月曜日、神職講習でルームメイトだった友人が千葉から御歳神社へ来てくれました。大切な女性です。
「東川さん、なんか、感じが変わりましたね~やわらかくなったし、明るくなった感じかな~」というようなことを言ってくれました。
そりゃぁね~講習会の頃は、底の底でしたもん。。。
神職になった頃、神社も私を取り巻く状況も悲惨なものでした。
神社が荒れるにはそれなりの理由があります。
錆付いたギアを動かすのは容易ではありませんでした。
一から始めるような状況。というより、マイナスから始まったかな~
私は神職の家系に生まれたわけではありません。
運命のいたずらか、私が望んだからか、神職になりました。
なかなかうまく行かない状況の中、「私でいいのでしょうか?」
といつもそればかりを尋ねていました。
「しつこいなあ!」と思われたかも!?
「あんたがやるというから、あんたの心意気を見込んで仕込んでやってるのに、うるさい奴やなあ~!」って感じ~笑
ああ、これは御歳神さまの言葉じゃないですよん^^
でね、私も尋ねるのがしんどくなって、うまく行かない自分にもいらだってたので、ひとつ、拝殿でお願いをしました。
こんなお願い、本当はしたらダメなんですよ~
「私でダメなら、私を排除してください。殺してくださっても構いません。
でも、排除されないように私は努力します。」
―どこまで面倒な奴やねん!そやから、あんたしかおらんと言うてるやろが。。。てな感じ^^
でもね。これでずいぶん気楽になったのでした。
とりあえず、生かされている間は、手足となって働こう。
私は神様ではないから、失敗するし、間違うし、何が正しいのか本当にはわからない。でも、生かされているのなら、自分の考えを良しとしよう。神様が見ていてくださるなら、間違ったら、きっと修正されるはず。
粉々になりそうでも、ならなかったのは、感情の部分で激しく揺さぶられても、理性の部分で、神様の大いなる修正を信じていたからかもしれません。
自分の行動を肯定するのは、勇気が要りました。
否定するほうが楽なのかもしれません。
でも、自己否定からは何も生まれません。
自己否定は外の世界を見えなくします。
冷静な判断を誤らせます。
人は皆、心に闇を持っています。
心の闇から発せられる批判には耳を貸さない。
自分自身の闇からの言葉に、乗っ取られまい。
正しく判断するためには、自分をニュートラルに、フリーにしておくことです。
これでもかというほど、来る時には困難が降り注ぐものです。
それを一つ一つやっつけながら、ずいぶん強くなりました。
強くならなければ、やってられないもーん!
拝殿で、わめきもしたし、泣きもしました。
泣くのはタダですからね^^泣いたらいいねん!
それは感情を制御するために狂わないための予防策。
どんなに願っても、解決するのは自分自身です。
でも、ものすごく優しく手を差し伸べてもらいました。
―気持ちはわかる。応援してるよ~
良いことがあれば、拝殿で報告です。
めちゃ、感謝です。
やっぱ、ここの神さん、すごいです!って思う。
3年ぐらいは、先の見えない霧の中を手探りでひたすら歩いていました。
時々、光が差して、かすかに見えます。
ああ、あっちへ行きたい!
でも、道のりは遠いなあ~私に歩けるのか。。。
思い直して、というより、諦めて歩き出します。
でも、見えない神様だけでは、しんどかったと思います。
なので、人を派遣してくださいました。
たくさんの人のリアルな応援があったから、歩いて来れました。
ようやく、長い長いトンネルを抜けて、来たかった場所へやってきました。
さて、これから、この大地に何を作り上げるのか。
お楽しみはこれからです。
みんな自分の場所があります。
その場所は、あなただけの場所なんですよね^^
なので、「あなた」でよいのですよね。
それって当たり前のことなのだと思っています~。
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