創造

創造主とセルフイメージの世界

「キリスト者の標準The Normal Christian Life」ウォッチマン・ニー

2011-10-19 16:10:22 | 本と雑誌

http://www.ccel.org/ccel/nee/normal.toc.html

The Normal Christian Life by Watchman Nee

ウォッチマン・ニーの「キリスト者の標準」(いのちのことば社)は現在絶版で

古書価格では48,000円となっていました。

しかし英文では無料で、本文と多くの関連記事を読めます。

現在中国には地下教会を含む一億人以上のクリスチャンがおりますが

多くがウォッチマン・ニ―の影響を受けているとも言われます。

著作を読むと霊的深さに驚かされます。

日本語訳の一部を紹介します。

「私たちが赦されるために、神の子は私たちの身代わりとして十字架で死なれ、そして私たちが罪の力から解放されるために、私たちに代わっていきておられるのです。このように二面の身代わり、すなわちわたしたちの赦しを獲得するための十字架にかかられた身代わり、および私たちの勝利を獲得する内住の身代わりが存在するのです。」(2頁)

 

「神との交わりを保つためは、私たちは最も新しい感覚で(主の)血の価値を知らなければなりません。神は毎日、毎時、毎分、そのたびごとに、私たちが血によって罪を清算されることを要求されます。この事実をしっかり把握していれば、決して血は神の近づく土台としての効力を失いません。至聖所に入る時、血以外の根拠がありうるでしょうか」(13頁)

 

「神の子らの悩みや心配事は、もし彼らの目が、彼らの心の内にかくされている宝の偉大さに向かって開かれるなら、すべて消え去ってしまうでしょう。あなたは、あなたが直面し得るあらゆる環境の要求を満たす十分な資源があなたの心の中にあることを知っているでしょうか。あなたは、心の中に、あなたが住んでいる都市をも動かすに十分な力のあることを知っているでしょうか。あなたは宇宙をゆするに足る力のあることを、知っているでしょうか。もう一度、心の底からの敬虔をもって、言わせていただきたいのです。神の御霊によって生まれたあなたは、心の中に神を宿しているのです。」(153頁)

 

「旧約時代には神は石で造られた宮に住まわれましたが、現在では、生きたキリスト者によって構成された宮に住まわれるのです。神が私たちの心(霊)をご自身の宿られる場所とされたことを真に知る時に、深い敬虔の念が、私たちの生涯ににじみでるでしょう。自分は神の宮であり、神の御霊が自分の内に宿っておられるということを知る時に、すべての軽率さ、くだらない言動、および自己を楽しませる態度などが消えてなくなるでしょう。行く先行く先に、あなたは神の御霊を一緒にお運びしているということがほんとうにおわかりでしょうか。あなたは聖書とか神のよき教えとか持ち運ぶのでなく、神御自身を運んでいるのです。」(155頁)

 

「あるキリスト者は勝利の生活を営んでいるのに、あるキリスト者は絶えず敗北の生活を送っているのはなぜでしょうか。その違いは、聖霊が臨在されるか否かにかかっているのでなく、(なぜなら、聖霊はすべての神の子らの心に住んでおられるから)ある者は聖霊の内住を認めるけれども、ある者は認めないというということにあるのです。聖霊の内住の事実に関して真の啓示が与えられたなら、いかなるキリスト者の生活も改革されるでしょう。」(155頁)

 

「御霊にあって生きるとは、自分自身ではなし得ないことを、私の内において御霊がなして下さるために、御霊により頼むことです。」(194頁)

 

「主に罪のゆるしを求め、かつ自分の内に来て下さることを求めた時に、彼の心は生きた神の住居となることを、絶えず私たちは新しい信徒に対して明確にするように努力します。神の聖霊は今や彼の内にあって、彼が聖書においてキリストを発見するために聖書を開き、祈りを導き、彼の生活を支配し、彼の内に主の性質を再現させれるのです。」(222頁)

 

「私たちの内に実在する神のいのち(ゾーエー)のゆえに、主は讃美すべきかな。しかし、なぜその主のいのちの表われが、あまりにも少ししかないのでしょうか。なぜそれは、自分の内にだけ留まっていて、溢れ出て他の者にいのちを与えないのでしょうか。なぜそれは、私たち自身の生活においてさえ表われることが少ないのでしょうか。なぜいのちがあるのに、そのいのちの印が非常に薄いのでしょうか。それは、わたしたちの内にある魂(プシュケ)が、そのいのちを包み、かつ閉じ込めてしまうために(ちょうどもみが麦の粒を包むように)いのちは出口を見出すことができないからです。私たちは魂によって、生きており自分自身の生来の力によって働き、かつ奉仕しています。私たちは神から力を引き出していません。いのちが溢れ出る道に立って妨害しているのは、魂なのです。その魂を失ってください。そうしてこそ満たしがあるのです。」(294頁)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ウォッチマン・ニー「キリス... | トップ | ウォッチマン・ニー、証し人... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

本と雑誌」カテゴリの最新記事