鎮守の杜から
葛木御歳神社神職が、神道についてや、日々感じたことなどを思いつくままに綴った私的なページです。
 



御歳神社の御田祭りについて
御歳神社の春の大祭は、「御田祭り-おんだまつり」と言います。
例年、5月3日午前11時~行われます。

50年ほど前までは、村をあげて行われていました。
大祭の祭典の後、斎竹をめぐらした境内の場所を田に見立てます。
牛の面をかぶった牛役と田男が田起こしの真似をします。
杉葉におふだを巻いて水引を結んだ護符を苗に見立てて早乙女に扮した村の女性が田植えの真似事をします。
その苗(護符)を一斉に取り合うように村人が持ち帰りました。

この神事は、長らく途絶えています。いつか復活できればと願っています。

現在では、大祭(注1)の中で、この護符に御歳神さまの御神徳を頂き、参列者や氏子に授与しています。この護符は、古語拾遺に書かれている故事にちなんで、田を荒らす蝗(イナゴ)よけの護符として信仰されています。
イナゴに限らず、災禍よけのお守りとして、ご家庭では玄関口にかけておいてください。
氏子地域では、実際苗代を作る時に、田へ水を引くその水口に供えます。
水口祭として、水口にお供え物をする慣習は色々な地域で見られますが、御歳神社がその発祥の神社ではないかとの説を唱えられる研究者もいらっしゃいます。

御田祭は大変古いお祭りです。御歳神さまが、稲の神(注2)・五穀豊穣の神として古代大変崇敬されていた歴史から考えると(注3)、御歳神社の御田祭りが、御田祭、水口祭のルーツとされるのもうなずけるかもしれません。

注1 大祭:神社祭式には、大祭・中祭・小祭があります。御歳神社の大祭は春の御田祭りと秋祭りです。大祭の時のみ、本殿の御扉を開扉し、神饌を本殿内まで供えます。

注2 稲の神:御歳神(みとしのかみ)の「トシ」は、稲を意味する古語です。

注3 御歳神さまは、稲の神として古代から朝廷で行われてきた祈年祭においても篤い崇敬を受けてきました。全国の神社で唯一、白猪・白馬・白鶏を朝廷より特別に献じられていました。

*HPにもUPしました。



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私が大学生になった頃、ものすごい読書家の父が話してくれた。
「僕の好きな本。カミュ シーシュポスの神話。モーム 人間の絆。ヘッセ デミアン。」
デミアンはあまり好きじゃなかったけど、カミュとモームはぴったり私の中に入ってきて、今も居場所がある。「シーシュポスの神話」は殆ど思想解説書のようで難しすぎて、到底私には理解できなかった。でも、その最終章を読んだ私は思わずにっこりした。ああ、いいなあ、その考え方…。

シーシュポスは神々を愚弄した罪で罰を与えられる。大きな岩を山の頂に運ぶ罰である。しかし、岩はまさに頂に達するとそれ自体の重みで転がり落ちていくのだ。神々が考えた最も過酷な罰は、達成感のない労働だというわけだ。

あらん限り渾身の力を振り絞って岩を押し上げて、何百回押し上げても、転がり落ちる岩。その状況を嘆く日々を越えて、聡明なシーシュポスはある真理にたどり着いたとカミュは考える。転がり落ちる岩を呆然と眺めた後、岩のある山の麓まで下りて行くシーシュポスにカミュは注目する。

ゆっくり乱れぬ足取りで下っていくその時間は、彼だけのものなのだ。いつ終わるとも知れない責苦を嘆く日もあるだろうが、突然射してきた月の光や、足元に咲いた花に微笑む事もあるかもしれない。与えられた罰を嘆くのではなく、そのすべてを、岩さえも自分の所有物としてしまう。今、ここに在ることをそのままの状況で受け容れた時、「かれは自分の運命にたち勝っている。かれはかれを苦しめるあの岩より強いのだ。P170」

カミュは神を否定しているように見えてとても意識していて、そこに触発されます。ギリシャ神話の中のシーシュポスにとっては、神は確かに存在しています。だから、否定というより、神々も運命も「すべてよし」と肯定してありのまま受け容れる事によって、彼は主体を「運命」から「自分」に持っていくことに成功したといえるかもしれません。

「人間が自分の生へと振り向くこの微妙な瞬間に、シーシュポスは、自分の岩のほうへと戻りながら、あの相互に繋がりのない一連の行動が、かれ自身の運命となるのを、かれによって創りだされ、かれの記憶のまなざしのもとにひとつに結びつき、やがてかれの死によって封印されるであろう運命と変るのを凝視しているのだ。」
「ぼくはシーシュポスを山の麓に残そう!…このとき以後、もはや支配者をもたぬこの宇宙は、かれには不毛だともくだらぬとも思えない。この石の上の結晶のひとつひとつが、夜にみたされたこの山の鉱物質の輝きのひとつひとつが、それだけでひとつの世界をかたちづくる。頂上を目がけるその闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのに十分たりうるのだ。いまや、シーシュポスは幸福なのだと思わねばならぬ。(最終頁)」



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感激しきり!
もう、なんて美しいの!と言葉がなかったです。。。

ここは、御歳神社の奥山。昨年から整備している道です。
山桜を見たくて今日は奥山へ入りました。
山桜と山つつじが見事でした。

この山全体を包む優しい「気」は何なのでしょう。
たくさんの精霊さんが、春を楽しんで新緑の山に遊んでいるよう…
山の気配が変わりました。
冬から芽吹きの春へ。
springとはよく言ったもので、まさに飛び跳ねているような楽しげな山。



山つつじも山桜も美しく咲き競っていました。
ああ、春はいいなあ。
本当に本当に心が躍る奥山探訪でした。



まだ、道の整備が終わっていません。
きちんと形にしたら、公開したいと思っています。
もう少しお待ちくださいね。

*ここをご覧の皆さま、ご興味がありましたら、日程を合わせて頂ければご案内致します。ただし、ご神域および私有地でもあり、許可なく入山はご遠慮くださいね。よろしくお願いします。

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今年は寒かったせいか、桜が一斉に開花になりました。
例年より、花つきも良いようです。
昔は桜の花の開花でその年の豊作を予祝したそうで、今年は豊作が期待出来るかも?ですね。

昨日来、すごい雨と嵐でしたが、葛城の桜は大阪に比べて開花が遅かったせいで、
嵐にも負けず、まだ散り初めの状態です。写真は今日の桜です。

昨年秋に壊れていた社務所を取り壊しました。広々としたせいか、今年の染井吉野は枝をいっぱいに広げて気持ち良さそうです。ずい分大きくなったように思います。4/1に植えた桜の苗木も元気に葉を茂らせています。

どうしてこんなに桜に心惹かれるのでしょうね。
もうすぐ花が散ったあと、元気に葉を広げて、木に栄養をいっぱい貯めて、また来年見事な花を咲かせることでしょう。そうやって毎年毎年必ず春の訪れを祝うように咲いてくれます。それが何より嬉しいのかもしれません。

「特別」な事は時には必要ですが、「特別」を長く続けるのは、やはり無理があります。エネルギーが必要な時期は、少々無理してでも「特別」を敢行しなくてはいけないこともあるでしょう。それを軌道に乗せて、「普通」の事にしていくこと。そうやってこそ、長い時を繋げていけるのだろうと、桜を見ながらしみじみ思いました。

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今日、御歳神社へお越しの河内太古さんから、枝垂桜の情報を頂いて、
即、娘を誘って行ってきました。

写真は二上山近くの香芝市畑7丁目にある専称寺の枝垂桜です。
もう、感激!なんでこんなに美しいの!って感じでした。
浄土宗の小さなお寺です。
なのに、夜間8時半までライトアップしています。
しかも拝観自由。

境内に切れ目無く人が来られますが、皆さん本当に桜を愛でてらして、
詠嘆しながら静かにいらっしゃる、そのお寺の空気が良かったです。
どなたかが、境内全体をすっぽり笠を被せた様に枝が垂れていますねえ!と仰せでした。
まさにその感じ。
桜の優しい傘に入れてもらったような気分でした。


なかなか立ち去りがたく、娘とゆったり楽しみました。

それから、当麻寺へ。
染井吉野はまだ二分咲き程度でしたが、
枝垂桜は、塔を背景に美しく咲いていました。

帰り道、園芸店に立ち寄り、また、桜の苗木を買いました。
昨年も4本植えました。
100年後を夢見て…ねっ♪


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