鎮守の杜から
葛木御歳神社神職が、神道についてや、日々感じたことなどを思いつくままに綴った私的なページです。
 



どうでも良いことが増えてきました^^
ここ最近の傾向です^^

なんかね、こだわることが、なんだか現実感がなくなりました。
どっちでも良いんですよ~どうでも良い^^

こう思うと、人生はずいぶん楽になります^^

どうでも良いことの「逆」が、「こうあるべき」論です。
「こうあるべき」というのは、まあ、力のある言葉です^^
そんなにリキまんでもええやーん~って最近の私は思う。

「べき論」は常識、非常識論に似ています^^
自分の範疇で「こうあるべき」と囲い込む。

ん?どうあるべきなん?
それ、誰が決めたん?

それって、自分の周りに壁を作ることになります。

自分の行動の価値基準を、自分で設けて、それに従って生きていくと、
それがすなわち「べき論」。
ある意味、楽ですが、ある意味、無理をしています。

それは、他人の行動への批判の引き金にもなります。
「それ、おかしい!非常識!」ってな感じです。

さて、何に対しての非常識なのか。
そりゃ、世間の常識に対する非常識です。
でも、世間の常識ほどあいまいなものは他には無いのも事実。

-なので、どうでも良いやーん。

たいていのトラブルはこの価値基準の差から生じます。
で、結構瑣末な言葉尻を捉えて、相手を攻撃したり憤ったりします。

-傷つくプライドは捨てましょう。
-傷つかないプライドを持ちましょう。

価値基準を自分の内側に決めるから視野が狭くなるのです。
価値基準をもっと大きな流れの中に求めれば目線が変わります。

時間空間を俯瞰的に眺めてみる。
今の状況だけではなく、もっと大きな流れで感じてみる。

許せないと思っていた相手が許せるようになります。
傷ついたと感じていた自分が実はそんなことで傷ついたのではなかったと気がつきます。

完璧でない相手に完璧を求めても、そりゃ無理ですわ。
完璧ではない自分に完璧を求めても、無理~

言いたい放題言う相手には言わせておけばいいわけで、
それで被害をこうむるのも一時的なことでしかない。
長い目で見れば、何も問題なし。


ふわりと自然体で軽やかに立ってみましょう。
それだけで、心地よいから気分もスッとします^^

自然の摂理とはうまくなっているものです。
常識非常識なんていう分け方以前に、「自然の摂理」はすでに個々に内包されている。

こだわりを取っ払うと、自然体の自分が現れます。
自己否定などという傲慢さも捨てましょう。
それは傷ついたプライドの裏返しなのですから。

まあ、なんとかなるもんですわ~
なんとかなる範囲でしか、どうにもならないのですから。
その中で、心ゆくまで自分を生きてみる。
人生、楽しむことですね^^

今、しんどい人は、きっとその先に楽しいことが待っています。
だって、しんどさを知るから楽しみを知ることができるのですから。。。
投げないことです^^

神様の分け御霊を頂いている自分に誇りを持ちましょう。
プライドはその部分でよいのです^^

「自然と繋がる」とはそういう感覚なのかな~と最近思っています^^



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今年も無事終わりました。

恒例行事になってきたとはいえ、
祈年祭は毎年特別な思いがあります。
御歳神社にとって、歴史的にとても大切なお祭りですから。。。

昨日は俳句の会の方もお越しで大ぜいが集まりました。
ものすごく寒い日になりましたが、こうでなくっちゃね!!
にぎやかなお祭りになって良かったです^^

湯立て神事のお湯の具合もばっちりでした。
寒いので、忌湯のけむりが美しく舞います^^

龍田大社の巫女家の方が母子でお越しでした。
代々湯立て神事も行っていて、家に伝わる祝詞があるそうです。

私は先代の宮司が伝えていた大淀町の矢走の天髪王神社の湯立てを参考に行っているのですが、
お話を伺うと共通点が多く、感激でした。
湯に米と酒と塩を入れるのです。
これってそうするのがオリジナルなのか創作なのかと思いつつ入れていたのですが、
巫女家に伝わる湯立て神事でも入れるとのこと。
こういうのって、ものすごく嬉しいです!

前日、写真家でもある氏子総代のNさんに、
「湯立て神事はあちこちで見るけど、御歳神社のが一番いい!」なんて
褒めて頂き、気をよくして、気持ちよく湯を振りました。

今回、珍しくお祭りの前に神経が研ぎ澄まされたような感覚でした。
でも、その内なるエネルギーが、良い形で、出せたように思いました。
直会はすでに脱力感~

でも、Kさん差し入れの濁り酒の美味なることこの上なし!でした^^

加賀からわざわざお越しの方もいらして、とても楽しい直会になりました。

これでしばら大きな祭典はお休みです。
次の大祭は5月の御田祭りです。

ほーっと、また一息です。

*写真は太古さんのブログを見てくださいね↓


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今日は旧暦の元旦です。
明けましておめでとうございます。

旧暦に戻してほしいような気がします。
その方が、季節感がぴったりですから。。。

今日は節分。明日は立春。

本当に季節そのままに、急激に春の足音が聞こえてきました。

今日はずいぶん、穏やかでしたね~

写真は一昨日の手水にびっしり垂れ下がったつららです^^;
御歳神社周辺は北向きで日が差さないので、かなり冷えます。
昨日はようやく、氷を割って、手水を流しました。
水がめちゃくちゃ冷たくて、手にひび割れができちゃいましたが。。。(^^;

今日は打って変わっての日差しでした^^

旧正月に節分に立春!
なんだかワクワクする季節到来ですね♪

2月13日は祈年祭です。
例年祈年祭は冷え込みます^^
祈年祭の後、湯立て神事をするので、寒い方が風情はあるのですが。。。
湯が煙をあげますからね^^
雪の降りたるはいふべきにもあらず。。。

このワクワク感が、この季節の嬉しいところですね^^
昨年、御歳神社の駐車場に建てて頂いた休憩所&トイレの休憩所に、
氏子役員さんが、季節や行事の写真を飾っていただきました^^
それから倒れていた灯篭も復活~!!

御所金剛俳句クラブの俳句も掲示されています^^
ぜひご覧くださいね^^
祈年祭には御所金剛俳句クラブの方が、俳句を詠みに来てくださいます^^
また、掲示してくださるとのことですので、どうぞお楽しみに~♪







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何度か書いていますが、私が南方熊楠を知ったのは、粘菌研究者だったから。

大学時代は生物学をやっていて、実はそのころから、

コスモロジー(宇宙論)への興味はあったのですが。。。


ガイアを一つの生命体として捉える考え方は、エコロジカルな観点からも面白いと思いました。

そんな興味から、専攻したのは環境生物学=英語でいえば、エコロジカルバイオロジーですね^^


その時に衝撃的に読んだのが、粘菌の生態についてでした。


コスモスは宇宙とも訳しますが、秩序とも訳します。

この、宇宙であり秩序であるという「コスモス」という言葉は実に面白いです。

地球上で、互いの生物は、ばらばらに動いているように思えます。

実際、捕食者と被食者という食物連鎖以外の部分では、全く関わりのないように見えています。

しかし、そこには秩序があるのだと、この言葉を作った人たちは

直感的に感じていたのかもしれませんね。


この、無秩序(カオス)から秩序(コスモス)への変遷を見せてくれるのが粘菌なのです。


粘菌は単細胞生物でアメーバのような生命体です。

http://research.kahaku.go.jp/botany/henkeikin/1000.html 


普段は単細胞生物として、単体で粘菌アメーバとして、

あるいは鞭毛をもつ遊走細胞として生活していて、

細胞分裂をして数を増やします。

この状態が「カオス」といえます。


そこから突然赤の他人だったはずのアメーバ粘菌が接合を始めます。

単細胞のまま、大きな体になっていくのです。

たくさんのアメーバ粘菌が一つの生命体に統合されていくのです。


それだけでも驚異です。

しかしさらに驚愕の進化を遂げます。


なんと、その単細胞の大きくなった体が、根の部分、茎の部分、胞子の部分と役割分担をして

それぞれ協力して、胞子を遠くに飛ばして子孫を残すために一致団結するわけです^^

無秩序の寄せ集めにすぎなかった者同士が、突然連携を取って

秩序のあるあたかも植物のような状態になるのです。


まさにコスモスです^^


はははっ(^^;

つい、粘菌に熱くなりましたが、

「般若波羅蜜」と類似していませんか?!(私もやっぱり変人でしょうか?^^)


粘菌のような単細胞生物でも、実は、核の中にさまざまな情報を持っているのです。

それぞれ、赤の他人のように見えて、いざとなれば、情報を共有する者同士ですから、

連携が可能なわけです。

「般若波羅蜜」を粘菌になぞらえて、そこに宇宙論=コスモロジーを見たのが、

かの南方熊楠だったのかなあと思っています。


粘菌はさらに驚異の頭脳を持っています。

頭脳といっても人間の頭脳のような「頭脳」ではないのですが、

迷路の最短コースを見つける能力とか、ライフラインを一本ではなく、

いざと言う時の為の避難路も作っておける能力です^^

http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/kawaraban/39680.html


こういうのを見ると、ワクワクした高揚感に包まれるのは、

やっぱり理系女子の変人さかもしれませんがねっ^^


単細胞生物でも、このような能力を持っていることに驚きを感じます。

「般若波羅蜜」は宗教的な定義だけではなく、

物理的、科学的にも有効な「秩序」のカテゴリーの中にあるのかもしれません。


私たちは、その「コスモス=秩序」の中に生きているのです。

あたかも、大海のゆりかごに揺られる心地よさを感じるのは私だけでしょうか?(笑



自我の中にある「個」の部分の孤独感は、宇宙に自分はたった一人の

他者とは違う人間だと自覚するところにあります。

しかし、「自然の摂理=秩序」の世界の中に生きる私は、「個」の部分と別な次元で、

実は、世界とつながっているのかもしれないという安堵感に包まれます。


世界と繋がっている自分、世界の秩序の一部分である自分、

そんな視点が、私の中で、生物学のみならず、宗教的な世界観の

もとになっているのかもしれません。


共感してくださる方が居たら嬉しいです♪


 



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