2009年に書いた日記を再掲
世の中、大不況です。
ガタガタ揺れています。
少々不況でも、庶民の生活は守られてきていた日本。
今は違います。
この10年で恐ろしいほどに変貌してしまいました。
一番大切な人の幸せを置き去りにしてしまったのかもしれません。
皆が少しずつ幸せを分かち合ってきていたはずだったのにね。
幸福の価値観が揺らいで、利益追求とか、合理化とか、
なんだか冷たい響きのもと、ずいぶん変わってしまいました。
もう何年も前から書いていますが、このところの状態は酷過ぎますね。
優しい日本の原風景はどこへ行ったのでしょうか。
先日、御歳神社の南に広がる山の中を通る東西の道を船路から新田へと歩きました。
船路付近は、山は放置されたまま、暗くうっそうとして、木はひょろひょろと力なく寄りかかって立っていました。
間伐がされないまま、放置され、荒れ放題の山は、悲鳴を上げているようでした。
峠を越えたあたりで、急に空気が変わりました。
なんだか、心が弾みます。
30年位タイムスリップしたような気分。
シイタケ栽培の為のクヌギのほだ木が並んで、
見事なシイタケがぽこぽこできています。
きれいに手入れされた山は、クヌギ林になっています。
ちょうど、クヌギを切ってシイタケのほだ木を作っているおじさんに会いました。
その横では、役目を終えた朽ちたほだ木が積んであります。
カブトムシの温床になりますよね。
良く肥えた肥料に再生するのでしょうか。
山と人が近い。
ああ、里山です。
昔、人々は山の恵みを大切に生活に取り入れました。
春にはさなぶり(早苗饗)。
山の神様を田の恵みの神様として里へお迎えします。
恵みは山から。。。
秋、収穫の後、いのこ(亥の子)。
神様は、山へお帰りになります。
私が、山の整備に情熱を注ぐのは当然かも?と思いました。
山の神が田の神になる、
稲のサイクルとともに巡る神様。
御歳神さまですよ。
御歳神さまの「トシ」は「稲」を表す古語。
そこから、転じて、「トシ」が一年のサイクルを表す語になりました。
稲をもたらす神様は、里山からおいでになるのです。
山が荒れては、里の恵みもないのでしょう。
その大切な要を忘れて私たちは生活をしてきました。
そろそろ、思い出すべき時なのかもしれません。
第一次産業を大切にすることもです。
山があって、農業がある。
山が元気だから、川も元気で、豊かな海の恵みもあるのです。
近年、そこをあまりにおろそかにしてきました。
豊かな暮らしとは何なのか。
それをもう一度考え直す、良い時期なのかもしれませんね。
豊かさは人の心の豊かさ。
優しい里山と、優しい人の風景。
それへの深い憧れなのかもしれません。
山を整えたい。
神様からのメッセージであるとともに、
私たちが内に持つ憧れなのでしょう。
うまく進みますように。。。
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