鎮守の杜から
葛木御歳神社神職が、神道についてや、日々感じたことなどを思いつくままに綴った私的なページです。
 



今年も銀龍草が咲きました。
嬉しいな。

例年より控えめですが、なんとか見つけました♪

水晶ランとも言います。
水晶のような、銀の龍のような。。。

どちらにしても、神社にぴったりですね。
御歳神社の精霊さんです。

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今日は暑いくらいの良い天気でした。

神社へ行くと高い梢から聞こえます。

コンコンコン♪

そう。
キツツキです。

久しぶりですね~ようこそ。

とーっても心地よい音なんです。
優しく響きます。

もうすく風薫る五月です。

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次回作業日を4月21日としましたが、
諸事情により、延期させて頂きます。
大変申し訳ありません。
日時はまたお知らせいたします。

たぶん、5月3日の御田祭以降になると思います。

5月3日は11時から御田祭、午後から登拝いたします。
ぜひこちらにもご参加ください。
銀龍草が見ごろかと思います。


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次回は、4月21日です。
10時ごろから開始いたします。
初めての方も歓迎します。
ご参加くださる方は、ご連絡くださいね。

5月3日には、御田祭りの後、午後から登拝の予定です。

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季刊誌「あかい奈良」が廃刊になりました。
とても格調高い素敵な季刊誌でしたので、
少し残念です。
しかし、跡を引き継ぐ「まほろびすと」が創刊されます。
今後はこちらも楽しみにしますね。

さて、その最終号(55号)に御歳神社が掲載されました。
「記紀の迷い道 かつて水穂の国だった日本の農耕の神様は、今どこに?」
ということで、取り上げられました。
現在御歳神社で神社復興に取り組んでいることにも触れて頂き、
嬉しい限りです。

戦後の高度経済成長の中で、
幾分取り残されてきた感のある一次産業。
その主幹ともいうべき「農耕」は、古代においては
紛れのない中心産業でした。

今の経済大国日本の中で、長い間顧みられることの少なかった第一次産業が
このところ、少しずつ見直されてきたように感じています。

生活の利便さ追求一辺倒に突き進んできたこの国が、
かつては「瑞穂の国」として穏やかな農村、山村、漁村の広がる国であったこと。
進みすぎた経済規模、不況、天変地異の中で、
私たちのDNAに刻まれた原風景への郷愁が、呼び戻されてきたのではないでしょうか。

農耕儀礼としての「祭り」も存亡の危機かもしれません。
途絶えた祭りも数多くあることでしょう。
しかし、そこを忘れては、私たちはあまりにも傲慢になってしまうのではないか。
そんな危機感が原風景への憧憬となって、今、再び現れてきたのかもしれません。

私は、稲の神さまであられる御歳神さまのおそばで
そんな事を考えていられる幸せを思います。


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悩んだり苦しんだりすることが多いのが人生ですけど、
その解決のために必死に苦しむ事って、結構やめられないのですよね。
プライドを賭けた真剣勝負なわけです。

憧れる人が居ます。
ああ、かっこいいなあ~と思える人。
それは、昨日見たライブのシンガーのように、現実の人であることもあるし、
自分の想像の中の人であることもあります。
自分が追い求める理想像かもしれません。

この10年程は、次から次へと難問が降り注いで、
魂が揺さぶられるような経験を繰り返しました。
その経験は、今となっては、とても貴重な経験だったと思えます。
「苦労は買ってでもしろ。」なんて昔の人は言いましたが、確かにそうだな~と思います。

ある人と話してて、思い当たったのですが、
多くの経験は、「気がつく」ための貴重な経験なのでしょう。

何も困ったことが無い時は、人の有難味はそれ程感じないのに、
自分が困り果てて、もうどうしようもないと嘆くような時に、助けが入ると、
心の底から感謝の念が生まれます。
「いつも感謝しなさい」って、言いますが、それは、「相手に礼をつくしなさい」という意味ですよね。
「感謝の念」は、「感謝するべき」という義務ではないのです。
心の底からの、あの震えるほどの気持ちを知らないと本当にはわからない。
真っ暗な中に光が差し込んだようなあの感動。
魂が震えるような気持ちになる時、感受性が高まったのだと思います。
それは、美しい夕焼けを見たとき、可憐な野の花を見つけた感動…そこで心が動くことでも高まります。

その当時は余裕が無かったことも、振り返れば、ああ、そういうことだったのね。と思えます。
そうして、手のひらからふーっと息を吹きかけて飛ばしてしまう。
心の中には、苦しさではなく、その後の喜びを残して…。

正しいことをしようとか、素晴らしい人間になろうとか、そんなことを思わなくても、
目の前の事に一所懸命、逃げないで対処していけば、自ずと心は磨かれるのです。
良いか悪いかなど、やってみないとわからない事が多いけれど、
一所懸命になら、いつでもできます。

感受性を磨いて、人にも物事にも敏感になれれば、
小さなことにも気づくことができます。
どうすればよいのかもわかってきます。

「器の大きい人」ってこういう人なんだろうな~と思います。

「かわいいおばあちゃんになりたい!」と思ってますが、
それってこういうことなのかもしれませんね。


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