読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

『温泉の日本史』 温泉旅がより一層味わい深くなる、日本人と温泉をめぐる歴史エピソードが満載の一冊

2018-11-12 06:38:43 | 本のお噂

『温泉の日本史 記紀の古湯、武将の隠し湯、温泉番付』
石川通夫著、中央公論新社(中公新書)、2018年


朝晩を中心に、少しずつ肌寒さを感じるようになってきた今日この頃。恋しくなってくるのはやっぱり温泉、であります。
わたしが毎年、寒い時期になると楽しみにしているのが、大分県別府への温泉旅行です。眺めが良く快適な、宿泊施設や温泉施設での入浴もさることながら、街の至るところにある共同浴場で、地元の方々の生活の息吹を感じながら浸かる湯が、また味わいがあっていいのです。お湯で体の芯まで温まったあと、地元の美味しいものに舌鼓を打つのがまた至福のときで。ちょっと懐かしさを感じる街並みにも、湯の町ならではの情緒が感じられていいものであります(これまでの別府温泉旅のお噂は、当ブログでもたびたび綴っております)。

数多くの名温泉に恵まれた日本と、その温泉を愛してやまないわれわれ日本人。その古くて長い関わりの歴史を、温泉についてのさまざまな著作を出している温泉評論家・石川通夫さんが通史の形でまとめたのが、本書『温泉の日本史』です。
皇太子の流刑の地として『古事記』に記され、歴史の表舞台に登場した愛媛県の道後温泉。以降、天皇・皇族の行幸先として重宝された温泉は、やがて庶民からも湯治や歓楽、さらに信仰の対象としてもてやはされていきます。そして近代に入り掘削開発の時代を迎え、戦後の高度成長の波に乗った温泉地は発展を遂げていくことに・・・。
そんな、記紀の時代から現在に至る、温泉と日本人との長い関わりの歴史が、本書を通読することで手に取るようにわかりますが、それぞれの時代を象徴するテーマやトピックが、小見出しによりコンパクトにまとめられているので、興味のあるところを拾って読んでも楽しめるでしょう。初めて知った事実やエピソードも多く、興味深く読むことができました。

たとえば、仏教と温泉文化との関わりについて述べている項目。ここでは、東大寺の造営にも貢献した行基や、真言宗の開祖である空海の2人が、各地の開湯伝承によく登場する背景について考察します。いずれも、社会事業に携わって民衆の信望を集めていたことに加え、山岳修験・山林修行者として各地を巡り、鉱物資源や水、温泉、木材に明るかったことが、多くの開湯伝説に名を残す理由につながったのではないか・・・と。
別府温泉にゆかりのある人物といえば、時宗の開祖である一遍上人。道後温泉のある伊予国に生まれ、温泉の療養効果を熟知していたであろう一遍上人と、源頼朝から豊後国の守護に任ぜられ、元寇の役による戦傷者の療養が大きな関心事だった大友頼康との出会いが、温泉地としての別府発展の礎となったのだとか。別府名物・地獄めぐりの中心エリアであり、昔ながらの温泉情緒を残す鉄輪(かんなわ)温泉には、一遍上人ゆかりの「温泉山永福寺」が立っています。
温泉と入浴に対して、われわれが思い込んでいる「常識」に、「日本人ははだか入浴が伝統」というのがありますが、日本における温泉文化の基礎をつくった仏教の経典『温室経』では、はだかでの入浴が戒められ、内衣(ないい)を着用しての入浴が求められていたそうで、その慣習は江戸の中後期まで続いていた、といいます。また、男女混浴も必ずしも「常識」だったわけではなく、有名温泉地では男女別浴が多かったそうな。史実を丹念に辿ることで、思い込みに基づいた「常識」や「伝統」のいい加減さも浮き彫りにされます。

貴族社会において、温泉へ療養湯治に出かけることが流行っていたという平安時代。湯治とは名ばかりの、単なる遊興目的の温泉行きも増えていたようで、藤原定家はその日記『明月記』に、当時の公家社会の頂点にいた内大臣と太政大臣の温泉道楽ぶり(別邸に牛車で毎日二百桶も有馬の湯を運ばせたりしていたとか)を暴露しているエピソードが記されています。昔も今もおエライさんというのは・・・と、なんだか苦笑させられました。
もう一つ、今とつながるものが感じられるのが、江戸時代における「秘湯ブーム」のエピソードです。『北越雪譜』で知られる越後の文人・鈴木牧之(ぼくし)が、秘境・秘湯探訪記がもてはやされるようになった世相の中で書いた『秋山記行』には、湯浴み客がほかにいない秘境の温泉に浸かったときのことを、こう綴ります。
「まことに無人の佳興に入りて命の洗濯する心持なり・・・此湯の浴は今生のなごりとしきりに長湯して・・・」
秘境の湯で長湯を楽しみ「命の洗濯」気分を味わう・・・このあたりも大いに、現代のわれわれと通じ合うものがありますねえ。・・・読んでいるともう無性に、温泉に出かけたくなってきてまいりました。

安らぎと癒しの場である温泉地。それは歴史においてしばしば、聖なる平和空間=アジールとしての役割を演じてきたことも、本書は明らかにしてくれます。
平安末期、流人として追われていた源頼朝をかくまい、初の武家政権成立を後押しすることになったのは、伊豆半島の走湯と箱根権現のネットワークでした。また、幕末に初代駐日公使となったイギリスのラザフォード・オールコックは、滞在先の熱海で愛犬が間欠泉の熱泉に触れて死んだとき、地元熱海の住民が示した哀悼の意や親切に接しました。そのことが、攘夷事件が続いて強硬意見に傾いたイギリスの対日世論を、オールコックによって好転させる要因にもなったのだとか。
そして太平洋戦争下において、温泉地は東京をはじめとする大都市圏の学童集団疎開の受け入れ先となります。大勢の学童を収容できる能力を備えていることに加え、郊外や山間部に立地して軍事施設や軍需工場もなかった温泉地は、格好の避難所となったのです。受入温泉地は21府県にわたり、とりわけ福島県や群馬県、長野県は数多くの温泉地で学童を受け入れたことが、一覧表により示されます。
聖なる平和空間=アジールとしてさまざまな人びとを守るとともに、ときには平和そのものを導く役割をも演じた温泉地のエピソードには、なんだか胸が熱くなる思いがいたしました。なにより、われわれが温泉で癒され、安らぐことができるのも、平和な世の中が保たれてこそできること・・・なのですから。

古くから続く温泉と日本人との関わりの歴史と、そこから育まれてきた地域の豊かな温泉文化を知ることで、温泉はより一層、味わい深く楽しめるものとなることでしょう。
温泉が恋しくなるこれからの時期、ぜひとも温泉旅の予習として読んでいただきたい、興味深い歴史エピソード満載の一冊であります。