御歳神社の奥、御歳山を囲むように背後に扇形の山が広がっている。
まさに、御歳神社とそのご神体山の守りの山である。
50年ぐらい前にはこの背後の山に祠があったと云う。
そして、古代祭祀の形とも取れる磐座(いわくら=神が降り立つ場所として祭られる場所。神社の原型)があると云う。
その、磐を探しに、昨年から、何度も奥山に入っている。
昨年12月、ついに発見。背後の山の一番高い峰、「カナ山」にいくつかの岩があった。
中腹にもとても惹かれる岩がある。
年配の方に聞くと、山頂と中腹に確かに祠があったそうだ。
きっとここだろうという場所も見つけた。
御歳神社の歴史は大変古い。文献に現れる奈良時代以前や創祀は不明だが、仁徳天皇の頃、すでにこの地は重要な土地であった。また、神話の世界に踏み入る時代にも、この地の伝承は多い。だとすれば、神社の前段階の磐座祭祀があっても不思議ではない。三輪山付近に政治の中心が興るより前に開けた場所だとも考えられるのだ。
それほど、大昔の話をしなくても、祠があったのなら、つい最近まで祭られていたわけである。村の方にお聞きすると、昔は道があって、かまどの柴を取りによく入ったという。春には「さなぶり」といって、豊作祈願のため、山の神様にご挨拶に行ったとも聞く。
この50年、里山は人々の生活から切り離されてしまった。柴を取りに行き、子供の遊び場になり、しいたけを栽培したり、山菜取りに行ったり、田の祭りのために山の神をお迎えに行くような祭祀も随分消えてしまった。植林された杉も手入れされる事なく放置されてしまうと、木は弱ってしまう。山の荒れようは必然である。
自然を征服するのではなく、共存する事こそ、東洋人の気質を育んだように思う。森や木々は間違いなく人を癒してくれると感じる。日本の神社はそういう場所にこそ、あったのだと思う。そういうものに惹かれるのは、人間本来の感覚なのだろう。森や木々はその感覚を呼び覚ましてくれるように思う。
「森へ帰ろう!」…キャッチコピーのような言葉が木霊する。
昨日、また、新たな一歩をしるした。
この荒れ放題の奥山に50年前の道を通そうというのだ。
これまでに、磐座を確認して、注連縄を張って、場所の特定も地図と照らし、ポータブルGPSのお世話にもなり、把握する事が出来た。神社の持ち山以外の山は、持ち主に話をして、許可を得た。そして、昨日。
チェーンソーや鎌を持って昔の山の道を通すために第一歩を踏み出したのだ。
天気予報は雨だった。山の神様がOKなら、晴れると嬉しいなあと思いながら、この日を迎えた。
ああ、快晴!絶好の山歩き日和!
作業も思っていた以上にうまくいった。
結果に大満足。
この調子なら、奥山の一番峰「カナ山」を巡る一周コースは出来そうだ!
嬉しい確信を持つ事が出来た。
何よりこの気持ち良さは何だろう!
人が本来必要な空気をこの場所は持ち続けているように思う。
心の底から歓喜が湧き上がるような幸福感。。。
まだまだ、端緒である。
これからも、道の整備は続く。
奥山でのお祭りもしたいと思う。
「血が騒ぐ」というのはこういうことかもしれない。
一緒にこの空気を感じたい方、ぜひやりましょう。
神域に敬意を払いつつ、自然の恵みを頂きましょう。