創造

創造主とセルフイメージの世界

賀川豊彦記念館・ドイツ館訪問

2010-09-09 16:17:01 | 歴史
8月29日徳島恵キリスト教会での奉仕の後、
30日鳴門市賀川豊彦記念館と隣接するドイツ館(捕虜収容所記念館)
を見学しました。

旧吉野川に近い賀川豊彦の墓にも行きましたが、分骨されているので神戸と東京にも
あるとのことです。
豊彦少年は、幼くして両親を失い、姉の栄と共に大麻町の賀川家本家に引き取られ
祖母と義母の手で育てられ、勉強や手伝いのかたわら、友人と吉野川周辺の素朴で
美しい田園生活を楽しみました。

賀川を海外に広く紹介したのはであり、バプテストの宣教師、アキスリング博士でした。
(沢野正幸著「最初の名誉都民アキスリング博士ー捕虜交換船での最後の男ー:燦葉
出版社)

アキスリング師は著書「賀川伝」において豊彦の少年時代を詩情豊かに描いています。
1930年から3年間展開された神の国運動では副総幹事として賀川を助けました。
ワシントン大聖堂には、賀川豊彦像が設置されています。

ドイツ記念館は、映画「バルトの楽園」でも知られる、第一次世界大戦時のドイツ人
捕虜収容所を記念したものです。
徳島大学や鳴門教育大学関係者も協力する、見事な記念館でした。

この大戦は日露戦争同様に、日英同盟下に行われました。
この時代の捕虜への処遇と第二次大戦下の捕虜の待遇の落差に、連合軍捕虜は
とまどい悩んだといわれます。
ドイツ館は日独友好の証しであるとともに、当時の日英友好時代の証しでもあった
思いました。
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