早いものでもう今年もあと一日となりました。
新しい年を迎えることは、毎年ワクワクします。
歳旦祭はとても冷え込むようですが、こうでなくっちゃ!と思います。
ピーンと張り詰めたような澄んだ空気を肌身に直接感じることが出来るからです。
毎年、歳旦祭は一番神様を感じるお祭りです。
次はどんな表情を見せてくださいますか。今から楽しみです。
一番印象に残っているのは、初めて奉仕させて頂いた歳旦祭です。平成17年(2005)正月。
「龍脈が通る」というのは、こういうことを云うのかと思いました。
突然の突風と共に「ゴオォォー!」と大地が鳴動するような地響きのような轟音が金剛山の方向から山を伝って神社まで轟きました。あの時の震えるような心地は一生忘れないでしょう。
あれから8年。
本当に色々ありました。
霧の中、絶望の淵を歩いているような数年を超えられたのは、紛れもなく神様への熱い信頼だったと思います。
それは自分の存在を否定してしまう感情との闘いだったのかもしれません。
「何故?」と何度問うても答えの見つからない場所で、どんなにあがいても良くなる気配の無い状況で、絶望することと必死に闘っていたのです。
それでも私は全否定しなかった。
それは、私の中の深淵で永遠に燃える炎のような生へのエネルギーのほとばしりと、
それを向ける場所としての「神社」があったからでしょう。
この苦悶の数年で私は多くのものを身から剥いでいきました。
その時は悲壮感を持って。でも今となれば、それは私が身軽になって「自然体」になって生まれ変わる為であったのだと思えます。
この暗闇の先に一筋だけ光が見えていました。
神社のためにこの身を費やすこと。
それ以外の道はどこにも見えなかったから、私はかすかな光を目指して歩みを始めたのです。
私は神様に選ばれたのではありません。
私が神社への道を選択したのです。
心に誓ってからは、神社で感じる神様は何とお優しかったことか。
大きな大きな懐で私を受け入れてくださいました。
私は目に見えない神様といつも拝殿で対話していました。
私の喜びも悲しみも、嘆きも怒りも、すべて吐露しながら祈りました。
「こんなダメな私で本当にいいのですか?」
最初の頃は何度も問いました。
でも、数年を経て問うことを止めました。
「私がここに居たいからここに居るのだ。ダメだろうが情けなかろうが、今ここに居るのは他ならぬ私なのだ。私よりうまく出来る人はゴマンといるだろう。でも、今ここに居るのは私だけなのだ。ならば、私が弱音を吐いてどうするのだ。ダメだと思うなら、退場すればよい。でもこの舞台から退場すれば、私は生きていけないだろう。
…そうだ、生きているのだ。御歳神さまが私をダメだとお思いなら、とっくの昔に私は存在できなくなっているはずだ。私が生きているのなら、生きている限り、その生のエネルギーをここに注ぐのだ。それ以外に私の生きる道などありえない。それ程、私は御歳神様を深く深く信仰しているのだから。」
そう思えると、私は神様と二人三脚で歩いている気持ちになれました。
私は神様の手足となって働けばいいのだ。何も恐れることはない。私が順調に動ける時は神様の御意思に反していないはずだから。反していれば修正が入るでしょう。だから私は心に閃くままに、それを神様からのメッセージだと思って動けばいい。
もとより、すでに私欲など無くなってしまった。そんなちゃちなものは要らない。私が今、神社と共に歩けることが最高の幸せなのだから。
それにね、神様からの大きなプレゼントはすでに頂いているのです。
それは、きっと私が一所懸命がんばったご褒美だと思っています。
頑張ったよ。そして大きな喜びを手にしたよ。
感謝の気持ちでいっぱいです。
私が間違わずにここに来れたことを感謝します。
世の中はこんなに喜びにあふれているのです。
それはね。心の持ちようなのです。
一度きりの人生で心を鍛える時間を持てたことを感謝します。
笑顔が人を幸せにすることを知ったことを感謝します。
人を変えようとするのではなく、接し方を変えるのです。
時には急がず時間をかけて。
自己否定からは何も生まれません。
相手を否定する他人からは距離を置くことも大切です。
信じることが力に変わります。
自分を信じて、大いなる存在を信じて、その大いなる存在と自分とを結ぶきずなを信じて。
新しい年が幸せを感じることができる年でありますように。。。
*見守ってくださる神様だけでは辛い時は、生身のお仲間たちに力を頂きました。
だから私は笑顔でここにいられるのです。
皆様、本当にありがとうございました。
来年もどうかよろしくお願いいたします。