鎮守の杜から
葛木御歳神社神職が、神道についてや、日々感じたことなどを思いつくままに綴った私的なページです。
 



御歳神社の拝殿への石段の横に道ができました。

事の始めは、総代さんからの提案。
境内の排水が悪く、大雨が降ると境内が川と化して石段が滝になるのです。
で、U字溝を埋めて土を入れて整備しようとなりました。
そんなこんなで、軽トラックが入る道をつけようと決まりました。

神社の形が多少変わるので、良いものかどうか、ずっと思案していましたが、
良かったかなあと思っています。

ここの村はお年寄りが多い地域です。
で、お年寄りに大変好評^^
お年を召された方には、手すりのない石段はとても危なく難儀だそうです。
この坂道は助かるなあと仰せでした。

もう一つ思ったのは、今年のお正月の出来事。
とても御世話になっている氏子さんが奥様と参詣だったのですが、
奥様は足が不自由でいらっしゃいました。
なので、石段の下でお参りされていました。
来年のお正月には、車椅子で境内までご案内できるなあと、思っています。

それから。
なんだか境内がすーっと広くなった感じです。
一層空気が澄んだ感じ。
溝の工事も終わり、雨で流れてしまった土も入れて綺麗になりました。
木も一本も切らずにできました。
移植した百日紅やさつきも枯れずに元気に根を張っています。

写真は今朝の様子。
実は昨日、お池の整備を友人たちとしました。
神様の御気に召すかしら?と思いながら、神社へご挨拶に行きましたが、
なんだか、大層お喜びの様子でした。
良かった、よかった^^



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ワッショイ、ワッショイ!

お祭りにはおみこしですね^^

御歳神社のこどもみこしが神社から神様をお乗せしてお渡りになりました。
実はこれは、昨年、十年以上ぶりに復活した事でした。

以前は賑やかに神社まで来ていた子ども神輿が、神社へ来ないで村中だけを廻る事になったのは、体育の日がハッピーマンデーになってからです。
いきさつについては、実際よく分からないのですが、おみこしの本来の意味からは離れてしまいます。

「神輿は、神様がお祭りの日、神社のお社をお出になって、村中を見て廻るいわば、小旅行」なのです。本来、神社で御霊遷し(みたまうつし)をして、かみさまの御霊-みたま-を神輿にお乗せして、神様とともに練り歩くものです。お旅所に寄って休まれたり、村の様子を見て廻られるもの。でも、最近、神社へ寄らずにイベントとしてのこども神輿が増えたとも聞きます。

せっかくの行事が本来の意味を失っているのは、悲しいこと。
で、昨年、村の役員さんに掛け合って、本来の意味に戻したいことと、子どもたちに無病息災の御祓いをしたいと申し入れました。お祭りのはしご状態でしたが、何とか時間調整して無事、出立の神事をする事が出来ました。

昨年は、9名のこどもの参加でした。
今年は増えたらいいなあと、子どもさんに振舞うお菓子もたっぷり用意して待っていました。

太鼓の音とともに賑やかな子どもたちの声。
なんと村の子どもたち25名、ほぼフル出動で来てくれました。
神妙に御祓いを受けて元気に村へ繰り出しました。

いいなあ!何より嬉しいことです。
ちょっと満足で、急ぎお隣の八幡神社のお祭りへ向かいました。

もう一つ嬉しいことがあります♪

今年の11月23日の新嘗祭にこの村の子ども会の和太鼓の奉納演奏が実現する事になりました。
これも念願だった事。
過疎地で本当にすくない人数ですが、氏子の子どもたちの奉納演奏は
何よりお喜びのことでしょう。

ピアノとフルートの演奏もあります。
この地をイメージして創られた曲の初演もあります。
ぜひみなさまいらしてくださいね。

と、最後に宣伝でした^^
新嘗祭のおしらせはこちらへ



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No.150の写真を写した日、同じシイの木を正面から写したものです。

霧の中、御山に独り入らせて頂きました。

関わらないものであるはずがないと思いました。
この木に深く頭を下げずにはおられないような。。。

何なのでしょう。
心が震える思い。
あたり一面に満ちる空気に浸って、私はいつか私ではなくなる。
遠い記憶をたどるような。。。

「是」

ああ、いらっしゃるのですね。良かった。

「ありがとうございます。」

私には私が出来ることしか出来ないけど、私だけではないから。
だから、大丈夫。

たぶんね。


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この土日で、秋祭りが終了しました。
四つの神社で計八回の神事をしました。
私にとって三度目の秋祭り。

村々で毎年同じようにお祭りが行われる事ってすごいなあと思います。
御歳神社は神職がいるので、神職が祭りの準備をしますが、
その他の神社(兼務社)では、村の当番の当屋を中心にお祭りの準備をします。
毎年滞りなく行えるように、写真に撮ってメモを書いて、それを回していきます。

たくさんの特殊神事(神社庁が定める祭式以外の神事)が明治から昭和にかけて消えましたが、今ある形は、その時に途絶えなかったものです。

ススキ提灯の「ススキ」は稲霊の宿るもの。刈り取られた稲を田んぼに干すときの形を基にしているとか。
御幣の先には扇をつけて、お米を入れた「フングリ」を吊るします。
クリの木の枝には紅白の布を巻いて稲穂やお水を入れた若竹を吊るします。
昔は吉野川の水を取って来る役の地区があったとか。
八幡さんでは今は金剛山の「祈りの滝」の水を入れるそうです。

大淀町の天髪王神社では、祭りの前日に餅をつきます。
「千本づき」と言って、村の若衆が長い棒を持って臼の周りに集まって「伊勢音頭」を歌いながらつくのです。
それを5つの桶に入れて御幣をさして宵宮の日に供えます。

翌日の神事が興味深い。「当屋渡しの神事」
釜に湯を沸かして笹でその湯をかける御祓い=「湯立て神事」をした後、
今年の当屋と来年の当屋の間に宮司が座って三々九度の要領でお酒を酌み交わしてナスを食べる所作をして、最後に盃を割るのです。

面白いなあとネットを検索したら、ありました。
形はちょっとづつ違いますが、当屋渡しの神事はあちこちで行われています。
また、調べたいなあと思いました。

氏子さんと話していたのは、祭りの意味がわからなくなると消えてしまうかもしれないという懸念。何故千本づきなのか、何故クリの木を使うのか等等。

意味がわかれば残せるはず。
もっともっと特殊神事を大切にしたいと思いました。
長い年月守られてきたお祭り。
時代が変わっても守りたいですね。

消えてしまったお祭りも復活させたい。
いつか、是非に。。。

写真は伏見八幡神社の神輿行列です。長い行列が続きます。
百八段の石段を前に休憩中。私は一足先に石段を駆け登り、祭りの準備です。



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今朝は珍しく深い霧の朝でした。
11/23に行われるコンサートの案内に使うために木の写真を撮りたいと思っていました。
載せたいのは、御歳神社のご神木「シイの木」。
御歳神社の境内や御山には樹齢数百年の木々があります。
その中でも、ひときわ心惹かれる木がこのシイの大樹です。

神職になろうと思って本殿の奥の御山に入った時、
優しく温かく迎えてくれたのはこの木でした。
神々しさに感情が噴き出す思い。
「かたじけなさに涙こぼるる」と詠んだ西行法師の心境です。

手水を作ってくださった方々のお一人が、初めてこの木を見た時に
「この木、夢で見た木です!」と驚いておられました。
私も驚きましたが、今なら、この木が夢に現われて彼女にメッセージを送ったなんていう話も、ああ、ありえるかも?と思います。

御歳神社の杜に集まる方々皆が大好きな木。

今日は霧の中、この世のものとは思えないような幻想的な空間の中で
別の表情を見ました。

いつもは、優しく温かく受け容れてくださる木。
今日は少し角度を変えて眺めました。
ああ、なんと力強く雄雄しいお姿なのでしょう。
あの、いつもの優しいお姿だけでなく、
これほど、力に満ちた表情をお持ちだったのですね。

「大丈夫。すべてよし」
ああ、そうかもしれない。
この木々たちが存在してくださっていれば、
きっと見守って下さっているはず。

何百年も此処で人々のありようを見ていらした木々。
これからも、ずっと。。。

*写真をクリックすると拡大します。

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〔彼岸花と金剛山〕



おみくじを真剣に引いたのは、たぶん、御歳神社でが最初ですね。
あまり、強く思っておみくじを引くことはなかったのですが、
時々、迷ってしまって、何か糸口が欲しい時があります。

おみくじや占い、当ると思いますか?まやかしだと思いますか?
おみくじでも、小説でも、自分がピピッと来た言葉にしか反応しませんよね。
だから当っていると思うのかも知れません。

でも、おみくじってやっぱり力があるなあと思います。
本当に迷ってしまって、どうにも出口が見えない時、
その小さい紙片の言葉で「あっ!」っと気づかされる事があります。
ぐるぐる巡って、もつれて、ほどけなくなった糸のほどき方が見えるような感じ。

その言葉が、本当に神様からのメッセージだと思ってもいいし、
冷静に状況を見るきっかけになってもいいし、
ほんの少し、希望の糧にしてもいいし。。。

私?私は、この頃、本当に神様からのメッセージだと思っているかも。
でも、行動するのは私だから、メッセージのままに動けるかは分かりませんけれどね。

おみくじっていつ頃作られて、誰が言葉を書いたのかなあ。
先日引いたおみくじの裏面「神の教」にもいい事書いてありました。
ちょっと、ここに記しておきますね。

「過ぎた繰り言、取り越し苦労、神の授けの身をやぶる」
「取り返しのつかぬ過去の事を、繰り返して思い悩んだり、どうにもならぬ将来の事を案じ煩うのは唯心をいため身を害うだけで、何の役にも立たぬ愚かな事である。今日は唯今日の事を、面白く楽しく、神様を念じつつ、正しい心でやって行く。禍も転じて幸いとなる。」


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