鎮守の杜から
葛木御歳神社神職が、神道についてや、日々感じたことなどを思いつくままに綴った私的なページです。
 



今日、極楽寺ヒビキ遺跡の現地説明会に行ってきました。朝一番にも関わらず、かなりの人出でした。でもまだゆっくり見られました。実際現地に行って感慨ひとしおです。立地場所がいいですね。大和平野を見渡せる絶好のロケーション。木々が視界を邪魔していなければ、すごい眺望だろうと思います。建物自体は六間四方でそれほど広くないですが、堀に囲まれ、祭祀の場として特別の意味があったのではと思います。御歳神社もこの時代から特別な意味を持った神社だったのではと思っています。飛鳥より古く、まだまだ歴史の闇の中ですが、これからの調査が楽しみです。

御所市民としてこの歴史的遺物を守りたいと思いました。それは一緒に行った友人とも、現地で会った知人とも一致した気持ちでした。先に書いたように御所市は公的にあまり機能してくれません。これはNPO法人でも立ち上げて、「御所市の歴史的遺物を守る会」でも作らないとなあ!なんて、冗談半分言っていました。でもそれはいいかも!すこし落ち着いたら、本気で考えようかなあと思いました。

それはさておき、御歳神社のHP内に「トピックス」として遺跡の写真などをUPしました。今後、ブログに載せ切れない色々な話題を書いていきたいと思っています。お年玉の由来や、御所市の伝統行事なども書いていくつもりです。また、そちらもご覧下さいね。
御歳神社HP「トピックス」へ

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御歳神社の真西に1km程の所ですごい遺跡が出ました。5世紀前半、丁度仁徳天皇から数代にわたって、天皇家の外戚となった大豪族、葛城氏の王宮跡とされる遺跡が見つかりました。史実で雄略天皇に攻められ勢力を失うまで、絶大な富で天皇家を支えたとも言われています。このあたりは銅や鉄の鉱山もあり、渡来人も多く住み、その先進技術と朝鮮半島との交易による富が集中していたのではと考えられます。今は静かな地ですが、古代には、大和平野を見下ろす立地でもあり、水越峠を通って河内とも繋がり、紀ノ川を使って和歌山の海とも近く、交通の要衝として繁栄していたのでしょう。

 まだまだ発掘は始まったばかり。これからの発掘にも期待しています。同時にすぐ近くで白鳳様式の異国風の仏像のレリーフも発掘されました。飛鳥に並ぶ大遺跡群が眠っているのではと期待しています。

 現地説明会は2月26日(土)9時半から4時までです。地元の利で、朝一番に行くつもりです。今からワクワクしています。また、報告したいと思っています。ただ、気がかりは御所市の財政難。土地の買い上げがままならず、今まで出た遺跡の殆どが埋め戻されて農地になっています。何とか、買い上げして、遺跡として残して欲しいと願っています。むずかしいのかなあ。明日香ならうまくいくのになあ!そんな運動が起こることを期待して、見に行って参りますね。ご覧になった方、行かれませんか?

極楽寺ヒビキ遺跡 読売新聞
二光寺廃寺遺跡 asahi.com


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節分の日、神社に福豆のお供えがありました。翌日の立春、これは御神体山に奉納しようと思い、御歳山へ入りました。御歳山はまさに神域。澄んだ空気を感じる場所です。山へ入ると上の方で一筋の光が差している場所がありました。あまりの神々しさに誘われるように登っていきました。光の筋は斜面にあって直径3,4mの平らになった場所に降りていました。多分、大きな木が根こそぎ倒れたことによってできた平らな場所だと思います。その少し窪んだ場所に水分を含んだ空気を反射させて光のサークルが出来ていました。空気のゆれに伴って光が揺らめいています。ああここは神様が休憩される場所なんじゃないかなあと思いました。何だか嬉しくなりました。自然が見せるちょっとした風景に胸が熱くなる時があります。そのものには意思などないのでしょうけれど、感じる人間の側が少し自然に近づく瞬間かもしれません。自然と自分。切り離せない何かめぐるものを感じるのはまさに喜びですね。

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南方熊楠をご存知ですか?和歌山県が生んだ奇才、生物学者でもあり、日本最初のエコロジストとも呼ばれます。生物学を専攻していた私にとっては、粘菌の研究者として興味を持ちました。粘菌って面白いんですよ。普段はバラバラにアメーバのように生活しているのですが、子孫を残す時になると集合するのです。ただ集まるなら驚かないのですが、集まった時にそれぞれ根・茎・胞子の役割に分化して、一つの植物のようになるのです。まさに自然の驚異!単細胞生物から多細胞へ移る進化の歴史を見るようです。

大学時代よく友人と話しました。生命が持つすごいメカニズムは本当に無作為に生まれたのかなあと。まるで何かの意思を受けているような正確さと緻密さで進化を遂げています。たとえばハナカマキリ。蘭の花と色も形もそっくりです。生物の進化は自然淘汰で説明されます。環境に適応して敵にやられなかったものが生き残ったという考えです。でも、それでそこまで美的な形が生まれるのでしょうか?これは永遠の疑問でもあります。

アメーバのような単細胞生物から運動性能や光合成など高度な単細胞へ移る際、細胞膜の中に様々な単細胞生物が入り込んで色々な機能が生まれたとの説があります。ミクロの小宇宙です。それがくっついて多細胞生物に進化します。動物の体もそういうシステムがうまく組み合わさって一つの完成された体になります。それを地球規模まで広げて地球を一つの生命体と考えることも出来ます。それがエコロジー。相互に関わり合いながら一つの宇宙を作り上げます。

森をフィールドに研究していた南方熊楠。そんな相互の関わりを大切なものとして守ろうとしたのだと思います。南方熊楠はまた、神社の存続にも多大な貢献をしています。明治から大正時代、神社の合祀の嵐が吹き荒れ、明治初年に全国で19万社あった神社が、昭和20年には11万社に激減しました。その合祀を体を張って阻止しようと働いたのです。神社と共に鎮守の森を守ろうとしたのだと思います。長い時間をかけてできた森。壊すのは一瞬です。大事にしたいものですね。

粘菌のサイクルについて

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昨日は、兼務社の伏見八幡神社の御田祭り(おんだまつり)でした。途中、雪が舞う日でしたが、積雪はなく無事お祭りを終えました。御田祭りは、立春で新しい年を迎えた後、今年の豊作を祈るお祭りです。神社の境内に斎竹で田を見立てて、そこで農事の真似事をします。

まず、松葉を八幡さんのお札でくるんで紅白の水引をして苗に見立てたものを本殿に奉ります。お祓いをして、神饌を供えて豊作祈願の祝詞を奏上、玉串を奉奠(ほうてん)します。それから斎竹の所へ移って牛の面をつけて牛に扮した人と田男で田起こしの真似事をします。皆さん息もぴったりで、牛がふらふらすると田男が手綱で「コレコレ、シーシー」とひっぱってユーモラスに演じてくれます。それから田んぼをならして、田植えです。

先程祈祷した苗を斎竹で囲った田に氏子さんで並べていきます。そうして無事田植えも終了。その苗を持ち帰り、5月に苗代を作る時に近くの菩提寺のお札と共にその水入り口に供えて、豊かな水の恵みと豊作を祈ります。

伏見は金剛山の中腹にありますが、金剛山が風の守りとなっているようで、台風や嵐による被害も少なく、また、山の清流が豊かで特に美味しいお米が採れることで有名です。氏子さんの信仰も篤く、お話の端々に「ここは八幡さんや菩提寺に守られていて災害が少ないんや」「山が守ってるからなあ」と話されます。結構寒いのと交通の不便さだけが難点ですが、自分の村に誇りを持っていらしゃるのがいいなあと思いました。直会の席で「祭りもしっかり守らないかんなあ」「保存会でも作ろうか」などと盛り上がりました。どことも若い人は便利な所に出て行って過疎化の問題は抱えています。でも伝統は一度途切れるとなかなか復活しにくいものです。これから先の数百年も続けていけるようにと願います。
八幡神社URL 御田祭り

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 今日は立春です。久しぶりに明るい日差しを感じる日となりました。その前日は節分。元々は季節の変わり目として、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指す言葉です。立春が二十四節気の起点=年の初めであることから、特に重視され、節分といえば立春の前日となったようです。節分の豆まきは唐から入ってきた行事で、元は大晦日に行われたそうです。

 立春は好きです。ここは結構寒いので、立春を聞くとワクワクします。正月も新しい年ですが、立春も新たな幕開けを感じます。節分に祓いの行事をする所も多いです。さっぱりした気分で、幕開けを迎えようという事でしょう。来年からは是非とも節分祭をしたいと思っています。季節を感じるお手伝いをすることも神社の果たしてきた役割のように思います。

 私の「折々の記」もブログにしてみました。長くなってきて、カテゴリー別に整理したいと思っていた所、それを自動でやってくれる流行のブログを使ってみました。どっちがいいかなあと思案したままのいつもの見切り発進です。とりあえずしばらくやってみます。コメントもいただけるようになりました。一言でも書いて頂ければとても嬉しいです。新たな幕開けを迎えての試みです。これからもよろしくお願いします。

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