読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【読了本】『本の「使い方」』 あくまでも真っすぐで正統的な「知」の構築法に感銘

2014-09-28 22:45:20 | 「本」についての本

『本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法』
出口治明著、KADOKAWA/角川書店(角川oneテーマ21)、2014年


ライフネット生命の会長兼CEOとして多忙な日々を送りながら、ビジネスの合間を縫って多くの本を読破し、書評家としても活躍されている出口治明さん。その出口さんがこれまでの読書遍歴を振り返りつつ、書物による「知」の構築法を披瀝したのが、『本の「使い方」』です。

これまで出口さんが読破してきた本は実に1万冊、そのうち半分の5000冊は、好きな分野である歴史の本なのだとか。これだけの本を読破したということは、さぞかし特別な読み方をなさってきたのでは•••と思ったりするのですが、本書で披瀝されている読書法はあくまでも真っ直ぐかつオーソドックスで、奇を衒うようなやり方はまったくありません。
「読書は著者との一対一の対話」であり「基本的にはいつも真剣勝負」という出口さんは、「極端なことを言えば、『きちんとネクタイを締め、正座をして本を読む』ぐらい」の気合いで本と向き合うと言います。
同時に何冊かの本を並行して読むようなこともなく、1冊に集中しながら「1文1文、1字1句納得できるまで」読むという、きわめて正統派の読書法。そこには、「速読」などという小賢しい手法の入り込む余地などありません。
出口さんは速読を「観光バスに乗って世界遺産の前で15分停車し、記念写真を撮って『はい、次に行きましょう』と言って次の世界遺産に向かう旅のようなもの」と喩えます。そして読んだ量の多さではなく、「どれだけの知識や情報が身についたか」という「残存率」のほうが大切だということを説くのです。
洪水のごとく情報が溢れ、次から次へと読みたい本、読まねばならぬ本が出てくるという目下の状況。やはり速読によってたくさんの本を読んでいったほうが積ん読本も減っていいのかなあ•••などと思うこともしばしばだった遅読派のわたくしですが、1冊1冊にしっかりと向き合う出口さんの読書への考え方に、目が覚めるような思いがいたしました。

そして、読むに値する本としてその意義が強調されているのが、古典です。
長い時間を越えても、なお残り続けている優れた著作は「残った理由も理屈もよくわからないとしても、確実に何らかの意味がある」のであり、「それは無条件で『正しい』と仮置きすべき」と出口さんは述べます。さらに、時代が変わっても変わることのない、人間の普遍的な喜怒哀楽や、生きた人間社会のケーススタディを学ぶこともできるのが古典なのだ、とも。
変化の激しい世の中にあって、「今」の状況を追っかけることに汲々とするあまり、ともすれば古典の持つ意義を忘れがちになったりもするのですが、そんなわたくしもあらためて、本書から古典の意義と魅力を教えられたように思いました。
とはいえ、決して文学や思想、哲学書だけにこだわっておられるわけでもありません。長谷川町子さんのマンガ『いじわるばあさん』を、ありのままの人間の内面を普遍的に描いているとして高く評価するといった柔軟性もあり、マンガをほとんど読まないわたくしとしては、そのあたりにも教えられるところがありました。

本の「使い方」について述べた章では、「数字」「ファクト(事実)」「ロジック(論理)」の3点から本の中の主張を検証し、考えることで、あらゆる問題について自分なりの答えを持ち、本の内容にいちいち振り回されることはなくなる、ということが語られています。
さまざまな立場からの「偏った」見解や意見があるというのは大切なことですし、本を読む上でも興味が湧くところではあるのですが、それらをすべて鵜呑みにしたり、逆に片っ端から否定するだけでは、読んでいるほうの考え方やものの見方まで偏り、歪んだものになってしまいます。
本の著者と自分の考えが違っていても、それをことさら非難はしない。しかし、相手が価値観を押し付けようとしてきたら、それには反対する、という出口さんの考え方は、自分なりのものの見方を育むためにとても重要なのではないかと思います。そしてそれは本にとどまらず、その他のメディアやネットにおけるさまざまな主張に接する上でも「使える」考え方なのではないでしょうか。

多くの本から得たことを血肉にしたからこそ語ることができる、読書や教養のあり方についての出口さんのお言葉の数々には、惹きつけられるものがたくさんありました。その中でも特に気持ちに響いたのは、教養を身につける上での「精神のあり方」について述べたくだりでした。
出口さんが大好きだというデザイナーのココ・シャネルは、功成り名を遂げてもなお、世界を知ることへの渇望があったといいます。

「私のように、年老いた、教育を受けていない、孤児院で育った無学な女でも、まだ1日にひとつぐらい花の名前を新しく覚えることはできる」

シャネルの残したこの言葉を引いたあと、出口さんはこのように述べています。

「ようするに、教養とは彼女のように『ひとつでも多くのことを知りたい』という精神のあり方のことではないか、と私は考えています。『ひとつでも多くのことを知りたい』という気持ちを持ち続けている限り、『何冊』と数えなくても、教養は、永遠に積み上がっていきます。」

たくさんの教養を身につけることは、一朝一夕にできるほど容易いものではないとはいえ、ひとつでも多くのことを知りたいという気持ちさえ忘れなければ、何もガツガツと焦る必要はないのだ•••。出口さんが語る教養を身につける上での「精神のあり方」のお話は、やはりたいした学歴も経歴もないわたくしのような人間にも、大きな勇気を与えてくれました。

実のところ、ここしばらく仕事がらみのことが忙しかったりで、ブログの更新のみならず読書のほうも、思うようには進んでいませんでした。ですが、本書から得ることのできた多くのヒントのおかげで、またインプットとアウトプットへの意欲が湧いてきたように思います。
「活字中毒者」はもちろんのことですが、本をあまり読まないという向きにも、人生を豊かにするための本の「使い方」へのヒントが得られる一冊だと思います。