鎮守の杜から
葛木御歳神社神職が、神道についてや、日々感じたことなどを思いつくままに綴った私的なページです。
 



五十年以上使っていて痛みが激しかった拝殿の幕を
ようやく新調できました。
今日、濃い紫の幕が届きました。

御田祭りでお披露目です。
一層華やぐことでしょう。

御田祭りは、5月3日(木)午前11時~です。
稲や農作物のより良い生育を祈願すると共に、諸産業の実りを祈願いたします。

御歳神社にいにしえより伝わるいなご除けの護符を授与いたします。
田を荒らすいなごから田をお守り頂くようにとの願いから、
氏子地域では苗代の水口に供えます。
蝗除けのみならず、災禍除けの護符として、
家の玄関口にかけてください。

どなたでもご参列頂けます。
皆様のご参集をお待ちしています。


*写真は本殿の壁画です。
鳥が描かれています。




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光の季節到来です。

今朝の御歳神社は光が満ちていました。

夏を思わせる強い日差しの中で、小さな虫が飛び交っています。
まるで、精霊さんが、元気よく飛び跳ねているよう。。。

快晴なのに、白い煙のように光の帯が見える時があります。
今日もそうでした。

「ああ。神様の通り道」と思います。

毎日、少しずつ表情が違います。

雨上がりの霧のお社も荘厳です。
今日のような快晴の日は、力強くて、
力を分けていただけるような気持ちになります。

朝の神々しさと、夕闇の優しさ。

訪れる者の心とも反応して、様々な表情を見せてくれます。

もうすぐ、御田祭り、
さて、どんな日になるか楽しみです。

*御田祭りは5月3日(木)午前11時~です。
皆様のご参列をお待ちしています。

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咲いたよ♪
今年も。。。

どうしてこんなに嬉しくなるのかなあ^^

一昨年見つけた銀龍草(ぎんりょうそう)。
忘れずに顔を出してくれました。

それだけで嬉しくなるのは何故かしらね。

皇學館での神職講習でお世話になった先生のメルマガに
小泉八雲のことばの紹介がありました。

「いったい、日本の国では、どうしてこんなに樹木が美しいのだろう。
西洋では、梅が咲いても、桜がほころびても、格別、なんら目を驚かすこともないのに、それが日本の国だと、まるで美の奇跡になる。その美しさは、いかほど前にそのことを書物で読んだ人でも、じっさいに目のあたりにそれを見たら、あっと口がきけなくなるくらい、あやしく美しいのである。」

そうそう^^その心境です。
今年も出会えて良かった^^嬉しいな。

*銀龍草はギンリュウソウではなくギンリョウソウです。
ユレイタケなんて頂けない名前もあるけれど、キノコではなく植物です。
「水晶蘭」という名前もみつけました。

ネットで検索したら、「鉄の精」とも呼ばれているらしいです。
鉄分の多い所に咲くのでしょうね。

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春ですねえ。
このところ鳶さんが素敵な声で鳴きながら旋回しています。
どうも境内のヒノキがお気に入りのようで、
止まったりもしています。

意味深に旋回しているとんびさん、
どちらからのお使いさんかしら。。。

あるいは、ここの神社のために働いてくださるおつもりかしら。

穏やかな日で、昨日はすっきりお掃除しました。
時間切れで石段は今日ですが。

昨日参拝の年配の女性の方は、感激されていました。
あちこちの神社仏閣を参詣されているそうですが、
3年前にここへ来た時は、神様不在だとおもってガッカリしましたが、
奈良リビングを見て来てみましたとか。

で、今はしっかりいらっしゃいますね。
あまりに気持ちよくてうれしくなりました。
とのこと。

とんびの来訪とともに、嬉しい穏やかな日和でした。


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この週末は、近くの朝妻の村で大切にされているお社三社の本遷座祭でした。
2月24日に新社造営の為、仮社へお遷り頂いてからふた月、
木の香も美しい立派なお社が完成して、本遷座祭でした。
前日は雨でしたが、この日は穏やかな日で、夜7時開始。
24戸の村の人総出でお祭りです。
前回同様、笙と鈴と拍子木、提灯を村の役員さんにお願いして、
しっかり打ち合わせして、役員全員白装束に麻苧のたすきをして始まります。

もうすっかり意気投合していて、素晴らしいチームワーク!!
暗闇の中、祝詞奏上になると提灯の灯りをさしてくださいます。
たくさんの村の方が参列されているにも関わらず、
しーんと静まりかえった中で、祝詞の声が響きます。
ものすごく緊張しますが、とても気持ちよく奏上させて頂き、
いよいよ遷座。

覆面(マスクみたいなものです^^)も用意してくださって、
扉を開けて警蹕「おぅ~!」の声をみさきにしてお渡りされます。
厳かな式が続きます。

一社は100mほど先に遷座します。
鳴り物を鳴らして警蹕をかけて御祓いしながら進みます。

すべてのお祭りが終了したら、大きな花火をどどーんと上げてくださいました。
火のそばで直会のお神酒を頂き、
「ああ、いいお祭りだったなあ!」と皆で感慨でした。


翌日午前には、宮司も一緒に奉祝祭を行いました。
また鳴り物の花火で開始。

銅板の屋根がキラキラ輝きます。
工務店も地元の方で、まさに魂を込めて作りましたとの談。
「ああ、朝妻はこれからますます良い村になるよなあ!!」
と皆、感激しきり!

祭典の後、皆でお膳を囲んで、乾杯!
自治会長さんは、感極まって涙涙での挨拶になりました。

来賓の隣村の方にも、
「スムーズにお祭りされるなあ!打ち合わせをだいぶしたやろ?」
ってお褒めのお言葉を頂いて、役員も私も鼻高々です^^

「もし、遷座祭されるなら、このメンバーで手伝いに行きましょか?!」
なんて冗談言われて「ぜひお願いします~!」と返しておきます。

来年から、この日を記念日に毎年お祭りをしよう!と決まりました。
「禰宜さん来てくれはりますやろ?」
「もちろん、喜んで行きますよ~!」
「その前に、反省会しよか?焼肉パーティーやで!」
「やろやろ!!」

相変わらず、しこたまお神酒を注がれて、
キライでないもんで、美味しく頂戴しました。

ハレの日。
無事務められてほっとしました。
皆様の喜びがそのまま神様の喜びですよね。
良かった良かった。
またお参りに行きますね。



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いつからだろうか。
どうしてこうも…と思うほどの苦難の連続である。
「苦難」などという言葉は使いたくなかった。
人は皆、なにかしら苦難を抱えて生きていくものだから。
しかし、あまりに厳しすぎる状況に、もう降参したくなった時、
その苦難を認識する事で、もう少しだけ、歩いていけるような気がする。

そうなのだ。苦難の道を歩いているのだ。
何も恥じることは無い。
私は十分戦って来たではないか。
何度も何度も襲い掛かる困難をあらん限りの力を振り絞って、
撥ね退けて来たのだ。
知恵を使い、体を動かして、もうこれ以上無理だというほど、
働いてきたのだ。

何故?などと問いかけても答えなど返ってこない。
目の前の苦難を時には震えながら耐え忍び、
時には大声をあげて泣いた。

一生懸命生きていけば、いつか明るい未来が必ず来ると信じていた事もあった。
困難を試練と思って乗り越えれば、いつか、幸せはやってくると。

でも、そうとは限らないのである。
何度乗り越えても、状況は悪くなる一方で、
さすがに輝く未来など用意されていないのだと諦念が心を占める。

しかし、私は生きているのだ。
歩いているのだ。

私は約束された未来があるから、歩いているわけではない。
苦難を超えれば優しい幸せが待っているなどと
不確かな幻想に向かってよろよろ歩くのはやめよう。

今、確かに歩いていることこそ、意味のあることなのだ。

出来ることしか、出来ないのだ。
出来ないことに嘆いても未来は開かない。
しかし、嘆き悲しむ自分を許してあげよう。
思い切り涙したら、また歩き出すのだから。

私は、ふりかかる災禍の中、この道を行くべきだと歩き始めた。
それは、幻想だったかもしれない。
災禍の意味をどこかに求めただけなのかもしれない。

それでも今、この道を歩いている。
この道は、優しい未来へ繋がる道ではなかったように思う。
もっと楽な道があったはずなのに、それを選択できなかった。
嘆きながら、でも、すでに選択の余地は残されていないのかもしれない。

これが私の道なのだ。

2日前、おみくじを引いた。
「嬉しい時にも悲しい時にもお話してお祭りしなさい」と書かれてあった。

昨日その言葉を受けて、夜、思いを吐露してしばらく座っていた。
やさしい風が頬をなでていく。
もう一度、おみくじを引いた。
「神の試練の苦悩の石に、おのがこころの玉みがく…そこに新しい道が開けます」

ああ、試練の道でもいいと思った。
私は己の信条を捨てずに生きて行きたい。
それが叶うなら、どんな道でも、歩いて行きます。

「神様、ありがとう」
「誰が見ていなくても、お天道さまは見ているよ」って誰かに聞いたなあ。

どうにも辛くなったら、御歳神さまに教えてくださいとお願いして
おみくじを引きます。
いつも適切な言葉が書かれています。

「見ていて下さるのですね。」
「正しい道を歩いていけますように」

少しだけ、心が軽くなった。










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宝冠の森へ向かう前日は、熊野本宮大社と大斎原へ行きました。

玉置神社へ行く時は、必ず先に大斎原へ行きます。
雨でしたが、川は水量が少なく、
磐のすぐそばまで行けました。

その後向かった玉置神社は、私の大切な場所です。
特別な許可を得て、参籠させて頂きました。
午後五時に到着した時は、深い霧の中でした。
幻想的な空気ですが、いつ来てもここの空気は力強くて
雄大で優しいのです。

夜は漆黒の闇でした。
足元がまったく見えず、さすがにどこに段差があるのかさえ分からない状態で、
あまり歩けませんでしたが、
夜の玉置山は、昼といささかも変わりなく、優しい雄大な空気を持っていました。

夜中、何度も夢うつつで目を覚ましました。
様々な思いを巡らせながら、頭はフル回転しているような妙な感覚のまま、
朝を迎えました。

雲ひとつない晴天。
六時から行われる朝拝に参列しました。
太鼓を打ち鳴らしての大祓詞は、熊野のスタイルです。
腹の底に響く音に魂を揺さぶられます。

ああ、ここの空気。この力。

前夜神職さんと夜語りしましたが、
共に思うのは、自然の偉大な力。
地の気、水の気、風の気、火の気。。。
それこそ、私たちが太古から崇め敬ってきた
神の力なのです。

その復活を切に思います。

異常気象が続いています。
本来の「自然の気」の流れが整いますようにと、祈ります。

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週末は熊野の奥、玉置山にいました。

前日の雨と霧もすっかり晴れて、朝日の昇る中、
玉置神社で朝拝に参列させて頂き一日が始まります。

清々しい空気の中、玉置山山頂から尾根道を約1時間半余歩いて、
修験の行場でもある宝冠の森をめざしました。


玉置神社は、神域の厳かな威厳に満ちた空気を溜めていますが、
ここから伸びる1000mの山の尾根道の空気は、
原始の空気のように何も含まない清浄そのもの。。。
風が滝音のように鳴り響いています。



風が強いせいか、木々の幹は捻れ、寄り添いながら、力強いうねりを感じさせます。生命感にあふれています。

春の太陽が強く差し込みます。
太陽と風が交互に我が身を貫き、身にまとうものを引き剥がして、
清浄なるものへと導かれていきます。
その心地よさ、軽やかさ。
ああ、これこそ、自然の成せる大いなる技であるのです。

谷を二つ越えて、三つ目の山頂。
宝冠のような形をした山。


眼前には、大きく蛇行した熊野の川。
瀞(どろ)峡です。
その雄大な姿に歓喜。

熊も出たそうで、幹に爪跡を残していました。
素人には多少危険な山歩きでしたが、
偶然山岳ガイドをされている方とお会いして、
無事玉置神社まで帰り着きました。


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