鎮守の杜から
葛木御歳神社神職が、神道についてや、日々感じたことなどを思いつくままに綴った私的なページです。
 



今年もあと二日になりました。
毎年、年の瀬は何かしら感慨があります。
昨年から私にとっては本当に激動の二年間でした。
不思議な不思議なめぐり合わせで、神社が居場所になりました。

今年は、本当に感謝の一年でした。
こんなに嬉しい事がいっぱい待っていたなんて想像していませんでした。

素敵な方々とたくさんの出逢いがありました。
一人では動かない事を助けてくれる方々がありました。
こんなに劇的に動き出す事があるんだなあと感動でした。

神社ってすごいところだなあ!と思います。
神さまっておられるんだなあ!って嬉しくなります。

来年はどんな年になるのかなあ!
まずは願ってビジョンを持つことかも?
道はその方向に開けるのかも。

進まないと道は出来ません。
行ってみないとその先は見えません。
まずは信じて進んでみる事。
ダメだったら戻ってもいいのですから。

背中を押されている気がします。
一緒に進んでくれる方々、手伝ってくれる方々、教えてくれる方々がいる幸せ。
きっと色んな波もやってくるでしょう。
それでも、光を感じて進みたい。
その心が、エネルギーになるはず。

この一年、本当にありがとうございました。
来年もどうかよろしくお願いします。
皆様にとって幸多い年になりますように。。。


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久々の読書記です。読んだのは昨年かな。ちょっと色々な事を重ねて膨らんでいます。
中学生向け課題図書だった本です。

http://homepage3.nifty.com/kodomonohonken/hondana_syohou0302b.html


平安末期から鎌倉を生きた主人公小松が、貧しい村を救うために大阪狭山池の修復を手がけるまでの話です。二人の人生の先達に出会います。一人は東大寺修復に執念を燃やし、「事を成す」ためには手段を選ばない僧重源。その重源の弟子でありながら、重源の僧として、人としての道にも逸れる強引なやり方について行けなくなり、僧籍を放棄して聖となり、辻説法に立つ心優しい蓮空。小松は、静かな優しい蓮空に惹かれていますが、最後に選んだ生き方は重源のそれでした。

自身も人買いに売られ、都をさまよった末、やっと巡り合った最愛の女性も死なせてしまいます。生きる目的が無くなったような絶望感の中で、故郷の狭山池のことを思います。「狭山池さえ機能していれば、こんな不幸を繰り返さずにいられる…」
その狭山池の修復のために重源が提案したのは、まさに禁じ手でした。
池の樋に、古墳をあばいてその石棺を使うというものでした。

その重源の提案を受け入れる決断をした小松の心情は、細かに描かれていません。でも、今までの彼の生きてきた道を思うと、十分想像できます。墓を暴くなどと、人の道にあるまじき行為です。その罪を引き受ける決心が、すでに彼の中にはあったのでしょう。人には二種類の生き方が用意されているのかもしれません。自分の理想とする信念を通す生き方と、実を取る生き方です。普通の生活でその選択を迫られることは、平和な世の中では少なくなりました。事を成すために動く小松。初めは誰も禁じ手に組しません。たった一人で古墳を掘る小松。やがて、女たちが手伝いに来てくれます。生かすために娘を人買いに売らざるを得なかった母親たち。少しずつですが、人々が集まり、事は成されていきます。

美しく描かれた狭山池修復成功の物語。小松の生き方は、多くの人々を救うことになります。
何かを成す時には、大きな決断が必ずあることでしょう。
でも、怖さも含んでいます。
犠牲を払ってでも、事を成すことの是非。
犠牲はつきものだという論理を簡単には肯定できません。
それは、破壊者、テロリスト、権力者の大義名分ともなりうるからです。
(それでも、小松の生き方に共感を覚えたのは確かですが。)

何が正しくて何が間違いかなど、簡単に言えなくなるような、複雑な読後感でした。
重源も蓮空も小松も、深く考え、決意し、ただ、精一杯生きたということでは共通しているように感じました。歴史の中には、一面を見ただけでは、その是非を言えないことが多くあります。その時々、人々は色々な波に翻弄されながらも、必死に生きていたのだろうと思います。歴史に名を残す人物の周りにも、その人物に関わる多くの人間の生が存在していることでしょう。その人々の重なりが、歴史になっていくのだと思っています。




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今日は冬至。

まさしく冬至にふさわしい天気でした。
朝から、ものすごい冷え込みでした。
朝はまだ積もっていませんでしたが、山々が雪雲にかき消されたかと思うと、
みるみる積もっていきました。国道の車ものろのろ運転です。
そこら中が、一瞬にして純白の世界でした。

雪が積もると、空気が鎮まるのがわかります。
神社で拍手すると、いつもは響くのに、その音が瞬時に雪に吸収されていきます。
これは不思議な感じ。
人間の感覚も案外鋭いなあと思います。いつもと違う響きに「ここはどこだろうか」…
なんか、別の世界に迷い込んだような錯覚を起します。

冬至を境に太陽が力を増していきます。
これから1ヶ月でみるみる光が変わって行くのです。
それを感じられるのも、空気が澄んでいる葛城だからこそ。
昔の人は、きっとそれをとても敏感に感じていた事でしょう。
だからこそ、冬至は特別な日なのです。同様に春分も秋分も…

寒さはまだまだ続きますが、光が強さを増して行くこれからの時期が好きです。
本格的な春はまだですが、春の予感を感じるのはひそやかな楽しみです。

寒い朝、神社の境内に立ってようやく光を取り戻した太陽の恵みを独り占めする幸せ。
桜咲く春までのささやかな喜びです。





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御歳神社のHPトピックスの磐座の記事の誤りをようやく修正しました。8月に登った時は唐笠山とカナ山を同じ山だと思っていました。今回登るにあたって、色々わかってきました。
http://www.geocities.jp/mitoshijinjya/topics/topics_iwakura.htm

今、面白がっているのは、「さなぶり=早苗饗」です。
広辞苑によると、「さなぶり」はサノボリ(早上り)の転。田植えを終えた祝い。とあります。山の神を山までお迎えに行って、田の神として里へお連れする神事なのではと思っています。

これって平安時代に書かれた「古語拾遺」のあの文。(由緒のページをご覧ください。)
「昔在神代に、大地主神、田つくりましし日に、牛の宍(しし)をもて田人に食わしめたまいき。時に御歳神の子、その田に至りまして、饗(みあえ)に唾きて還りまして、ありさまを父に告げましき。」の饗食のことですよね!

千年以上も前の書物と、ご年配の方のお話が一致するのは、やった~!という気分。
少なくとも、千年以上前から、千年以上もの間、「さなぶり」は続いていたのです。すごい事ですね。その場所は、古語拾遺の記述から田んぼの横で行われているとイメージしていましたが、村の方に聞きますと、御歳神社のご神体山のさらに奥の山で行われていたそうです。
何故??…きっとこれは山の神を田の神としてお連れする大切な神事であったのではないかと思い至りました。同時に、御歳山だけがご神体山ではなく、この奥の山も御歳神の統べる地であったのではとの思いです。

またまた、ジグソーパズルのパーツが現れた気分。

ただし、古語拾遺の文の意味は謎のままです。
御歳神さまのお怒りの原因は何なのでしょう。色々な方が様々に解釈をしてくださっています。このあたりは、古語拾遺を編んだ斎部広成の思い入れもあって、なかなか解けません。でも、はるか昔から饗応をしていたのは事実。それだけでも、やった~!の気分です。


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今日、御歳神社の奥山へ12人のお仲間と入りました。
ずっとずっと行きたくて夏から心待ちにしていた奥山探訪でした。夏場はマムシの巣になり藪がすごいので、入れません。で、蛇が冬眠する時期を待っての探訪でした。
しかし、朝から冷たい小雨が降っています。今日は無理かなあと思いつつ、皆さんの到着を待ちます。でも、来る人皆さん、行きましょうと、行く気満々。。。奥山へは昔は道があったのですが、30年ぐらい殆ど人が入っていないので、完全な藪の中です。藪を払い、倒木をのこぎりで切って行く事になります。皆さん揃ったら早速コースを練ります。いざ、出発。

御歳神社の御神体山は御歳山です。綺麗な円錐形の典型的な神奈備山(御神体山)です。標高は216m程。その背後に御歳山を取り巻くように扇形の山が広がります。その一番高い峰がカナ山です。標高は350m程。カナ山の語源ははっきりしませんが、この山から、南に広がる一帯は鉄と銅の取れる鉱山でもあり、鉄の山=カナ山なのかもしれません。また、太古このあたりは渡来人が住んだ地域です。渡来系の名の響きのように感じると言う方もあります。

このカナ山も信仰の山だったようです。御歳神社から南の船宿寺、東は大穴持神社までの一帯は峰と谷の連なる人の住まない山の地です。その中で一番高く頂上がちょうどお碗をふせたようなこのカナ山は遠くからも見える特徴のある峰です。
事実、山の頂上と中腹に祠があったと年配の方のお話です。そして、神さまが降りる場所である磐座(イワクラ)があるという話も聞いていました。

そんな中、神職講習で聞いた話に驚きました。「昔の神社は神奈備山を背後に持ち、その後に、神奈備山をとりまく『守りの神山』があるのが、最も古い神社の形態である。典型的なのは春日大社。神奈備山の春日山は円錐形の山でその奥に屏風のように奥山(ちょうど奥山ドライブウェイの山々)が守っている」と聞いて、規模は違いますが、御歳神社の山の形と同じだ!と感激していたのです。

祠や磐座があるのなら、ぜひ行かなければ!とずっと思っていました。そして、今日を迎えたのです。素敵なメンバーが揃いました。奥山探訪に心強い面々です。

磐座見つけましたよ~!ずっとずっとお待ちになっていたように思いました。
ああ、やっと来れた!…「やっと来たね。待ってたよ」と言われたような気がしました。
みなさん、感激でした。もう、充足感。。。
山の持ち主の方にも、事前に危険箇所など、教えていただき、どうぞ思うようにやってくださいと許可を頂きました。

さて、これから、どう流れていくか楽しみです。
今日、参加のみなさま、本当にお疲れ様でした。
でも、楽しかったですね。次はいつ行きましょうか?!

(奥山は鉱山の採掘跡の穴がたくさんあいています。垂直に10mの穴が藪の中に隠れている危険もあります。どうか危険ですし、個人の持ち山ですから、許可なく入らないでください。)


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