鎮守の杜から
葛木御歳神社神職が、神道についてや、日々感じたことなどを思いつくままに綴った私的なページです。
 



秋祭りにサーカス、大道芸が来ることに対して、批判的な人が居ることも承知しています。

しかし、例えば15年前お祭りに宮司の他に氏子役員が一人しか来なくて2人でお祭りしたり、8年前にも歳旦祭に参列者一名で祭典をしたことがあります。

神様への感謝を申し上げるお祭りに氏子を含めて参列が無い状態は異常だと思いました。
神様だってそれではあまりにも淋しすぎるのではないかと思いました。

人が居て人が集まって、玉串を捧げて拝礼する。
それが無い神社が良いはずがない。

その信念で人が足を運ぶ神社にしたいと思いました。

腰の重い氏子さんに来て頂くために色々と手を尽くしたけれど、最初に集まったのはネットで神社を知った神社好きの方々でした。

いつか、そんな地域外の崇敬者と地域の氏子が協力して共に神社を真ん中にして語れる時代が来るようにと思い願っていました。

それがやっと実現した感慨はひとしおです。

きっと、大きな神社や昔から崇敬者がたくさん居た神社には想像もできない事かも知れません。

その変化と神社が活き活きとしてくる様子をこの目に見て来れた私は、神職としては本当に幸せな時に居合わせたのだろうと思います。

これから、神社はどうなるのか、楽しみにしつつ、進めることを一つの喜びとして歩んでいきたいと思っています。



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御歳神社の秋祭りにクロワッサンサーカスがやってくる♪
…事が決まりました!

http://www.geocities.jp/shimizu_geinin/
パントマイム、綱渡り、マジックなどを楽器の演奏と共に…。
秋の収穫祭にあたる秋祭りにみんなの笑顔を感謝と共に神様に届けたいと思います。

10月13日体育の日 
午前10時~お昼まで。

今回のイベントは氏子役員さんが主導的になって開催が決まりました。
それが何よりも嬉しいことです!

今までむちゃくちゃ力を使って私が動かそうと躍起になっていたことが、なんか、パワーステアリングハンドルに替えたような滑らかさ♪
氏子役員の葛城モータースの辻村さんはじめ、皆さんに感謝です!

http://www.katsuragi-motors.com/

クロワッサンサーカス 2014年5月6日朝日放送「キャスト」

クロワッサンサーカス

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先ほどの続編。こちらは南方熊楠から触発されて書きました^^
2011年2月に書いたものを再掲
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何度か書いていますが、私が南方熊楠を知ったのは、粘菌研究者だったから。

大学時代は生物学をやっていて、実はそのころから、
コスモロジー(宇宙論)への興味はあったのですが。。。

ガイアを一つの生命体として捉える考え方は、エコロジカルな観点からも面白いと思いました。
そんな興味から、専攻したのは環境生物学=英語でいえば、エコロジカルバイオロジーですね^^

その時に衝撃的に読んだのが、粘菌の生態についてでした。

コスモスは宇宙とも訳しますが、秩序とも訳します。
この、宇宙であり秩序であるという「コスモス」という言葉は実に面白いです。
地球上で、互いの生物は、ばらばらに動いているように思えます。

実際、捕食者と被食者という食物連鎖以外の部分では、全く関わりのないように見えています。
しかし、そこには秩序があるのだと、この言葉を作った人たちは
直感的に感じていたのかもしれませんね。

この、無秩序(カオス)から秩序(コスモス)への変遷を見せてくれるのが粘菌なのです。

粘菌は単細胞生物でアメーバのような生命体です。

http://research.kahaku.go.jp/botany/henkeikin/1000.html

普段は単細胞生物として、単体で粘菌アメーバとして、
あるいは鞭毛をもつ遊走細胞として生活していて、
細胞分裂をして数を増やします。

この状態が「カオス」といえます。

そこから突然赤の他人だったはずのアメーバ粘菌が接合を始めます。
単細胞のまま、大きな体になっていくのです。
たくさんのアメーバ粘菌が一つの生命体に統合されていくのです。

それだけでも驚異です。
しかしさらに驚愕の進化を遂げます。

なんと、その単細胞の大きくなった体が、根の部分、茎の部分、胞子の部分と役割分担をして
それぞれ協力して、胞子を遠くに飛ばして子孫を残すために一致団結するわけです^^

無秩序の寄せ集めにすぎなかった者同士が、突然連携を取って
秩序のあるあたかも植物のような状態になるのです。

まさにコスモスです^^

はははっ(^^;
つい、粘菌に熱くなりましたが、
「般若波羅蜜」と類似していませんか?!(私もやっぱり変人でしょうか?^^)

粘菌のような単細胞生物でも、実は、核の中にさまざまな情報を持っているのです。
それぞれ、赤の他人のように見えて、いざとなれば、情報を共有する者同士ですから、
連携が可能なわけです。

「般若波羅蜜」を粘菌になぞらえて、そこに宇宙論=コスモロジーを見たのが、
かの南方熊楠だったのかなあと思っています。

粘菌はさらに驚異の頭脳を持っています。
頭脳といっても人間の頭脳のような「頭脳」ではないのですが、
迷路の最短コースを見つける能力とか、ライフラインを一本ではなく、
いざと言う時の為の避難路も作っておける能力です^^

http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/kawaraban/39680.html

こういうのを見ると、ワクワクした高揚感に包まれるのは、
やっぱり理系女子の変人さかもしれませんがねっ^^

単細胞生物でも、このような能力を持っていることに驚きを感じます。
「般若波羅蜜」は宗教的な定義だけではなく、
物理的、科学的にも有効な「秩序」のカテゴリーの中にあるのかもしれません。

私たちは、その「コスモス=秩序」の中に生きているのです。
あたかも、大海のゆりかごに揺られる心地よさを感じるのは私だけでしょうか?(笑

自我の中にある「個」の部分の孤独感は、宇宙に自分はたった一人の
他者とは違う人間だと自覚するところにあります。

しかし、「自然の摂理=秩序」の世界の中に生きる私は、「個」の部分と別な次元で、
実は、世界とつながっているのかもしれないという安堵感に包まれます。

世界と繋がっている自分、世界の秩序の一部分である自分、
そんな視点が、私の中で、生物学のみならず、宗教的な世界観の
もとになっているのかもしれません。

共感してくださる方が居たら嬉しいです♪

http://blog.goo.ne.jp/mitoshi7/s/%C6%EE%CA%FD%B7%A7%C6%EF



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「般若波羅蜜。神社編」2011年1月に私が書いたものを再掲します。
言葉が勝手に溢れだすように書きました^^
読んで頂ければ嬉しいです♪

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物事には道理があります。
私は「道理」こそが神様に向かう道だと思っています。
私の「神様」は自然そのもの。
自然の摂理そのものという感じでしょうか。

神道的にはそうではない部分もあるのだと思いますが、
私には、「人神」はどうもよくわからないので、
分からないことは、今は分かる必要はないと思っています。

どちらかというと、般若心経のほうが世界観は近いのかなあと思っています。
仏教では「般若波羅蜜」って言いますよね。
あの感覚~



諸橋精光さんの「般若心経絵本」という本があるのですが、
とてもわかりやすかった。

自分の心の中にも存在するし、宇宙にも万物すべてにも繋がっていて、すべてに存在する智慧。
揺るがない法則でもあり、すべてのものを育む大海のような存在。

それは、大きな大原則のようなもので、瑣末な事象に左右されたり関わったりはしません。
母なる大地=地球=宇宙=物質のすべて…でもあり、神でもあります。

日本古来の神道の世界観では、神様は万物に宿ります。

で、そう言うと、それって人間生活には何にも関係しないやん!になるんですが、
その大原則を私たちも内包しているというか、わたしたちもその一部なのです。

私たちは、それぞれ個性があるし、我を持っています。
ただ、それとは次元の違うところで存在しているので、競合するわけではありません。

その感覚が分かれば、物事はずいぶん楽になります。
「自我」に苦しむ部分を、「さもありなん!」と自分で笑えますし^^


さて、何が書きたいのか、自分でもキーの打つままですが、ここで、神社の登場^^

神社って、その内包している万物に繋がる感覚を呼び覚ます場所なんです。
心が洗われる、清められるというのは、自我の殻の内部にある、
自身が持つ自然にダイレクトに触れて、揺り覚まされるからなのです。

神様の声が聞きたい!姿が見たい!触れたい!って安易に求める世の中になりました。
そんなん、意味ないやん!と思ったりします。
だって姿が見えずとも、ちゃんと存在しているんですもの。

「般若波羅蜜」「自然の摂理」では、あまりに漠然としてつかみどころがないので、
人は等身大の存在に置き換えようとします。
その方が理解がしやすいですから。

それは決して悪いことではありません。人間はそういうものなのですから。
かく言う私も、日々の生活の中ではそうやって楽しんでいますから。

でも、やっぱりできることなら、自然の摂理に適う生き方をしたいと思います。
「理ーことわり」に通じる生き方です。


神社は、「般若波羅蜜」「自然の摂理」の大海と、それを守ってきた先人たちの智慧に満ちています。
長い長い年月、人々は一心に神に祈りを捧げて、より良い世界が訪れるように願いました。
その先人たちの厚い念も神社には籠っていて、それが何重にも社を守っています。
そこに、私たち、今を生きる人間の心も加わります。

連綿と続く祈りの継承があります。
神社ってそういう場所なんだなあと思っています。

http://blog.goo.ne.jp/mitoshi7/s/%C6%EE%CA%FD%B7%A7%C6%EF


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