鎮守の杜から
葛木御歳神社神職が、神道についてや、日々感じたことなどを思いつくままに綴った私的なページです。
 



一昨日、笙(しょう)の演奏家の林 哲至氏がご来訪くださいました。
昨年コンサートへ行かせて頂いてから、またお目にかかりたいと思っていたのでした。
晴天の気持ちのよい風の中、鶯が鳴く声が響く拝殿で、演奏して下さいました。
感激でした。

拝殿の中央に座られ、笙を吹き始められると、音が高床と天井に反響して、そのまま壁のない拝殿から外へ、流れ出します。音は、空気に乗って四方へ広がります。

笙は普通は雅楽のベースの和音として使われますが、林氏の笙は和音を奏でながら旋律も紡ぎだす、今までに聞いたことのないようなものでした。ソロで使える楽器だと始めて知りました。(もちろんプロだからこそですが)

拝殿は不思議な響きを作り出します。祝詞を奏上しますと、声が反響して自分の声ではないような独特の響きが聴かれます。屋外ですが、うまく音が広がる構造になっているように感じていました。笙を聴かせていただいて、拝殿自体がギターの胴のように楽器となって音を膨らませているように思いました。多くの方々にも聴いて頂きたいなあと夢も膨らむひと時でした。


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今年の春は晴天が続きます。
朝、神社に参拝した後、いつも同じ場所に立ちます。
太陽の光を受ける場所。
そこに立ってじっと目を閉じると日の光の赤色に包まれます。
光は段々強くなり、まぶたの内に空間が広がるよう。
光はエネルギーとなって強く体に注ぎ込みます。
太陽の恵みを一身に受けるようで、思わずお礼の言葉が心に湧きます。

夕方は風です。
風が体を撫でていきます。
大抵は境内に一人きりなので、
自然を直に感じるような気がします。

時々、先客に会うこともあります。
昨日は、私が上がると慌てふためいてぐるぐる回って小走りに山へ入る鳥。
えっ!茶色い鶏?
夫に「鶏いた!」というと笑われました。
やまどりだそうです。
初めて見ました。
つがいで鳴いていると思ったらもう一羽、拝殿の下から飛び立ちました。
せっかく拝殿を悠々と散策中だったのに申し訳なかったです。
いつも何かしらの気配を感じるご神体山。
生きている森はエネルギーも注ぎ込まれている杜でした。


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半年前から小学校で学力支援ボランティアをやっている。
授業に入って、ついていけない子のお世話を主にしている。
ずっと気になっている小学4年生の男の子がいる。
授業中ずっと立ち歩いている。教科書を広げた事のない子。自分のものと他人のものの意識がない。友だちのものを借りて壊すのもいつものこと。なのに友人とは何とか上手くやっている。けんかの仲裁は実に巧みだった。思わず「さすがやね」と言ったことがある。初めの頃は近づくとさしやはさみを振り上げて威嚇してきた。半年付き合ってちょっとだけ打ち解けてきた。

先日は私のそばへやってきて「今日はとなり座る」
しばらく二人で数字を読んだりしていると、いきなり
「ぼく、アリになりたいねん」
「え?アリ?なんで?アリ踏まれたら終わりやんか」
「じゃあ、巣の中にいるわ」
「巣の中暗いやん」
「う~ん、卵でもいいなあ。卵になってじっとしてるの」
私は彼の心の声を聞いたような気がしてたじろいだ。

いつもはやんちゃで手におえないと扱われている子。
でもさびしげな様子についおせっかいを焼いていた私。
彼の置かれている状況は想像していたよりはるかに深刻だったのだ。
私が彼に関わるのは週に3時間ほど。
私も来年には彼の前から消える存在だ。
福祉の範疇の外にある彼だが、助けは今必要なはずなのだ。
彼をずっと真剣に大事にしてくれる人はいないのか。
4年生の彼はまだ、小柄なので、いざとなれば羽交い絞めにして押さえ込める。
何度か実際に押さえ込んだ事もある。
あと2年。このまま2年もたてば誰もさわれなくなるかもしれない。
今なら間に合うはずなのに、彼を救う手立ては整っていない。
機嫌のいい時に九九覚えようと提案して2と3の段は言えるようになった。
その時は驚くほど意欲を見せてくれた。でも4の段で彼自身が諦めてしまった。

彼が成長した時、自己責任だと言われるのだろうか?
この世に生を受けて等しく生きる権利があるはずなのに、彼のこれからの道を思うとやるせない。

その後の様子はこちらです


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14日は手水舎の復活に尽力くださった方々をはじめ、私の友人知人が神社に集って無病息災の祭典を行いました。新緑の爽やかな風の吹き渡る中、務めさせていただきました。
大阪・京都・神戸・奈良からそれぞれの思いで集まってくださった方々。この日初対面の方々もあり、拝殿で一緒に祭典をすることで、ご縁が繋がるように思えました。

神社は地域の氏神様として地元にとって大切なのはもちろんですが、遠くから、御歳神社に惹かれて集まってくださる方々も、何かしらこの場所にご縁のある方なのだろうと強く感じました。神奈備の御歳山も晴天の中、ずっと光り輝いていました。きっと神さまもお喜びに違いないと思いました。それぞれの思いを胸に持ちながら、同じ時を過ごす幸せ。祭典の静謐な空気は、神さまと、そこに集うみなさんで創り出されるものだと感じました。


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日曜日、「古事記ものがたり」(サン・グリーン出版)の本を執筆された宮崎さん、小林さんがなさっている勉強会「古事記に親しむ会」にお邪魔してきました。なんだか、不思議なご縁を感じることが重なり、これは何かの計らいかと、神戸まで出かけました。

とても楽しかったです。「古事記」というとなんだか、神さまの名前がいっぱいで、しかも読みづらい、難しそうなどと思われるかも知れませんが、この本では見事に簡単にして、初心者でも楽しく読める「古事記ものがたり」に仕上げられました。私も一気に読みました。現代によみがえった稗田阿礼が語るという設定で、語り口も優しく、きっと楽しく読めると思います。ぜひぜひ皆さん,読んでみてくださいね。初心者はもちろん、少し知っている方でも、この語り口には引き込まれますよ。(下記のリンクから飛んでください)

大阪と神戸で開催の勉強会も古事記にまつわる場所へ取材に出かけられて、スライドで見せていただきながら、あっという間の二時間でした。深~く親しめた気がしました。ちょうど、この日は葛城氏と鴨氏のお話。これは呼ばれたなあと思いました。お初にお目にかかる宮崎さん、小林さんも本当にステキな方で、すっかり旧知のようにお話させて頂きました。近々御歳神社での再会のお約束をして、帰路につきました。

日本の神話が忘れられてきているのはなんとも悲しいことです。執筆を始めた頃、宮崎さんの夢枕に稗田阿礼が現れて「神話を忘れた民族は滅びる。どうか『古事記』を伝えてください。」と言い残して姿が見えなくなったそうです。本当にその通りだと思います。普段は忘れていても、その奥に日本人としてのアイデンティティーや帰着点は持っていたいと思います。自然を大切にして調和する心を古来大切にしてきた民族だと思います。その精神は今こそ大切なんじゃないかなあと思っています。
サン・グリーン出版「古事記ものがたり」のページへ

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11日に、神奈備さまがご来訪くださいました。

平安神宮の橘の子樹を頂戴しました。
ありがとうございます。
神奈備さまは神社や古代史(だけではないですが)に大変お詳しく、
私たちの間では「歩く百科事典」などとこっそりお呼びしています。
とっても楽しくお話を伺いました。
いろいろな話の中で、神社の神域について面白い解釈を紹介くださいました。
私の見方も加えて紹介させて頂きます。

神社の神域にはご祭神が祀られています。
いつも思うのは、いつからその御名で呼ばれるようになったのかです。
平安時代に編まれた延喜式神名帳に各地の神社のご祭神の御名が書かれていますが、
その時に初めて比定された(祭神が定まった)神社もあります。

もっと昔、弥生、あるいは縄文まで遡って神社はどのような形だったのでしょう。
霊的に神聖視される場所に霊的に特別なパワーを持つと考えられる大きな岩を置き、磐座(イワクラ)として祀る、あるいは常緑の木をヒモロギとして立てて祭祀を行うような形式です。その時ご祭神にそれぞれ名前があったのでしょうか?それとも、ただ、「カミ」であったのでしょうか?その「カミ」はスピリットの集合体とも言うべきものであったのかと。精霊よりは強力な、その場を司るモノ。

神奈備様は信州を中心に(信州は縄文人が多く住んでいた場所です)「シャクジ」と呼ばれる神が各地に残っていると話されました。「シャクジ」=「石神」。これこそ、古代イワクラに祀られていた神のことかもしれないと(「ミシャグチ神」も同様の神)。とすれば、御歳神社のように古くからあるお社には、現在神社に祭られている御祭神さまだけでなく、その後ろに縄文からの神々もおわすのではないかとの話。

とてもとてもすっきり来る話でした。日本は多神教で良かったです。
多神教なので、シャクジ神さまがいらっしゃっても問題はないですので…
私はまだまだ、知識が乏しいですが、神社の神域で感じるのは、やはり神々です。
色々な神さまが,其処此処におわす感じ…本殿にも祭りの庭にも、その奥のご神体山にも、さらにその奥の高い山にも古代から存在してきた何かを感じて心が震えます。

もう一つ、感じるのは、此処が「祭りの庭」であること。
神さまを祭るその人々の「心」が、神域ともいうべき神聖な場を創り出しているのだという思い。祭られなければ、やがて、神性も失われるかもしれない。祭ることによって、神さまの力も増して、スピリチュアルな場所になるのだと思います。
鎮守の杜の心地よさは、人々の祈りによって紡ぎ出されているのかもしれません。
客体ではなく、主体として神社に参拝するという感覚も良いのではないでしょうか?
神さまに祈願しながら、その場にパワーを与える存在ともなる。
とてもステキな考え方だと思います。

スピリチュアル=精神的・霊的
スピリット=霊・霊魂・精霊・精神

「シャクジ」について神奈備様より、詳しい解説のページを頂きました。
ご覧くださいませ。
石神について 神奈備様のHPへ
「神奈備へようこそ」TOPページへ

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久しぶりに、高校時代の友人と電話で話した。
「変わらんねえ」
「結局幾つになっても同じだねえ」
「高校の頃は今の私たちの年齢の人は、ずっと大人で考え方も違うと思っていたのにね」
「ごちゃごちゃ悩まなくなると思ったのにねえ」
「本質は変わらないね」
「あの頃とおんなじようなこと、まだ言ってるね」
「あの頃、ずっと大人だと思っていた人も、実はこんなんだったんだろうね」
「不惑の年齢超えて、ますます悩み深し」
「だって人生五十年の時代の言葉だもん。今じゃ、やっと半分」
「折り返し地点か。。。じゃあもうひと花咲かせないと」
「そう、新たな道。第2ステージ」
「ようやく自分本来の道かもよ」
「ようやく自分の足で独り立ちして歩いているのかも」
「そりゃ、悩んで当然か…」
「トンネル抜ける時は、抜けたことにも気がつかないかもね」
「そんな時が来るかなあ。なんか考えられない」
「抜けて初めて、ああこんなもんだったのかとなるんだよ。きっと」
「また電話するね。」
「今度はもっと早めに電話して来なよ」
「ありがとね」


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今日は船宿寺へ行きました。
みごとなつつじを見てきました。
大きいのは樹齢二百年だそうです。
今年は花時が一度に重なって、
何十年かぶりにピンクと白のつつじが同時に咲いているそうです。

境内の奥の山沿いの所に大きな岩肌が見えているところがあります。
その下から水が湧き出ています。

御歳神社から船宿寺までは1kmほどですが、山は続いています。
鉄と銅の鉱脈でもあります。
船宿寺の岩肌のそばに立つと、御歳山と同じ空気を感じました。
山の感じも似ています。
船宿寺の奥様と「おんなじやねえ」と話しながら
なんだか嬉しくなりました。

船宿寺は船形の大きな岩の上に薬師如来を祀るようにとお告げを受けた行基が開祖した寺です。お寺になる前は何だったのかなあと思うとそれもワクワクします。そんな事を考えながら、美しいつつじと岩山のひんやりした空気にとても癒された気分でした。
船宿寺のブログ「魂のともたち」へ


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今日は御歳神社の御田祭(おんだまつり)でした。
朝からと~っても良いお天気。
爽やかな風も吹きわたります。

昨日も良い天気で神社内をくまなくお掃除。
夜に強い風が吹いて、また、葉っぱだらけにならないでね~と
祈りながら、今日を迎えましたが、穏やかな夜で、
もう一度掃除し直さなくてよかったです。

今日は「回覧版見てきました。」という村役さん以外の氏子の方もあり、
「ホームページ見て来ました。」という方もあり、
結構にぎやかなお祭りでした。
遠方からお越しくださった方もありました。

勿論、村役さんと静かにお祭りをするのもよいのですが、
せっかくですので、お祭りの厳かな雰囲気を多くの方に味わって頂いて、
よい時間を共に過ごしたいなあと思っています。

今日のお祭りまで、杉葉をお札でくるんだ護符を作ったり、
お正月に事情で出来なかった御歳神社の御守護のお札を作ったり、
その祭典を急ぎ執り行ったり、徐々に気持ちが高まります。
そして心地よい緊張感の中、祭典が始まります。

お祭り好きです。
「好き」などとおかしな言い方なのですが、この表現がすっきり来ます。
終わった後の清々しさも格別です。
もっと多くの皆さんに味わっていただきたいなあと思います。
ですので、これからも、
「どなたでも参列頂けます。ぜひご参集ください。」は続けたいです。
もっともっと身近に堅苦しい理屈なしで、
それぞれの思いで、ご参拝頂けたらと思っています。

神社が、どなたにとっても心地よい場所であって欲しいと願います。
そんな気持ちを新たにした今日のお祭りでした。


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明日5月3日は御歳神社の御田祭りです。
午前11時~40分くらいのお祭りです。
お天気にも恵まれそうです。

杉葉と御神札で護符も作りました。
昨日は雨でしたので、今日は大慌てでお掃除&準備です。

春の祭りは、厳粛な神事のみで、毎年静かに行われていますが、
どなたでもご参列頂けます。

ぜひ、皆さまご参集くださいませ。

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今日、表へ出ると神社の方へ一升瓶を下げて向かわれるご近所の女性の方と出会いました。
「お祭りなので、お酒を供えようと思いまして。後で飲んでくださいね。」
と仰って石段を登って行かれました。
夕刻、上がるとお酒が供えてありましたが、お名前も何も書かれていませんでした。
もし、私と出会わなければ、こっそり供えていかれるおつもりだったのでしょう。

今日は犬の散歩がてら参られる方にも会いました。
「手水舎見に来ましたんや。」
回覧版の記事を見られたんだなあと、これも嬉し。

先日も、朝、神饌を持って上がると熱心にお参りされている方がありました。
「日にちは、よう決めませんのですが、毎月月参りさせて頂いていますのや。」
氏子の方ですが、よく存じ上げない方でしたので、
「お名前伺ってもよろしいですか?」と言うと、
「そんなぁ~!」と笑って帰られました。

いつもひっそりしているお宮さんですが、
こうして、村の方々に愛されているのを知ると本当に嬉しくなります。



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