鎮守の杜から
葛木御歳神社神職が、神道についてや、日々感じたことなどを思いつくままに綴った私的なページです。
 




熊野本宮大社から、玉置山まで約35km。でも、遠かった。はやる気持ちでは、ルート168を折れてからの10kmが長く感じた。本殿に着いたのは、4時半ごろだった。


玉置神社




今日はずっと拍手の音が冴えている。乾いた音が響く。神職さんが奥で何かをされているようだったが、時間もせっていたので、玉石社へ向いかけた。そこで、バッグの中から、「ジジッ」と携帯。メールが来ているが受信できない。少し下りたら入るかなと戻っていくと…先ほどの神職さんが大祓詞を大声で奏上され始めた。丁度夕拝が始まったのだ。ああ、あの神職さんだ!

昨年、友人たちと一泊旅行で玉置と熊野を巡った。玉置神社で正式参拝をお願いした。その祭典を行ってくださった方。とても迫力のある声で、太鼓を打ち鳴らして大祓詞を奏上してくださった。心に響き渡るような、どこから声が聞こえてくるのか錯覚するような感覚。目を閉じると、音が五感の全てを支配して、床全体が回っているような奇妙な感覚に陶酔してしまった。

大祓詞の奏上の場に立ち会って、なんだか、祓って頂いた気分。
一言お礼を申し上げようと待っていたら、「ああ、どうも!」
「以前来てくださった神職さんですよね」
覚えていてくださった。
とっても嬉しい。
それから、なんだか意気投合して、神職談義(^^
スペシャルなおまけが付いて、なんとも幸せな気分。。。

玉置神社は、昨年初めて参拝したが、本当に心引かれる場所だった。
玉置神社の神職さんも葛城の神様は力強いですね、と。
玉置山も葛城も本当に神様の気配を感じる事が出来る気がする。

なんだか、ご縁ができ、これからが楽しみ。
また、近いうちにぜひ行こう。
ああ、神様が結んでくださったご縁。。。
すっかりリフレッシュして帰路についた。


玉置山からの夕景




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今日、いいお天気で予定がキャンセルになったので、思い立って、熊野へ南下した。ここから100km南下、ほぼ2時間で、熊野本宮大社へ。普段車は乗せてもらうほうが好きだが、この道は久々楽しいドライブだった。くねくね道だが、車も信号もない。同乗者がいない気楽さで、かなり荒い運転で、快調に飛ばした。
まず、旧社地へ向う。ここは昨年、友人たちと一泊して訪れた地だった。その時は、夕闇迫る時間で大斎原のエメラルド色の川を見られなかったので、良いお天気の日にぜひ行きたいと思っていたのだ。夏の陽射し照りつける川原は、だれもいない、一人。膝までジーンズをめくって水に浸る。冷たい水が心地よい。


熊野本宮大社 旧社地鳥居
明治22年までは大斎原の川辺にあったそうです



熊野本宮大社 旧社地参道





熊野本宮大社



前回は熊野本宮大社を先に参拝して、大斎原に行ったので、なんとなく、もう一度本宮まで戻らなければならない気分になってしまった。大斎原は、禊場のイメージ。なので、こっちを先にしたかった。手足をつけて清められた気分。熊野本宮へ参拝して、玉置神社へ向う。


大斎原全景


昼前に出て、玉置神社まで行きたかったので、かなり飛ばしていたのだ。大斎原でゆっくりしていたので、玉置山に着いたときは4時を過ぎていた。
〔つづく〕


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天然記念物 八ツ房杉-宇陀市


今日、久々に映画を見に行きました。
ちょっと息子からのプレゼントのようなシチュエーション。
息子が友人と行くはずが行けなくなって、「じゃあ、お母さんが、付き合ってもいい?」
と聞くと、中3の息子は「ああ、いいよ」
まだ、行ってくれるんだってちょっぴり嬉しかったなあ。
で、結局家族4人で行きました。

「海猿」を見たのですが、まあ、ずっと泣き通しでした(^^;
で、息子はというと、こっちは私以上に涙もろいことが判明。。。
そう言えば、「ラストサムライ」の時も、二人とも、頬を拭っていたなあ!
映画館を出て、「お母さんも相当涙もろいけど、タカも負けてないなあ」
と言うと、ニッコリしていました。

涙といえば、先日神社にお越しの女性とそんな話をしました。
「泣くこと」って大切だよねって。
子供の頃はケンカしたりして、感情の爆発をさせる事が出来たりします。
大人になると、感情はコントロールするものだと考えるようになります。
感情をあらわにする事は恥だと考えます。
そうすると、行き場のない感情が溜まって行きます。
その開放の方法として、「泣くこと」ってすごく有効だよなあと思います。

泣きに映画館へ行くっていうのもいいなあ。
いっぱい泣いて、すっきり楽しかったです^^

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咲き始めた紫陽花



個人的に、かなり浮き立った事、二つ。

今日、境内の左右に並ぶ摂社のお宮さんの土台が朽ちてきていて、
その修復をしました。
修復のために、御扉をあけて御神鏡を仮所へ移す神事をしました。
高皇産霊命神社の御扉を開けるとその扉の内側に直径1cmほどの卵の殻が二つ,
張り付いていました。巳さまです。まあ、ここで巳さまが孵られたのですか…
巳さまは、神様あるいは、神様のお使いですものね。と、なんだか嬉しくなりました。

もうひとつ。
御歳神社におみくじを置いています。
友人たちも引いてくれています。
で、とてもタイムリーなメッセージを頂いたと仰ってくださっていました。
私は引いていませんでした。
引かないつもりだったのですが、ああ、メッセージが欲しいなあと思いました。
今朝、思い立って引いてみました。

神社でおみくじを引いた経験は何度かあります。
でも、あまり強い思いで引いたことはなかったのです。
いつも半信半疑程度でした。
でも、自分の奉職する神社のおみくじなら、そうは行きません。
今日、とても真剣に願って引いてみました。

とても心浮き立つメッセージを頂戴しました。
正直、びっくりしました。
今、おそらく一番神様にお尋ねしたかったことの答えを頂きました。
思わず、にやりと苦笑しました。
ありがとうございます。と、ごめんなさい。
両方を神様に申し上げました。

ああ、やっぱりすごいなあ。神様。。。
な~んてね。

私には、とてもとても嬉しいメッセージでした。

おみくじ、引きにきませんか?
強く願えば、それは心に響くのかも?

お社の中の神様は鏡の中にいらっしゃいます。
その鏡で、神前に立つ私たちは照らし出されるのかもしれません。
そうして、自身を再確認するのかもしれませんね。

私へのメッセージ?
さてさて、メールなら教えちゃおうかな。


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私は社家に育ったわけではないので、神道と言っても、ピンと来ませんでした。なので、神職講習会で伊勢の皇學館大學他の先生からご教授頂くことが、かえって新鮮に受け取れたかもしれません。もともと神道は、教祖や教義がきちんとあるわけではないので、曖昧な部分も多いのですが、長い歴史を持つ分、やはりそれなりの考え方のようなものがあります。仏教や儒教、道教なども入り込んでいますが、純粋に考えると、少し、世界観が違います。私が共感する部分を取り上げてみます。

まず、天国地獄がないのです。したがって、閻魔様も最後の審判もありません。輪廻転生しての来世もありません。神道で大切なのは、「中今-なかいま」と言われる現世。この「中今」を、清く正しく明るく生きていくことが、何より神様の御心に添う道、「惟神の道-かむながらのみち」というわけです。苦行を積むことを美徳とはしません。それより、何より、明るく人と和し、活き活きと生きる事が大切なのです。そうして、中今を終えた時、人は皆等しく祖霊となるという考え方です。

超楽観主義の性善説です。
それは、一般的な西洋の神とは少し違いますが、人は神の子孫であると捉えているからです。だから、人は皆、神の御心を持って生まれてくる尊いものなのです。そうして、現世を送った後は、祖霊-先祖の霊となって子孫や土地をいつまでも見守っている存在になるというものです。

これが死生観の根幹だと思います。そこに、長い歴史の中で、様々な宗教の要素を入れて、また、時代によって様々に付け加えられてきたものが、今、一般的に知られている日本の死生観なのだと思います。



超楽観主義の性善説では、物足りないと考える人も多いかもしれません。でも、生まれながらの悪人がいるなど、到底納得できませんし、地獄へ落ちるのが嫌だから、善行を積むなどと、そんな悲しい生き方はしたくないなあ、なんて思ったりします。与えられた「生」の僅かな時間を、精一杯生きて、そうして一生を終えることが出来たなら、他人がその生き方をどうこういう事もないし、閻魔様にとやかく言われたくもないなあ!なんて思います。

人の中にある、「善」を信じて、それを前提にしているような考え方。これだけで、世の中渡っていけないのかなあ。ただ、物事には、そうなる必然があります。「悪」と「善」とに分ける事自体難しいような気がします。「悪意」は、突然降って沸いてくるわけではなく、やはりそこへ至る過程があります。神道では、「悪意」は、心が活き活きしたよい「気」を持っていないときに現れると考えます。だから、いつも清々しい良い「気」を持つ事が何よりだと考えます。

「お祓い」もそのように理解すると、しっくりします。
身についてしまったマイナスのエネルギーを払いのける事で、本来の良い「気」が上手く流れるようになるということです。

明るく生きていくためには、良い「気」=「善」の心が必要ですね。
ああ、これなら大丈夫かな。
心を閉ざして、暗く生きてもしんどいだけですね。
明るく生きよう!と思えば、それは善に繋がるのかも。
そのあたりで、うまく行くと良いのですがね!


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