありますまいか。

埴さんの写真を収めたいくつかの本、ちょっと見たくなってきました。•••というか、きのこの「胞子の舞い」を捉えた写真絵本、すでに注文しているのですが•••。見るのが楽しみです。

【読了本】『おもしろ遺伝子の氏名と使命』 愉快なエピソードで遺伝子と分子生物学が身近に

2013-07-01 22:25:08 | 本のお噂

『おもしろ遺伝子の氏名と使命』 島田祥輔著、オーム社、2013年


悟り」「暴走族」「つくし」「武蔵」「時計じかけのオレンジ」「守護神
•••これすべて、遺伝子につけられた名前、なのであります。
遺伝子の名前といえば、「Hcs082」とか「βsg264の変異体γ-sg297」とかいった味もそっけもない名前(←かなりテキトーにでっちあげました)がついているイメージがありました。ですが、実際には上のような、かなり斜め上をいったネーミングのものがあるのですね。
本書は、そんなおもしろネーミングの遺伝子をめぐる愉快なエピソードや、それらが生物の体の中でどのような働きをしているのかを紹介していく一冊です。

遺伝子やその変異体、タンパク質の命名にあたっては、一応「暗黙のルールっぽいもの」はあるようですが、基本的には自由につけることができるのだそうな。そこに、へんちくりんなネーミングが生まれる余地が出てくるというわけです。

たとえば、背中の構造がうまく作れないため、まっすぐに泳ぐことができないゼブラフィッシュの突然変異体につけられた「暴走族」。
その変異体にどんな名前をつけようか、と考えていた海外の研究者が日本を訪問したおり、ホテルの外でバイクを蛇行運転させて走り回る集団=暴走族を目撃。その走り方が、突然変異体のくねくねした動きにそっくりじゃないか!ということで「暴走族」とつけられた、とか(とはいえ、綴りが“bozozok”という、さらに斜め上をいくものになっているのですが•••)。

研究者の個人的趣味がモロに発揮されたネーミングといえるのが「OTOKOGI(侠気)」。ボルボックスという緑藻類で、精子を作ったりするのに関わっている「オスにしかない遺伝子」を発見した研究者が、何かオトコっぽい名前を•••ということでつけたのが「侠気」。この研究者、任侠映画が大好きだったんだそうで•••遺伝子の向こうにドスを握った高倉健さんか鶴田浩二さんの姿が重なってたんでしょうか。
その後、同じ研究者は「メスにしかない遺伝子」の発見にも成功。それに嬉々として(?)つけられた名前は「HIBOTAN(緋牡丹)」•••。いやはや、なんとも素敵すぎる話ではないですか。

1996年に誕生し、全世界に衝撃をもたらしたクローン羊「ドリー」のネーミングの由来や、山中伸弥さんによって生み出された「iPS細胞」の頭が小文字である理由も、本書によって初めて知りました。いずれも世界を揺るがす存在となったものですが、そのネーミングの由来は実に微笑ましいというか。「ドリー」の由来にいたっては、いささかバカバカしくもあるところがなんとも可笑しいのであります。

象牙の塔の中にこもって、コムズカシイことばかり考えているように思える研究者。しかし、実はけっこうお茶目なヒトやへんちくりんなヒトたちがいるんだなあ、ということがよくわかり、遺伝子や分子生物学がちょっと、身近に感じられる気がいたします。
そして、それぞれの遺伝子が担う働きや、遺伝子研究における位置づけを知ることで、遺伝子にはムダなものなんてないんだなあ、ということもわかってくるのであります。

おもしろネーミングを紹介したメインの章も楽しく読めますが、これまでの遺伝子や分子生物学の歩みや基礎知識を綴った第1章と、これからの遺伝子研究を展望した第3章も、とてもわかりやすい説明で読みやすいものとなっています。特に第3章では、遺伝子研究の持つ光と影の部分に、われわれ1人1人が関心を持って向き合うことの大切さについても述べられていて、こちらも必読といえましょう。
遺伝子や分子生物学というと、なんとなく敬遠してしまう向きにこそ、オススメしたい一冊であります。