凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

気むずかしい人

2012-08-07 18:17:37 | 性格
 団体の長など、社会的権威のある人が気むずかしいと、力のない者はとても困る。昔は、それは多くは男性だったのだろうが、私の関係する団体や組織は、皆女性の長を戴いている。そして、フェミの思想が入っているから、どの人もどの団体も、平場や平等というコンセプトに基づいて動いている。
 という筈なのだが、なぜ、どの人も権威主義に見え、権力を恣にしているように見えるのだろう。

 まず、多くのエライさんは、周りに気を遣わない。周りが気を遣う。何でもフランクに言って、と言われて、うっかり言おうものなら嫌われる。平場主義と言いながら、自分がルールである。

 昨年亡くなった人は、ほんとうに、感性の優れた能力の高い人だった。私は尊敬していたし、その人の下で論文を書いたが、その人の下で論文を書けたのはよかった、と思った。私の研究分野は非常に新しくて、海外には先行研究が多かったが、日本では学術論文はほとんどない状態だった。私は英語の文献を中心に論文を書いたが、その人だからこそ、理解し、評価してくれたと思う。他の教員だったら、そこまで理解できなかったのではないかと思う。だから、とても感謝していたのだが、如何せん、非常に気むずかしい。年を取るに従って、その気難しさはエスカレートし、私はだんだんその人に会うのが辛くなっていった。もちろん、それでもその人を尊敬しているし、恩義も感じているので、仕事であまり会う機会がなくなっても、入院されたと聞いて病院に行ったり、何回目かの時には入院の手続きをして保証人になったりもした。そのうち、私自身が病気になったので、しばらく全く会いに行くことはなかったが、元気になったらまたお見舞いに行こうと思っていた。
 しかし、その人に寄り添っているのが、私が仕事で辛い思いをした人とつながっている人だったので、その人がいると思うと、足が遠のいた。そうして、何年も過ぎた間に、その人の訃報が舞い込んだ。

 あまりにも寂しい別れだった。私は、お別れ会にも偲ぶ会にも行けなかった。その人に付き添った人たちと会うのがいやだったので、一人でひっそりとその人を追悼することしかできなかった。しかし、その人と、若いときに私よりももっと親交のあった人たちが、つながりを断っている。その人の偉大さに比すると、あまりにもわびしい扱いだった。

 その人の気難しさには皆が閉口していて、慕っていくことが出来なくなっていたのだろうと思う。なぜ、そんなにその人は気むずかしかったのか。とても孤独だったのではないかと思うが、口を開けば容赦ない批判、攻撃、そして何が作用するのか、とても楽しそうにニコニコすることもある。そのニコニコが見られるのか、攻撃が始まるのか、その瞬間までわからない。その人を慕って近くにいることに疲れてくるのだ。

 だんだん人々が遠ざかって行った。私自身は、別の理由もあって遠くなってしまったが、親しかった人がどんどん傍にいなくなる。
 私よりはるかに年上で、その人と互角に交流できる人は最期の方までお見舞いに行っていたそうだが、もう誰のこともわからなくなっていたと言う。早いボケ方をしたのだ。人々との縁に希望を持とうとしなかったのかもしれない。だから、人々のことを早く忘れたのかもしれない。孤高の人は、孤独に亡くなったような気がする。

 入院しておられて見舞いに行ったとき、まだ元気そうではあったが、それでもだいぶん弱っている感じだったとき、私は不覚にも涙を落としそうになった。でも、あの人は、そういう私の気持ちなど考えないだろう。私は、誰かにしがみついて頼りにすることはしないが、尊敬と恩義は忘れない。人を慈しんだり愛しむ気持ちはある。しかし、その人はそれは理解しなかったと思う。誰にも頼らないで自立する、それがあの人のポリシーだったのだろう。

 人は、生きたように老いるのだろうな。

 

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。