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鎮守の杜から

葛木御歳神社神職が、神道についてや、日々感じたことなどを思いつくままに綴った私的なページです。

新しいステージへ

2014年12月19日 | 思うこと
昨年まで、10年間、神社を綺麗に整えるために、馬車馬の如く動いてきました。

一昨年前の摂社修復、昨年暮れの本殿修復、今年春の瑞垣修復と終えて、ようやく、自分のことが出来るようになったのかもしれません。
それと共に、これからは、御歳神社の内部の事だけではなく、御歳神社を拠点として、外に向かっても発信していく段階に入ったような気がしています。

ようやく、神社と、私と、お仲間たちと、色々な条件がそろって、これから新しいステージが始まる予感です。
この秋から新しく出逢った方々は、きっと新たなステージを進むために神様が呼んで下さったのだと思うことにしています。

自分でも不思議なくらい、この秋以降、友人の輪を広げてきました。それもこれも神様の御計画のうち。
おこがましいけれど、そう思うことにしました。
そう思うことで、私は新たな「力」を得ます。
御歳神社の神様の導きだと思えば、正しく歩いて行けます。

良かった。
大丈夫。
きっと歩いて行けます。
すべてを輝きに変えて。
すべてに感謝して。
未知の領域にまた踏み出します。

動きます!

2014年12月16日 | 思うこと
ああ、ようやく動きます!

ずっと停滞状態だったのですが、ここへきて、ものすごいスピードで動き出しました。

起死回生の一打は、突然降りてきました。

「降りて来た」としか言いようがないです。
おこがましいですけれど、神様のお力添えを素直に喜びます。

まだ具体的には話せませんが、
私が一番望む形に動くのだと思います。
きっとこのチャンスを生かします。

私が一番やりたかったことができるような、ウルトラCです!

私は、神ながらの道を進んでいきたい。
進んでいかせてください。
それが、私の一番望む道だから。。。

うまくいかないこと、悲しいこと、嘆き…それは昇華され、新たな輝きに生まれ変わります。

神様に感謝です。
これからも、神ながらの道を歩みます。
どうかどうかお見守りください。

未来は常に明るいのです。
明るい未来を思い描けば、それがエネルギーになるのです。

人生を喜びに変える。

どんな人生も喜びに変える。

生き切った時、それが喜びとなるのです。

今まで出逢った人たちに感謝です。
応援してくださる人たちに感謝です。

私は私の光で輝きます。
最後まであきらめない。
それが力になります。

御歳神社へ帰ります!

どうかどうかお導きくださいませ。


曲がり角を曲がった先に…

2014年09月25日 | 思うこと
NHK朝ドラ「花子とアン」を彩る大切な言葉。

「曲がり角を曲がった先に何があるかはわからないの。
でもきっといちばんよいものにちがいないと思うの。」


道はまっすぐ一本道のように思っていると、急に分岐点に差し掛かります。
もし、まっすぐ進む道に何のためらいもないなら、分岐している道に気がつくことすら無いのでしょう。

分岐点を意識した時点で、きっと何かが変化しているのです。

それを最初は感覚で掴んで、次にこのざわつきが何かを必死で探って、
迷いに迷って、曲がるのか、まっすぐに進むのか最後は自分で選ぶわけです。

曲がる道は見えないからとても不安があります。

その不安を払しょくするために、人は「おまじない」をかけるのかもしれません。

「きっといちばんよいものにちがいないと思うの。」


さて、本当に一番良いものだったのでしょうか?

いえいえ。そんなことはわかりません。
だって他の道を私は歩んでないのですもの。

長く歩いていると、「ああ、失敗だったかも?」と思うことは数限りなくありますよね。
それが現実です。
でも、引き返せないのですもの。

その時、後悔しても始まらない。

「私は、ちゃんと考えて一番よいものにちがいないと信じて歩いてきたのだから、
これこそが、私のかけがえのない人生なのよ。
ここから、また最良の道になるように歩んでいくの」

そう思えたら良いですよね。

そうすれば、失敗も良い経験になります。
深く深く生きていく人生がまた始まります。

「きっといちばんよいものにちがいない」

これは、良いものにしていくための大切な「おまじない」

時には嘆くけれど、「おまじない」を意識して生きていきたいなあと思います。

*写真は御歳神社の奥山登拝路です。





喜びは、多くの方と共にあります

2013年06月30日 | 思うこと
昨日は楽しかったです。
おとしだまの森倶楽部のバーベキュー親睦会。

素敵な方がたくさん集まり、
楽しく面白い話で盛り上がりました^^

色々なことが、実りの時期を迎えています。

で、また新たに前へ進むのでしょう。

どんな道が待っているのか、本当に楽しみです。

もうね、何にも怖いものはない心境です。
どうなっても、それはそれで良いと思えるから。

御歳神社の何度目かの変革期のような時期に、神職として関わって来られたというのは、何と云う幸せでしょう。
そんなことを思います。

辛い思いをすることもたくさんあるけれど、だからこその喜びがあります。

波乱に満ちているけれど、豊かな人生を歩める喜びです。

人の苦しみは、自分だけのものですが、喜びは、多くの方と共にあります。
それこそが深い幸せです。

感謝。

生きていく知恵

2013年03月08日 | 思うこと
NHKの「ドラマ10」、毎回すてきなドラマです。
「はつ恋」「つるかめ助産院」「シングルマザーズ」「いつか陽のあたる場所で」

どれも切なくて、やるせなくて、でも、前向きなところがあって。。。

どうにもならない事とか、どうにも後悔してしまうこととか、
たくさんの思いは、折りたたんで、そっとしまって、
進んでいくしかない、そんなこともたくさんあります。

でも、とにかく、自分の置かれている状況の中で、精一杯生きていく以外にどうにもならない。
その、どうにもならない中であがく自分を愛おしく思えるようになりました。

ドラマ10は毎回ボロボロ泣いちゃうので、必ず一人で見ます。
10時からは仕事で見れないので、月曜日(正確には火曜日)深夜の再放送で。
なので、毎回、月曜日は超夜更かしなのです。

「泣く」事は、「笑う」ことより数倍も浄化作用があると感じています。
これは実感です。
なので、時々、ドラマを見ながら、思いっきり気兼ねなく浄化しています^^

「泣くこと」を恥なくても良いと思います。
それは、結構「糧」になるのですよ。うまく使えば。
気持ちをリセットする作用とか、ストレスや負荷をうまく逃がす事とか。

時々帯電してしまう事があると、その電気をどっかに流す必要があるから。
水分と一緒に放電するのです^^
結構スッキリしますよ^^


苦労はしんどいですが、苦労の無い人生なんて、味気なくてつまらない。
苦労を乗り越えたらそんな境地になります。
なんとも楽しい映画のような人生を生きているなあ~と、
その彩り豊かな人生を愛おしく思えるようになりました。
苦あればこそ、喜びは何十倍にも増してくる。
小さな喜びを大きな喜びに感じられる事こそが最高に幸せなのだと思います。

笑っていると人が集まってきます。
だから笑っていられるように心の澱はうまく流して。
これこそが、生きていく知恵なのでしょうね。

人に癒されて、人は生きていきます。
癒される事も、癒すことも同じくらい幸せな事です。
たくさんの人と関わって、幸せを共有できたら一番幸せですね。

*大好きな素敵な女性へのメールに書いたことを織り交ぜてブログにしてみました。
大好きな方とメールをやりとりできるのって幸せですね^^


恩師

2012年11月28日 | 思うこと

皇學館大学教授の本澤雅史先生が、昨日逝去されました。 
享年53歳。 

あり得ない思いです。信じられない思いです。 

mixiは亡くなられたとメールが入る15時間前までログインされていました。 
ブログも前日まで「警蹕(けいひつ)の音」について書かれておられました。 
http://ameblo.jp/laphroaig-10/

私の神職での最初の師匠。 
で、もう私も宮司ですから、ただ一人の師匠かもしれません。 
私が右も左もわからない最初の講習から、祭式とか祝詞とかを教えて頂きました。 

とにかくお忙しい方でした。教授をされながら、神社本庁の祭式講師。 
地元さぬきと奥様の実家の兵庫県の神社もご奉仕されていました。 
他に、講演や百貨店でのシリーズ講座などもされていたり。 

新嘗祭前後はまたご多忙だったのでしょう。 

学生や講習生にも大変慕われておられて、お酒の席が大好き! 
忙しくてもお酒の席には出席されます^^ 
マッカランウイスキーがお好きで、クラプトンがお好き。 
私もクラプトンが好きだと話したら、飲み会でクラプトンの「ワンダフル トゥナイト」を歌ってくださいました。 

御歳神社が寂れていた事は御存知で、「あの神社は、もっと盛り立てなければなりませんね~」と仰せでした。 
神社を盛り立てるために、何をしたらよいか、何をしてはいけないか等、折りに触れて相談していました。 
基本、私の思うように「積極的にやりなさい!」と背中を押してくださいました。 

「ぜひ、御歳神社に参拝させて頂きます」と最初の講習の際に仰ってくださって、 
本当に一昨年には、学生を連れて、正式参拝にお越しくださいました。 
感激するやら、緊張するやら、。。。でも、飲み会まで楽しい時間をご一緒させて頂きました。 

神職講習会の同窓会をしましょう!と声が上がっていて、 
本澤先生の御尽力で、数年前より、同窓会兼講習会を開いてくださるようになり、 
今年も参加させて頂き、宴席も楽しくご一緒させて頂きました。 

また2月には次回の同窓会だなあと、先生にお目にかかれるのを楽しみにしていました。 

祭典の意味や祭式にも祝詞にもすべてがご専門のような方で、ものすごい博識。 
それでいて、ユーモアたっぷりの方でした。 

ありえない~としか思えません。 
本当に本当に残念でなりません。 

先ほど、通夜と葬儀の連絡が来てしまいました。 
本当にお亡くなりになられたのですね。 

もっともっと色々語らいたかったです。 

最初の師匠が本澤先生で良かった。 
本当に感謝しています。 
ありがとうございました。 


なでしこJapan

2012年08月10日 | 思うこと

なでしこっていい名前ですよね~ 
ホント、日本人っていいなあと思います。 
時々嫌になる事もありますけどね。 

若い頃は、日本的なものが煩わしかったけど、 
年を重ねると、ああ、いいなあと思います。 

可憐で、弱々しげでも、実はとても芯が強い。 
それでいて、個人技だけに走るのではなく、和を大切にして、チームプレーをする。 

暗黙のルールがあるのですよね。 
それが日本人気質。 
たぶん、西洋では、それをキリスト教精神が担っているのかもしれないけど、 
日本は、そんな意識ではなく、自然に暗黙の倫理観があるような。。。 

真面目ですよね。ひたむきですよね。真摯ですよね。 
そんな良さをいつまでも持っていたいなあと思います。 

なでしこJapan、優勝するか準優勝かはホント、運みたいな気がしました。 
どっちが勝ってもおかしくない試合。 
良い試合をしましたよね~。 
決して恵まれた環境で練習しているわけではないけど、粘り強く世界の頂点へ来たわけです。 
私は録画で、朝から前半、昼から後半を見ましたが、 
結果がわかっててもハラハラドキドキ、本当に楽しみました。 

男子も強くなったけど、女子もすごいですよね~。 

今、良い時代になってきたのかもしれません。 

私が学生の頃。その前世代の安保世代。その後のバブル謳歌時代。 
なんか、若者は自由を享受するのが当たり前のように思えていたけど、 
それは恵まれた日本だけの現象だったのかもしれません。 

今、若者に厳しい時代になって、少し可哀相に思ったりしたけど、 
実はたくましく育っている若者がたくさんいるのかもしれません。 

情報は洪水のように溢れる時代。 
その中を、泳ぎきるのは、案外難しいですから。 

厳しい今の時代の世代が成熟したら、もう少し日本もよくなるかもしれない。 
そんな思いもしています。 

ひたむきに生きることを、時代が強く求めてきているのかな。 
だからこそ、ひたむきな彼女たちがとても輝いて見えました。


メルトダウン

2012年08月05日 | 思うこと

昨日の昼間にNHKスペシャルで「メルトダウンー連鎖の真相」を放送していました。 
NHKを批判する人が結構居られますが、私はネットの垂れ流し情報よりは信用しています。 
ネットでは根拠も出さずに次々に伝言ゲームのように意図的に広がる事があるからです。 
もちろん、NHKや政府が情報すべてを公開しているとは思っていませんが。 
丁寧な取材をされていました。 

論調は、事故の原因と安全性を確認出来ていないのに、見切り発車で運転再開をしても良いか?という論調でした。背景に原発反対デモの映像を流しながら。。。 

今回、二号機についてでしたが、二号機は、成す術がなく天を仰ぐ状況まで陥っていたというのです。 

冷却のために注水が必要ですが、内部は7気圧にもなっていて、圧力を下げないと水が入らないので、圧力を下げる事が必要になります。 
ここで、重要な構造上の欠陥があったのです。 

メルトダウンが始まっていた二号機は14日深夜0時には、圧力容器の底を溶かして格納容器内部にまで溶け出します。そのため、格納容器自体の圧力が異常に高まるわけです。 
圧力を下げるために弁を開いて空気を逃がすのですが、そのSR弁が開かない。 
SR弁は、窒素の圧力で開栓する仕組みなのですが、異常に高くなった格納容器内部の圧力以上の圧で押さないと開かないわけです。つまりは、異常事態では開かないという構造上の欠陥を持っていたのです。 

現在日本には、このしくみの原発は26基あるのですが、東電も政府も事故調査報告書ではこの事には触れていないというのです。 

もうひとつ、ベントと言われる煙突から緊急避難的に空気を逃す方法があるのですが、 
1号機、3号機ではベント成功で、映像からも白い煙が上がっているのが見えていましたが、二号機ではベントも出来なかった。 
これについては、地震の影響だろうと専門家は指摘していました。 
ベントのための弁を開くのも、空気を送り込んで弁を開けるのですが、この配管は70mもあり、耐震基準もCクラスで緩く、地震で配管に漏れが生じたのではないかと指摘していました。 
東電は、津波の影響は報告していますが、未だに地震による影響は報告していません。 

この二つの重大な欠陥で、二号機は危機的状況に追い込まれます。 


最大の危機に見舞われたのが、3月14日から15日でした。 
現場はメルトダウンも承知していて、14日午後8時にはメルトダウンが始まって、 
14日深夜には、圧力容器の底を突き破って、格納容器内に溶け出していることも把握していました。 
一刻も早く、圧力を下げて注水冷却しなければ、最悪の大惨事に陥る事態が、 
秒読み段階にきていることも承知していました。 
しかし、何度試みても、どちらの弁も開かず、次第に圧力が高まる数値を読みあげる声だけが響く状態だったそうです。 
このままでは、格納容器が破壊されて、大量の放射性物質が一気に放出される。。。 
「生きてここから出れないかもしれない」 
「日本がどうかなってしまうかもしれない」 
「死にそうな気分で頭を抱えながら打つ手がない状態であった」と。 


私はある種の感慨であの日を思い出しました。 
14日の昼に東京でライターをしている知人からメールが届きました。 
「御歳神社の神様に原発の無事収束を祈願して欲しい。併せて、原発が日本から無くなる状況に向うように道を付けて欲しいので、ぜひとも祈願してください」 

事故のニュースを連日見ていて、これは危機的な状況なのだろうと思っていました。 
この日は午後3時から10時半まで塾の仕事なのですが、まずは、自宅から車で20分の神社に向かいました。平服でお祈りして、祈願の内容を伝えました。 
しかし、気持ちが落ち着かない。 
急ぎ、塾の準備の合間を縫って祝詞を書き上げました。 
普通なら、翌日の朝に祈願の祭典をするところですが、胸騒ぎがして落ち着きません。 
もし、朝まで待って翌朝に大惨事になっていたら、ものすごく後悔すると思い、塾が終わった10時半から準備をして深夜の神社に向かいました。 

その時のブログです。↓ 
http://blog.goo.ne.jp/mitoshi7/e/6577246e4ff5f2b993909b74f3539d04 

先日その知人から、「あの日、東川さんが祈願していた日が、一番のヤマ場だったようですね」とメールを頂きました。 
今日、番組を見て、ああそういうことだったのね。と思いました。 

こういう書き方をすると、私の自慢みたいに受け取られるかもしれませんが、 
最近は、自分の感覚を大切にしています。 
居ても経っても居られなくなって、深夜の神社で一人夜の闇の中で祈願をしました。 
真剣に祈りました。 
祈りはいつも真剣です。真剣に祈らないなんて罰当たりな事は出来ませんもの。 
神様がきっとお聞き届けくださると信じて祈ります。 

あの日、同じように事故現場でも天を仰いで祈っていた人たちが居られたのだと思います。 

眠れない夜が明けます。 

翌朝6時、衝撃音。格納容器内圧力、ゼロ。 

何が起きたのか、1年半経った今でも確認は出来ていないそうです。 
この後、大量の放射性物質が放出されます。 

しかし、よくはわかりませんが、最悪の大惨事は免れたのかもしれません。 
容器が破損して一気に核物質が放出されたのではなく、漏れ出る状態だったようです。 
死者が出なかったのは不幸中の幸いかもしれません。 
もちろん、甚大な被害をもたらしたことには変わりはないですが。 

番組を見て、この原発事故は、特殊な場合ではなかったと思いました。 
一歩間違えば、死者多数の大惨事になっていた可能性もあります。 
何が、「原発の安全確認ができた」でしょう。笑わせないでほしい。 

SR弁もベントの配管も、事故が起こるまで、誰もその欠陥に気付いていなかった。 
「想定外」が起こるのが事故です。 
「想定外」で大惨事を引き起こす可能性のある原発を使い続ける選択で良いのでしょうか? 
私は「人智」を超えたモンスターだと思っています。 

この教訓を生かさないつもりでしょうか。 
私は、教訓は生かされると思って祈りました。 
まだ学びませんか? 

「今、あまりに電気に頼りすぎた生活をしています。 

それを見直すきかっけにもなったと思います。 

人間は愚かですが、それでも、それほど愚かではありません。 

きっと、大地とともに、地球とともに生きていく道を見つけることができます。 

なので、どうか、道を間違えないように、お導きください。 

どうか、神様の御神威で照らしてくださいませ。 

私たちはそれに応えるだけのものを持っているはずです。 

神様の御神意に報いられるだけの智慧を持っていると思います。 

ですので、どうかどうか、お導きくださいますように、伏してお願い申し上げます。 」 


文明と文化と。守りたいもの。

2011年03月31日 | 思うこと
祝島の原発反対運動を20年以上続けている住民の様子を細やかに撮ったドキュメンタリー映画を通して、
監督の纐纈(はなぶさ)あやさんとも親しくなりました。
この島の豊かな自然とここで行われる祭りは素晴らしく、
知人を誘って、反対運動の署名もしました。
「祝の島」http://www.hourinoshima.com/
でも、村は原発推進反対で真っ二つに分かれてしまって、村の人間関係も難しいようです。

反対運動が続き、ついに実力行使に漁船を繰り出しての反対運動も叶わず、
とうとう原発建設に動いた矢先、この事故。。。

これで、しばらく凍結になりそうです。
あの美しい島が原発の異様な姿にさらされずに済んで良かったと今は単純に思います。

>原発新設の「白紙」検討=被災者支援、支給額引き上げ―菅首相 (時事通信社 - 03月31日 17:03)


これからどうやって行くのか、本当に難しい決断に迫られます。
しかし、原子力がいくら夢のエネルギーでも、制御するのは難しく、
まさしく神の領域に手を出すような気がしています。

素晴らしい技術があれば、それを産業に取り入れ、暮らしを豊かにしてきたのが今までの200年です。
これからの200年をどうしていくのか、真剣に考えるべき時なのかもしれません。

便利さを手放すのは容易ではありませんが、
便利さのために失ってきたものもたくさんあるような気がします。

神職をしていると特に考えます。

便利は合理的思想を生み、村の祭りは簡素化する傾向が止まりません。
しかし、文明が文化を殺すことになっては、私たちのアイデンティティーを放棄しかねないことになります。
文明は、文化を生かし共存しなければ、文明すらも滅びる気がします。

エネルギーを考えることは、私たちの在り方を考えることにもなります。

さて、人間は自身の智慧で自制出来るのでしょうか。
やはり、人間はどこまでも上を目指して、たとえ暴走しても止まれない性を持っているのでしょうか。

そろそろ価値の転換を突き付けられているのかもしれませんね。

とりとめもなく。。。

明日は月次祭です^^もう4月!!

拡大し続ける経済と置き去りにされるもの

2011年03月27日 | 思うこと
2年前ぐらいにも書いたのですが、
GNPがずっと伸び続けるって変だと思う。
人口はこれから減少します。
明治の文明開化(?)から戦後の復興とずっと右肩上がりで伸び続ける経済。
おかしいんじゃないかな?

便利になることの反面、大切なものを置き去りにしてきた気がします。

私が子供の頃、夜はもっと暗かったです。
夜道は多少危険でしたが、少年たちが真夜中までコンビニの前に座っている姿はなかった。

お正月は店も会社も一斉に閉まっていた。
お正月の7日まで市場も休み。
皆一家団欒でおせち料理を食べて市場の開くまでを過ごしてた。
三が日は神社の初もうでや親戚ん家へ行ったり、運動場で凧揚げしたりした。
そんな風景もいつのまにか消えた。

町の巨大スーパーは、昼間から煌々と明かりを灯す。
そうして深夜まで営業する。
コンビニも24時間営業。
遊園地もナイター営業。
都会は眠らない夜を演出している。

確かに便利になったけど、
忘れものもたくさんしてきた。

夜の漆黒の闇も心地よい。
夜は暗く、朝はまぶしい。
当たり前のサイクルがおかしくなってきた。

今さら、行燈で過ごせるわけはないけど、
もう少し、あるがままでいても良いように思う。

原子力発電無しで、成り立たない世の中になってしまった。
何よりエコでコストが安い。二酸化炭素を放出しない。
電力需要はますます増大するばかり。
だからこその原子力。

需要があるから供給が加速する。
供給があるから、需要が増える。

店の営業時間を増やしたら、儲けが増える。
コストとのバランスで動く。
で、無駄な時間がなくなり、人は働くために生きている。

コストとしての人件費が抑えられるならと賃金は抑えられる。
そうして、電気にお金を使う。
ひどいデフレの中で、少しでも利益率を上げるために稼働時間を増やして実質賃金を切り下げる。

豊かになったようで、実は「幸せ度」は確実に減りつつある。

こんな世の中をだれが望んでいるのでしょうか?
望まない世の中を変える術はないのでしょうか?

お正月とお盆は特定の業種以外は休みでした。
家族は家族としてあることができました。
一家揃って食事ができる家庭はどのくらいあるのでしょう。
会話は減り、言葉は退化してきています。
言葉が退化すると文化が死にます。

皆が忙しくなると無駄なことをやめようと考えます。
村の行事が縮小して、コミュニティの結束が衰退して、
家族の絆もほどけてくる。

このままでいいのかともう一度考え直すきかっけになっている気がします。
このままで良くないと思います。

インターネットを通してのグローバル化は素晴らしい。
しかし、グローバル化は、個々の文化を守ってこその世界市民的共通認識。
個々の文化を認め合う関係でなければ意味がない。

このまま、まだまだ便利を追求するのでしょうか?
文化を置き去りにしてどこへ行くのでしょうか?

電気には環境税をかけてコストを上げればよい。
真夜中に煌々と電気をつけて営業しても儲からない仕組みになれば良い。
長時間労働をしなくても、生きていける仕組みが出来ればよい。

コストパーフォーマンスより、人の幸せを。



あはは。。。思い切り優等生的意見ですが、ちょっと本気で考えてみたくなりますね。
今、この状況では…ねっ!

真夜中の祈願

2011年03月15日 | 思うこと

今日(14日)、お昼に東京の知人からメールが来ました。 

ぜひとも御神威の強い御歳神さまに、原発事故が無事安全に収束しますように 

ご祈願をお願したいとのことでした。 


午後から塾で準備がまだなので、ちょっと時間がないので、 

まずは取り急ぎ平服でお祈りしてきました。 


で、塾が終わる10時半頃テレビをつけたら、まだまだ予断を許さない状況。 

これは、明日まで待って、もし大惨事でも起こったら、本当に後悔しますので神社へ向かいました。 


メールの後、塾の準備をしながら、急ぎ祝詞を作成。 

祈願内容と思いをメールで丁寧に頂き、その気持ちが私の気持ちととても近かったので、 

思いを伝えるべく祝詞を作りました。 


祝詞を書きながら、神様に何をお願いしたいのか、何が神様にお願いすることなのか、そんなことをいつも考えているんですね~。 

ですので、祝詞を書き終えるといつもすっきりした気持ちで祭典に臨めます。 

祝詞を書く作業が私にはとても大切なのだと改めて思いました。 



今回の未曾有の大惨事をどう受け止めたら良いのか、本当に心が痛みます。 


亡くなられた方のご冥福を祈らずには居られません。 

しかし、あまりに悲惨すぎて現実のものと思えない自分が居るのも事実です。 

これ以上、被害が広がらないように、もう津波が発生しませんようにとまずは神様に毎日お祈りしています。 


今回、原発事故が大惨事にならないように懸命に働いておられる方がいらっしゃいます。 

きっと命を賭けても安全を取り戻そうと働いておられる方がいらっしゃる事でしょう。 

しかし、原子力は、やはり、人の叡智を以ってしても制御できない、人智を超えた代物なのだと感じています。 

これを機にきっとエネルギーの転換への議論も始まることでしょう。 

間違ったことは、正せばよいのです。 

昔から日本人はそうしてきました。祝詞にもあります。 

「過チ犯ス事ノアランヲバ神直ビ大直ビニ見直シ聞キ直シマシテ…」 


ですので、これ以上、大惨事になりませんように。。。 

きっともう十分学んでいるはずです。 

もちろん、まだまだ何度も過ちを犯すのも人間ですが、それでも、少しずつ学びますから。。。 

「もんじゅ」などという神の名をカタル原発もありましたが。。。 


そんな思いで、祈って参りました。 

ああ、でも、日記を書きながら、テレビを聞くと、かなり危機的だと云います。 

ああ、なんとか、収束しますように。。。もう祈るしかないです。 


夜の闇の中の神社は好きです。 

空気がとても澄んでいます。 

音が遠くまで響きます。 


祝詞を読んでいると空気の塊が細い束になって私を包みます。 

それを御神威であり、御神意だと私は受け止めます。 


御歳神さまはお優しいです。 

(怒られたら怖いですが…^^) 

なんとか、恐ろしい大惨事にならないように、どうかどうかお取次ください。 


今、あまりに電気に頼りすぎた生活をしています。 

それを見直すきかっけにもなったと思います。 

人間は愚かですが、それでも、それほど愚かではありません。 

きっと、大地とともに、地球とともに生きていく道を見つけることができます。 

なので、どうか、道を間違えないように、お導きください。 

どうか、神様の御神威で照らしてくださいませ。 


私たちはそれに応えるだけのものを持っているはずです。 

神様の御神意に報いられるだけの智慧を持っていると思います。 

ですので、どうかどうか、お導きくださいますように、伏してお願い申し上げます。 


まずは、原発事故が収束しますことを、心をこめて祈って参りました。

 

 


あなただけの場所

2010年11月20日 | 思うこと
月曜日、神職講習でルームメイトだった友人が千葉から御歳神社へ来てくれました。大切な女性です。
「東川さん、なんか、感じが変わりましたね~やわらかくなったし、明るくなった感じかな~」というようなことを言ってくれました。
そりゃぁね~講習会の頃は、底の底でしたもん。。。

神職になった頃、神社も私を取り巻く状況も悲惨なものでした。
神社が荒れるにはそれなりの理由があります。
錆付いたギアを動かすのは容易ではありませんでした。

一から始めるような状況。というより、マイナスから始まったかな~

私は神職の家系に生まれたわけではありません。
運命のいたずらか、私が望んだからか、神職になりました。

なかなかうまく行かない状況の中、「私でいいのでしょうか?」
といつもそればかりを尋ねていました。
「しつこいなあ!」と思われたかも!?
「あんたがやるというから、あんたの心意気を見込んで仕込んでやってるのに、うるさい奴やなあ~!」って感じ~笑
ああ、これは御歳神さまの言葉じゃないですよん^^

でね、私も尋ねるのがしんどくなって、うまく行かない自分にもいらだってたので、ひとつ、拝殿でお願いをしました。
こんなお願い、本当はしたらダメなんですよ~
「私でダメなら、私を排除してください。殺してくださっても構いません。
でも、排除されないように私は努力します。」

―どこまで面倒な奴やねん!そやから、あんたしかおらんと言うてるやろが。。。てな感じ^^

でもね。これでずいぶん気楽になったのでした。
とりあえず、生かされている間は、手足となって働こう。
私は神様ではないから、失敗するし、間違うし、何が正しいのか本当にはわからない。でも、生かされているのなら、自分の考えを良しとしよう。神様が見ていてくださるなら、間違ったら、きっと修正されるはず。
粉々になりそうでも、ならなかったのは、感情の部分で激しく揺さぶられても、理性の部分で、神様の大いなる修正を信じていたからかもしれません。

自分の行動を肯定するのは、勇気が要りました。
否定するほうが楽なのかもしれません。
でも、自己否定からは何も生まれません。
自己否定は外の世界を見えなくします。
冷静な判断を誤らせます。

人は皆、心に闇を持っています。
心の闇から発せられる批判には耳を貸さない。
自分自身の闇からの言葉に、乗っ取られまい。
正しく判断するためには、自分をニュートラルに、フリーにしておくことです。

これでもかというほど、来る時には困難が降り注ぐものです。
それを一つ一つやっつけながら、ずいぶん強くなりました。
強くならなければ、やってられないもーん!

拝殿で、わめきもしたし、泣きもしました。
泣くのはタダですからね^^泣いたらいいねん!
それは感情を制御するために狂わないための予防策。
どんなに願っても、解決するのは自分自身です。
でも、ものすごく優しく手を差し伸べてもらいました。

―気持ちはわかる。応援してるよ~

良いことがあれば、拝殿で報告です。
めちゃ、感謝です。
やっぱ、ここの神さん、すごいです!って思う。

3年ぐらいは、先の見えない霧の中を手探りでひたすら歩いていました。
時々、光が差して、かすかに見えます。
ああ、あっちへ行きたい!
でも、道のりは遠いなあ~私に歩けるのか。。。
思い直して、というより、諦めて歩き出します。

でも、見えない神様だけでは、しんどかったと思います。
なので、人を派遣してくださいました。
たくさんの人のリアルな応援があったから、歩いて来れました。

ようやく、長い長いトンネルを抜けて、来たかった場所へやってきました。
さて、これから、この大地に何を作り上げるのか。
お楽しみはこれからです。

みんな自分の場所があります。
その場所は、あなただけの場所なんですよね^^
なので、「あなた」でよいのですよね。
それって当たり前のことなのだと思っています~。


名誉宮司

2010年10月03日 | 思うこと
昨年12月に宮司を交代しました。
名誉宮司は今年88歳です。
足腰は少し弱くなって階段はしんどそうですが、
なかなかに元気です。

今年は猛暑でしたが、ほぼ毎日境内の草引きをしてくれていました。
本当に助かりました。

若い時は、通産局にいて、最後は御所市の助役を務めました。
高校の先生をしていたこともあります。

助役時代は、なかなかの論客だったそうです。
熱い議論を戦わせた話も聞いています。

家では、いつも優しいおじいちゃんでした。

私が神職になって、おじいちゃんはとても嬉しそうにしてくれました。
娘のように可愛がってもらいました。
時には神社のことで、意見が食い違うこともありましたが、
だんだんに尊重してくれました。

交代する二年前ぐらいには、お祭りの最中にも
「これでええか?」「次は祝詞読んだらええねんな?」
「違ってたら言うてや~」
などと、確認しながらの時もありました。
年を取って偏屈になる方もおられますが、
こんな風に言えるのってすごいなあと思います。

ますます穏やかになって、いつもニコニコしています。
長年神さま事をやってきて、もう半分神さまの世界に入っているような
穏やかな表情をされています。

いつもありがとうございます。と言うと、
「こうやって草引きしてるとな、心がすーっとするんや~」とニコニコ返してくれます。

ああ、素敵だなあ~
としみじみ思います。
こんな風に穏やかに年を重ねられたら良いなあと思います。

少し華奢になられたなあと思いますが、
お天気の時は大抵境内にいます。
お会いになったら、声をかけてくださいね^^





言霊

2010年07月02日 | 思うこと
      
サッカー日本代表、本当に惜しかったですね。でもよくやりましたよね。
岡田監督が「目標はベスト4」と言ったのは、もうかなり前です。
何を大言壮語を~!と馬鹿にしたような取り上げ方がされましたが、
「云うて何が悪いねん!」と思います。
本田もそうです。どんどん云え~!と思います。

もし、ベスト4と言っていなければ、以前のように決勝リーグ進出で
舞いあがっていたかもしれません。
本田が「思ったほど喜べない」と云った気持ちは、
きっと選手みんなの気持ちだったのでは?と思います。
気持ちがベスト4なんだから、ベスト16はある意味通過点です。
だからこそ、今日の死闘を最後まで戦えたのかもしれません。

日本は言霊の国です。コトバにして発したら、
それには魂が宿ると信じられてきました。

言霊の力って本当にあるんですよ。
何度も実感しています。

物事が実現出来るのは、偶然ではないのです。
人々がそうしようとイメージして、その方向へ進もうとするから、
そうなるのです。
まずは、イメージして願うことです。
それ無くして、タナボタ的に物事が進むなんて、都合よくは行きません。

私は有言実行の人間が好きです。
有言実行。ビッグマウス。大口を叩く。大風呂敷。大言壮語。
それって言霊の力を信じるからこそ!なのかも?と思います。

口にしたことを出来なければ、批判にさらされます。
それは背水の陣。退路、逃げ道を断つことにもなります。
背水の陣は強い。
逃げられないところに自分を追い詰めるから、
突破を試みるしか手が無くなるからです。

私もよく大風呂敷を広げます。
その中で、1年以内に実現できることは、10%かもしれません。
でも、言霊に載せて、皆に話すと皆が知らず知らずに記憶にとどめて、
いつか、日の目を見るのです。
それが大切なのだなあと思えます。

*写真は梅雨の晴れ間の朝、ひんやりした空気の中で現れたさかさまの虹です。
感激しました~

涙の数の分だけ

2010年06月27日 | 思うこと
涙の数の分だけ、喜び、嬉しさもあるのですね^^
それを実感できる私は、真に幸せ者なのかもしれませんね^^

先輩先生から嬉しいエールを頂きました。
ああ、こんな風に、人に寄り添って理解しようとして話が出来たら素敵です。
この先生みたいになりたいな~と思いました。
今日は、心に嬉しい灯がともりました。