鎮守の杜から
葛木御歳神社神職が、神道についてや、日々感じたことなどを思いつくままに綴った私的なページです。
 



いよいよ、今年も終わります。
毎年、毎年、あっという間に過ぎていきますが、
今年も速かったです。

もうすぐ神職になって三回目の歳旦祭です。
あっという間に過ぎた年月ですが、
この三年は、あまりにいろいろな事があって、
それを一つ一つ辿ると、十年ぐらいの重みがあります。

たくさんの出逢いがありました。
身に余る程の出会いです。

私も随分考え方が変わったかもしれません。
多くの人との出会いは、日々新たな発見をしているということかもしれません。
人生の半ばを過ぎて、こんな道を歩き出すとは。
感慨でもあります。

たくさんの感動は、たくさんの嘆きとともに深く身に感じるものかもしれません。
悲しいことが深いと、嬉しいことも深く身に沁みていくのだと思いました。

その日々、多くの友人とともにあったことを幸せに思います。
たくさんの人とたくさんのご縁を結びました。

さて、これからどんな道へ分け入って行くのか。
楽しみでもあります。

私は、私という存在はこの世にただ一度だけしか現れないと考えています。
長くても数十年です。
数十年という限られた時間であるならば、何とかなるでしょう。
日々、私は出来るだけのことしか、できません。
でも、出来るだけのことができるというのは、素敵なことですね。

そうやって、一日一日を過ごして、それが一年になり、一生になる。
そうして、一生を終えた時、私は存在しなくなるのです。
「無」に帰するというのは、なんともありがたいこと。

その日まで、多くの人と出逢い、心を通わせあえることができたら、
何よりの幸せですね。

そうやって、たくさんの暖かな花が咲く場所であれば何よりの幸せ。

来年もどうぞよろしくお願いします。






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今日は冬至ですね。ゆずのお風呂に入って暖まりましょう^^
ちょっと、いつもと違った文章ですが、私のもう一つの仕事「くもんの先生」として毎月教室だよりに載せているものです(そのままの掲載です)。とても深い感銘を受けた番組についてですが、お読みくだされば嬉しいです。

〔障害児教育に生涯を捧げた石井筆子という女性〕

 いよいよ年の瀬ですね。今年も飛ぶように速く過ぎていった一年でした。やり残したこともたくさんあります。来年から、また、気分一新で気持ちも新たに教室での指導に当たりたいと思っています。

 先日NHK「その時歴史が動いた」で石井筆子を取り上げていました。本当に感銘を受けました。華族に生まれ、フランス留学もし、鹿鳴館の花形として華やかに結婚して華族学校の教師になりますが、生まれてきた娘二人が知的障害児でした。今と違い、知的障害児は座敷牢に隔離されるような時代、夫にも先立たれ離縁された筆子は、知的障害児教育に情熱を傾ける石井亮一と結婚します。滝乃川学園というわが国最初の障害児教育のための学園を創設した人です。

 想像を絶する度重なる困難の中、未知の障害児教育に戸惑いながらも情熱を傾ける筆子。何度教えても理解してくれない子どもを前に「ああ、私の教え方が悪いのね。ごめんね。」と言います。そんな気持ちになった時、目の前の子どもが、数字を口にし出します。「ああ、わかってくれたんだ!」彼女の感動は私にも響きました。先駆者の夫の言葉-「支えている時には、気がつかないのだけれど、支えている者から、私たちはかけがえのない贈り物をもらっているんだよ。」

 本当にいい言葉を聞きました。私たちは我が子から何とたくさんの贈り物をもらってきたことか。そしてくもんの教室でも、外の社会でも、コミュニュケーションは、お互いの間を行き来します。教えること、助けること、支えることをしながら、私たちは、たくさんの喜びを頂きます。人と人のつながりはステキですね。

 ギスギスしてきた世の中ではありますが、温かな心は何よりも大切な財産ですね。そんな心を育んでいきながら、我々自身も忘れずにいたいと思います。
来年もどうぞよろしくお願いします。


石井筆子の詳しい説明はこちらへ
いばら路を知りて捧げし―近代の影に刻まれた足跡 石井筆子 ~その1~

いばら路を知りて捧げし―近代の影に刻まれた足跡 石井筆子 ~その2~

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いよいよ年の瀬ですね。
今年は暖かくて年末の気がしません。
写真のモミジは一昨日撮ったものです。
手水舎のもみじはもうとっくに葉を落としてしまいましたが、
ここだけ、まだ綺麗に紅葉しています。

今朝はようやく冷え込んで、一面霜が降りました。
宮崎でも今朝が初霜で、例年より一ヶ月も遅れているとか。
野菜も出来すぎて廃棄されたり。
やはり異常気象なのでしょうね。

昨年のお正月の歳旦祭は、ごうごうと風がうなり、山が揺れ、
まるで龍神様が降りてこられたような真夜中のお祭りでした。
今年のお正月は、風もなく本当に穏やかな夜で、
ろうそくの灯明がずっと消えずにありました。

どちらのお祭りも印象的でした。
さて、次の歳旦祭はどんな日になるのでしょうね。

例年、大焚き火を焚きます。
炎が何とも美しく浮かび上がり、明るく照らします。
火のそばでお神酒を頂きながら、静かな語らいの時を持ちます。

ダイナミックに年が交代する日。
さて、来年はどんな年になることでしょう。

人にも自然にも優しい穏やかな年になればいいですね。
そんな願いを持ちつつ、新年の準備を行います。

*歳旦祭は午前0時~です。
その後大祓式を執り行います。
紙のヒトガタ(人形)に名前を書いて、身に付いてしまった不要な物をヒトガタに移して焚き上げます。
さっぱりして、また、新しい年を元気に過ごしましょう。

皆様のご参集をお待ちしています。
歳旦祭のお知らせもご覧下さい。↓
http://www.mitoshijinja.com/

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春日若宮おん祭りへ行きました。
17日午前0時からの「遷幸(せんこう)の儀」と午前1時からの「暁祭」へ行きました。
ぜひ、たくさんの方に参列して頂きたいなあと思いました。

謂れなど調べたいと神道事典を探しましたが、載っていませんでした。
春日若宮は1135年の建立で、興福寺衆徒が春日祭祀への関与強化の為に御子神を勧請したとあり、おん祭りも興福寺主導で行われていたようです(神道事典より)。その辺りが神道事典に記載がない理由かなあとも思いました。

賀茂別雷神社(上賀茂社)の葵祭に先立って行われる「御阿礼-みあれ-神事」に
似ているように思いました。(疫病封じが創祀という点も似ています。)

「遷幸(せんこう)の儀」では、真夜中0時に明かりを全て消した中で、お旅所までお渡りになられます。二本の松明を地面に擦って炎がわだちのように残ります。そこに楽と共に大勢の白装束の神職による警蹕の「おぉぅー、おぉぅー…」の声が重なります。なんとも幻想的でした。

午前1時からの「暁祭」では、仮に作られたお社で、神事や舞などが行われます。
真っ暗の中、進んできた行列は神さまの到着と同時にライトアップされます。
見上げるような大きな太鼓が轟きます。

真夜中の時間帯であるのに、空がとても明るかったのが印象的でした。ネットで探したら、数年前のおん祭りの感想にも同じく闇夜と思えないほど明るくて不思議だと書かれているものがありました。目が慣れた程度ではなくて、さすが、神さまのお渡りになる道は明るくなるのだなあと感慨でした。
いよいよ神さまの神霊の招代が目の前を通るときはさすがに特別な気持ちになりました。

「御阿礼-みあれ-神事」は完全な秘儀で一般の者が目にする事はできません。
おん祭りは公開されているので、神秘の神事に触れる事ができます。
ぜひ行ってみて頂きたいお祭りです。

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奈良県南葛城郡誌」(大正15年4月1日発行)記載

葛上郡史の写真は持っていましたが、この写真は秀逸ですね。
写真家さんが何を見て何を撮ろうとされたか、伝わってきます。

鳥居も素敵ですが、山の美しさが格別です。
御歳神社のご神体山の御歳山(写真一番右)は、神奈備山の形である美しい円錐形と評されていますが、その形が現在では建物に邪魔されて見えにくくなっています。この写真家さんは、左右対称の美しい山の形がいちばん美しく撮れるアングルから撮って下さったように思います。

真ん中の山が通称「ハナキリ山」。
地元のお年寄りにお聞きしましたら、榊や花を取る山だとか。

そして一番左がこのあたりで何処からでも見える「カナ山」です。
三山が綺麗に並んでいます。
ああ、これですね!古代、祀ってきた山々。。。

御歳山は昔は松の山だったそうです。
岩に張り付いて松が根を張っていたのでしょう。
鳥居からは見上げるような松の並木でした。
ここに写っていますね。

穏やかな里山の風景。

奈良平安期、祈年祭には朝廷の使者が、白鶏・白猪・白馬を献上するためにここまでやってきたとあります。
でも、この地の歴史は弥生(あるいは縄文)まで遡ると思います。
古代、大切にされてきた場所を、引き続き大切にしていたと見るのが妥当だと思います。

御歳山と背後のカナ山。
どちらも祀られてきたのだと思っています。
その想像を掻き立てる写真でした。

また、「御所市史」には、『社殿が山の中央を避けて建てられているのは、巫女奉仕をした斎宮のしきたりにならったものと思われます。』とあります。

この出典が何処に記載されていたものなのか不明なのですが、
確かにこの写真をみれば、御歳山の東端にお社を建てた感じが出ています。
このあたりも含めて、古代の神祭りの様子がわかればいいなあと思っています。

なんだか、逢いたかった御歳神社に逢えた気がしました。


*いつも御世話になっている「むすひ」さんがお持ちだった「奈良県南葛城郡誌」を太古さんが借りられて、ぱらぱらとめくっていたら偶然このページが目に飛び込んだそうです。で、その日のうちにお目にかかって、コピーを頂くことになりました。ご厚意とめぐり逢った幸せに感謝です!

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