凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

仕事、、、、

2011-06-10 20:44:17 | 仕事
 今日は、授業の後、1時間くらい、文化人類学と宗教学を教えているアメリカ人(カナダ人かも?)とおしゃべりをした。彼は、能や狂言にも造詣が深く、狂言はパフォーマーとして修業していたそうで、本当に詳しい。私は、もともと現役の学部時代は国文学だったのだが、今や、な~んにも知らないも同然だ。当時の私が、今のような観点から日本の古典芸能に接していたら、本当に面白いところに行けたかもしれないが、その頃は、先の見えない、展望をなくした、年若い女だった。

 久しぶりに、面白い話題につい時間が経つのも忘れてしまった。彼の話に聞き入り、質問すると、また面白い話が帰ってくるから、結局、来週の授業の資料を印刷するのも面倒になって、そのまま帰って来た。おまけに、今日、配布しなかった資料を来週回しにしたのだが、それも持ち帰ってしまった。途中で、妙に鞄が重いな、と思って見たら、140枚の資料が入っていた。大学に置いて来たかったのに、、、。、

 思えば、大学院に入った動機は、日本の古文献で、トランスジェンダー研究をしたいということだった。しかし、当時、仕事をしながらであったし、年限も学費のことを考えると延ばせなかったし、時間的制約のある中で、論文を書くとしたら、、、と考えると、日本の古文献よりも英語の文献の方がまだアクセスしやすかった。まぁ、先端を行っているのはアメリカだったし、それはそれでよかったのだけど、、、。当時、私の書いた論文は、かなり先駆的で、本にする話も出ていた。メルボルンの学会で、ただ一人の日本人として、報告もした。その後、フルペーパーを出すようにと学会から要請が来たが、そして、研究に専念していたらそれも出来ただろうが、とにかく、私は研究とは関係のない仕事をしていたので、時間がなく、断りの連絡を入れた。今では、あの頃のことは、もう夢の中のことのようだ。

 現場で働くということは、日々の現実に追われるということだ。今は、フルタイムの仕事も病気で辞め、週に2日、教える仕事をしているだけだが、一般教養レベルの授業なので、ルーティン化している。以前、専門科目を教えていた時は、もっとディープな領域にまで入り込んだ授業をしていたが、今は、私自身も勉強する必要がなくなっている。これでは駄目だなと思うのだが、何か張り合いが足りない。
 
 久しぶりに市民講座のオファーが来たが、1年以上のブランクがあるので、それもひるんでいる。でも、思い切って引き受けて、少し、勘を取り戻す努力をした方がよいのかもしれない。以前は、次から次と何でも引き受けていたが、あれはあれで、少し無謀だったと思う。が、今なら、ちょっとは丁寧な仕事が出来る時間もある。仕事が生き甲斐だったので、やっぱり、仕事で活力を養うべきかもしれない。

 研究をしたいことはあるのだが、それも、活力がなくなって、思いだけが空回りしている。そろそろ、変わり時かな。
 なんか、変わろうとか、前向きになろう、とか、そんなことばっかり言っている気がするが、、、。

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