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鎮守の杜から

葛木御歳神社神職が、神道についてや、日々感じたことなどを思いつくままに綴った私的なページです。

理ーことわり

2009年09月30日 | 理ーことわり
ことわりを 屈めず写す とほつ川

  翠雨を祈る 鏡なりけり

玉置神社のブログを読んで、友人が和歌を返してくれました。
十津川は「遠つ川」なのかなあと思いました。
遠つ国は神の国です。
此処から南へ下ると、ああ、神々の国なのかと思えます。

迷うことが時々あります。
選択肢があって選ぶ時、
自分が決断を下す時の根拠をどこに据えるか。

さて、自分の考え方で良いのだろうか。

人はそれぞれ、考えも様々です。
それにあまりにも左右され過ぎると、進むべき道筋が見えなくなります。

方向性を決める時に、すとんと落としこむための指針となるもの。。。

それが「ことわり=理」
「自然の摂理」に合致しているか。という観点です。

自分の考えを変えることはあっても、
「ことわり=理」を曲げることはできないのですよ。

神を意識して祈る時、その祈りは、自分の心を現わします。
純粋な気持ち。卑屈にならず、自然体で、心の奥を神鏡に写す。


そうか。

判断に迷う必要はないのですよね。
うまくやろうと思う必要もないのです。

ことわりを曲げずにその方向へ進めば、必ず道は拓けます。
それは、「信念」という強い力に守られているからです。

人は神ではないのですから、間違うかもしれません。
でも、その時に自分の信念のまま、自然の摂理と信じて、
おごらず、卑屈にならずに進めば、後悔することはありません。

感性を磨くこと、神=自然の摂理へと通じる道を求めること。
より自然体に。より柔らかく、風のままに。

世の中は喜びに充ち溢れています。
感じれば、それは自ずと姿を現します。

私たちは、自然の中で、人々の間で、神を感じて、
歓喜することができるのです。

祈りとは、願いではなく、あふれる歓喜に対する感謝の心なのです。

神様は常に身近にいらっしゃいます。
同調することができます。

私たちは誰もが、歓喜を感じることができるのです。

ことわり=理

2009年09月30日 | セレクション
ことわりを 屈めず写す とほつ川

  翠雨を祈る 鏡なりけり

玉置神社のブログを読んで、友人が和歌を返してくれました。
十津川は「遠つ川」なのかなあと思いました。
遠つ国は神の国です。
此処から南へ下ると、ああ、神々の国なのかと思えます。

迷うことが時々あります。
選択肢があって選ぶ時、
自分が決断を下す時の根拠をどこに据えるか。

さて、自分の考え方で良いのだろうか。

人はそれぞれ、考えも様々です。
それにあまりにも左右され過ぎると、進むべき道筋が見えなくなります。

方向性を決める時に、すとんと落としこむための指針となるもの。。。

それが「ことわり=理」
「自然の摂理」に合致しているか。という観点です。

自分の考えを変えることはあっても、
「ことわり=理」を曲げることはできないのですよ。

神を意識して祈る時、その祈りは、自分の心を現わします。
純粋な気持ち。卑屈にならず、自然体で、心の奥を神鏡に写す。


そうか。

判断に迷う必要はないのですよね。
うまくやろうと思う必要もないのです。

ことわりを曲げずにその方向へ進めば、必ず道は拓けます。
それは、「信念」という強い力に守られているからです。

人は神ではないのですから、間違うかもしれません。
でも、その時に自分の信念のまま、自然の摂理と信じて、
おごらず、卑屈にならずに進めば、後悔することはありません。

感性を磨くこと、神=自然の摂理へと通じる道を求めること。
より自然体に。より柔らかく、風のままに。

世の中は喜びに充ち溢れています。
感じれば、それは自ずと姿を現します。

私たちは、自然の中で、人々の間で、神を感じて、
歓喜することができるのです。

祈りとは、願いではなく、あふれる歓喜に対する感謝の心なのです。

神様は常に身近にいらっしゃいます。
同調することができます。

私たちは誰もが、歓喜を感じることができるのです。


再び玉置へ

2009年09月28日 | 
玉置神社へお連れしたいお方がいらしたので、
友人を誘って行ってきました。

ああ、いつ行っても玉置神社行きは楽しいです。

今回は、話題豊富で話していてとても楽しい方たちとご一緒できたので格別でした。
いつも玉置神社は行く道すがらで目的の大半が達成してしまいます。
行くことに意味があると言うか、道を走っているとだんだんハイテンションになっていく自分にいつも笑ってしまいます。
今回はホント、大爆笑しながら、よくしゃべりました。
神様事から濃い話から、古代史の話、失敗談やお化けの話…^^
尽きない泉のように湧き出てきます。
こんな楽しい道ゆきは久しぶりだなあ~
素敵なお仲間とご一緒すると、楽しさ倍増ですね^^

まずは、熊野本宮大社と大斎原。
前回とは打って変わって陽射しがガンガンで暑かったです!
でも大斎原は晴天が似合います。
南国の趣ですね^^

途中の川やダムはかなり水量が下がって土がむき出し状態でした。
龍神様もちょっとしんどそうです。
今日からの雨に潤いますように、祈りながらの道ゆきです。



玉置神社はおおらかで雄大で懐が深くて優しいなあ。。。
境内に入ると、その懐に抱かれるような充足感で漂っていました。
身体の内部にダイレクトに作用します。
ほぐれていく心地よさですね。

初めて玉置山の展望台にも行きました。
峰々が遠くまで幾重にも重なって墨絵のよう。。。
遥か下方には十津川の蛇行が見えます。
山と川が織りなす自然の雄大な息吹。
心地よい風にしばらく酔いしれました。

ああ、楽しかったなあ。。。
またご一緒しましょうねとお約束しました。
次はどこへ行きましょうか?
次回はワイワイお仲間を大勢誘って行きましょうか。

楽しみ、楽しみです♪

第二回おとしだまの森倶楽部

2009年09月23日 | 御歳神社の奥山
10月4日(日)10時過ぎからの月次祭に続き、
おとしだまの森倶楽部第二回活動日とします。

今回は、手水の修復をいたします。

前回ホースを替えたのですが、やはりうまく流れません。ですので、竹を半分に割って樋を作って水を流そうと思います。

ご参加の方は、メールくださいませね^^

*前回の発足総会で、おとしだまの森倶楽部は会費制にせずに、毎回皆さんのカンパで運営しようと決めました。もし、こちらをご覧の方で、カンパしようと思って下さる方がありましたら、以下へよろしくです^^

郵便振替口座 00980-2-152662 名義 葛木御歳神社
通信欄に「おとしだまの森倶楽部カンパ」としてお振込みください。
少額で結構ですよ^^
燃料費や保険代、お茶代などに使いますね。
(来年度は公からの助成金も入る予定です^^)


*10月1日は兼務社の八幡神社の祭典のため、御歳神社での月次祭は4日に行います。

カムイ外伝

2009年09月20日 | その他
映画を封切日に見に行く事はあまりないのですが、レイトショーで松山ケンイチ主演の「カムイ外伝」を見てきました。

松山ケンイチ、カッコ良過ぎでした!凄い役者ですよね^^

でも、ラストがあまりにも悲惨すぎてちょっと衝撃的でした。
ただ、ああ、白土三平作品だからね~と納得はします。白土精神を作品の中に忠実に投影されたんだなあと思いました。
映画はハッピーエンドが圧倒的に多いですよね。
安心しますから。
でも、現実にはどうにもならないことも多くて、必ずしもハッピーエンドにはならないことも多いものです。


カムイは自由を求めて、抜け忍となり追われます。
ハッピーエンドなど万に一つもないという現実を知った上でです。

最初の字幕で追われる現実より、すべてを疑ってかかる疑心が一番恐ろしいというような言葉が出ます。
信じるか信じないかの間で揺れる二人の人物。
カムイは信じ始めるのですが、最後に悲惨な代償を払います。
なんとも重いです。

原作そのままの形ですね。忠実に映画化した監督に感服しますが、救いがないなあ~

それにしても、松山ケンイチはカムイそのものに見えました。他の役者は考えられないかも~!
続編を見てみたいです。
映画の賛否はどうなのかなあ。印象に残る映画ではありました。

一つ残念なのは、CGが酷すぎ^^
予算がないのだろうけど、ならば、昔の映画のように、CGなしで作って欲しかったなあ~
ラストの殺陣シーンは迫ってくる迫力がありました。
あれで十分なのになあ。
人間の気迫だけで撮って欲しかった~

白土作品で大好きなのは「忍者武芸帳」。
とても影響を受けました。
こちらも悲惨ではありますが、生きる意味が見えて救いはあります。
http://blog.goo.ne.jp/mitoshi7/e/c590993953197d341197b7cdd65cb141


思いがけず。。。

2009年09月18日 | 思うこと
一度は諦めて先送りしようかと思っていたことが、
突然、ふいに180度転換してうまく運びました。
それも、マイナス×マイナス=プラスになるような不思議さで。。。

面白いなあ~

今回は、ちょっと悪い流れが来そうな予感があって、
かなりドキドキしました。

その時にいかに冷静に対処できるかですね。
焦りから、悪い幻影におびえては、正しく事を動かせません。
気持ちがくさってしまうとどんどん悪い流れを呼びます。
目の前の事柄を冷静に見て、導き出す道筋を探ります。
うまくいく時と、失敗する時がありますが、
やはり信じて進めば道は拓けるということかもしれません。

今回は、結構、力技も使いました。
如何に説得するか。
自分の利益だけを言ってもうまくいくはずがありません。
うまく折り合いをつけて、自分が冷静になることで、
相手にも冷静に考えてもらえます。

思っていた以上に良い形で決着出来てホッと安堵しました。

その日の午後、市役所の農林課の方が整備対象の山を見たいとお越し。
頂上まで登りたいという話で長靴を履いて出発。

秋の爽やかな陽気と、安堵感からのルンルンで、
ハイスピードで頂上まで一気に登りました。
(農林課の一人が途中でギブアップでしたが^^;ごめんなさい!止められなかった!)

気持ち良かったです♪
まだもうひと頑張りですが、
神様のお導きを感じて進んでいきたいです。





ナンバンギセルと秋の空

2009年09月15日 | 歳時記
おとしだまの森倶楽部の翌日、ナンバンギセルを見つけました。
当日は気がつかなかったのですが、今年も咲いてくれました。

おとしだまの森倶楽部の作業の後、
すっかり秋になりましたね。

秋の雲はとても好きです。
巻雲というのでしょうか、蒼い空に白い筋の雲が広がって
刻々と姿を変えていきます。
鳥のように、龍のように。。。

夏の日照不足を補うように晴天が続きました。
稲が実りの時期ですね。

もうすぐ、黄金色の稲と彼岸花の紅が見事な風景を見せてくれます。
ああ、楽しみですね。


おとしだまの森倶楽部発足式&第一回作業

2009年09月09日 | 御歳神社の奥山

6日は、おとしだまの森倶楽部の発足報告並びに安全祈願祭を行いました。
3日から8日まで国学院専攻科の方が研修中で、二人奉仕で行いました。
前日から習礼(練習)を何度も重ねて本番を迎えました。二人奉仕は良いですね^^
研修の方の緊張気味の祭典をにっこりほほ笑みながら温かく見守って下さる神様を感じながらの奉仕でした。

写真のようにチェーンソーや鉈などをお祓いするために並べていた場所に光が集まって来て、すっかり清めて頂きました。



午後からは実際の作業。大変暑い日でしたが、ご神体山と駐車場に侵出してくる竹を伐る作業を行いました。山のように伐り出される竹を適当な長さに切ってどんどん燃やしていきます。10数人で見事に役割分担して流れるように作業がはかどります。噴き出す汗を拭き拭き、なんとも楽しそうな笑顔で作業をして下さる方たち。
この心地よさは何なのでしょうね^^



「人間も神様も真心によって動いているんだなあと感じました。」
作業をして下さった方から頂いたメールの一文です。

ああ、そうなんだ。
真心が通い合い、通じ合うからこその心地よさ。

「御歳神社崇敬会」という応援団と、「おとしだまの森倶楽部」という応援団。
私は二つの応援団を頂いて、御歳神社を整えていく「事」に当たれる幸せをかみしめます。
その周辺にもたくさんの見守って下さる人の思いがあります。
ブログをご覧になってエールを下さる方もあります。
皆が温かく優しい気持ちで包んで下さるからこそ、
実際の作業が進んで行くのですね。

劇的に劇的に事が進みます。
こんなダイナミックな瞬間に立ち会えるというのは何という幸せでしょう。

「きっと、これからも良い流れがさらに続いていくのではないかと思います。数十年とか百年単位での、次の発展のサイクルが始まったところ、というような感じが致します。」

別の方からのメールです。
高次のエネルギーは、真心が生み出しているのかもしれませんね。

義務感では続きません。
皆が出来る範囲で長く続けていくことが大切だと思います。

物質的なやり取りが主流の時代ですが、
目に見えないけれど確かに存在する素晴らしい価値が
ここ御歳神社にはあります。

それを感じ取りながら、皆で何か形が出来ていくというのは本当に素晴らしいことです。
これこそ、得がたい幸せである気がしています。

お集まりの皆様、本当にありがとうございました。
一人ではできないことも、皆の力で出来てしまいます。
夢を描いて、夢の実現に少しずつ歩みを進めていきたいと思います。

おとしだまの森整備情報 「おとしだまの森倶楽部発足式」

森の状態

2009年09月05日 | 御歳神社の奥山
明日は御歳神社でおとしだまの森倶楽部、発足式です。
山の整備の実際の指揮をとって下さる岩本さんの文章をご紹介しますね。

「森の状態」

御歳山は古来より神坐す山として人の手が入らず守り続けられ、シイの高木層を中心とした極相の照陽樹林を形成しています。
これほどの広さ(約1ha)でクライマックスに達している森は、知る限り県内でもほとんど残されていないのではないかな?と思います。
おそらく葛城の太古の森は、このような森に覆われており、その森に貯えられた水は大和平野に流れ、農耕を助け、ヤマトのクニを発展せしめたんだろうと思います。
近くで水の祭りをしていた遺構も見つかっておりますし、日本の歴史の鍵を握る森といっても過言ではないでしょう。
ただ、南と北に竹林が広がっているのと、山域にシカの生息が認められ、森の保護のために今後なんらかの対策が必要になってくるかも知れません。周辺の植性や土壌、湿度、日照など、影響をきちんと調査して保護活動をしていかなければいけないな。と感じています。

奥山に向かう道は樹齢約50年程度のヒノキの人工林。
間伐がされておらず、伐った木の年輪を見ると、植林後20年ほどで日光が当たらなくなったようで、年輪の目がぎっしり詰まり、直径は20センチ程しかありません。
樹高はシイの御神木に合わせたかのように20数メートルあり、立ち枯れている木も目立ちます。
適切な間伐と下層植性の育林で御歳山の森に連なる鎮守の杜としての機能をなんとか再生して、森に溶け込もうとしている古木に繋がる次の世代を今、育てなくてはなりません。

奥山の尾根道は雑木の二次林。コナラやツツジなど落葉樹が中心で、松やヒノキなどの針葉樹が混成しています。こちらはもと松林だったらしいのですが、50年ほど前の写真を見ると皆伐されおり、そこから森が再生している途上であるようで、陽樹がたくさん育っています。また、日当たりのよいところでは、松やヒノキの実生を見ることができ、学ぶことがたくさんある森です。
磐坐もあり、吉野、金剛・葛城や三輪の峰々を眺め、神々を感じながら歩く、登拝路としての整備を進めていきたいなあ。と考えています。
 
2009.07.11 writer:岩本卓也

「おとしだまの森情報」ブログより 
http://mitose-forest.blog.so-net.ne.jp/

「土地の記憶」

2009年09月02日 | 感じたこと
昨年、御歳神社で能楽奉納をして頂いた時にお世話になった大切な方へのお礼に書いた文章を、先日また別の場所で使ってくださったようで、私も一年ぶりに思い出しました。

キーワードは「土地の記憶」。
葛城ゆかりの能楽を葛城の地で舞う意義をそう記しました。

私たちには祖先から受け継いだDNAがあります。
それは人の中に眠る人々の記憶です。
同じように、その土地で暮らしていた人とそこにおわします神様との交わりの歴史は、「土地の記憶」としてその土地に受け継がれているような気がします。

「葛城」は特別な地であると思います。
「土地の記憶」が鮮烈に残っているからではないでしょうか。

私は河内の高安に生まれ育ちました。
今年でちょうど、高安と葛城で過ごした年数が同じになります。
今はすでに葛城の人間になっている気がします。

鮮烈な葛城の風土と、葛城の神々。
「土地の記憶」が私の体内を巡り、魅了され、離れ難くなっています。
すでに、私は「土地の記憶」の中に組み込まれているのかもしれません。

葛城の風が好きです。
遥か昔からの気を含んでいます。
いつでもタイムスリップできます。
連綿と受け継がれてきた神社は、濃い濃い空気を今も保ち続けています。

それが自身のDNAと触れ、化学反応を起こすように
身体に取り込まれていきます。

神社の魅力はそこにもあるのかもしれませんね。

来年の新嘗祭に、再び能楽の会を行う事がほぼ決まりました。
葛城ゆかりの能を葛城の地で舞う。
祖先から受け継がれたDNAと「土地の記憶」が混じり合い、光を放つ。

その瞬間を再び体験できる幸せを今からワクワクしながら思っています。