凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

うまく運ばないこと(続)

2011-11-30 18:25:10 | 日々の雑感
 こんな女性の話。「女の幸せは結婚」と親に言われて結婚をして、その相手がDV夫だった。さんざん我慢したが、3人の子どもを連れてとうとう離婚。離婚しなければ、自分が死ぬか、夫を殺すしかない、というところまでいった、とのこと。しかし、離婚して子どもを3人もかかえて食べていけるような、仕事がない。そもそも、結婚が人生の目的のような育てられ方をしたから、キャリアに結びつくような教育歴もなく、結婚したときに寿退社をしているので、中年女性の自分にはパート職しかない。やっとさがしたパート職も、子ども3人を養っていけるほどの給料はない。それでも、ダブルワークでなんとか生活費を稼いで子どもを育てていた。が、生活の苦しさに体調もくずしがちで、仕事が困難になってきて、暮らしが逼迫し、精神的にも鬱っぽくなる。そういう事情であるから、DV夫から受けたダメージが癒されるどころか深刻になり、鬱病になってしまい、仕事に行けなくなった。病院にかかって、なんとか生活保護を受けるようになったが、生活保護からは本当は早く抜け出したい。役所の職員も何かとせっついて、早く仕事をしろ、と言う。が、せっつかれると、余計精神的に不安定になる。しかも、病院で処方される薬が良いのか悪いのか、不安定さが増してきて、時々解離症状が出るようになった。そうなると、解離している時には自分が何をしたか記憶がまだらになり、友人知人が距離を置くようになる。仕事もなく、精神的にも不安定で、友人たちも離れていき、、、というようにどんどん状況は悪化する。

 もともとは頭の良い、きちんと論理的にものを考えられる人だ。他人への思いやりも深く、良識のある人だ。にもかかわらず、一度、人生のつまづきに遭遇してしまうと、どんどん負のスパイラルに入ってしまい、浮上が難しくなっている。

 今の社会状況は、不利益を被る立場の人を固定し、そこに落とし込むことによって、やりくりしているように見える。「努力した人が報われる社会」ということがよく言われるが、私には「努力しているように見せるのが上手い人が報われる社会」のように見える。あまりにも困難な状況に、脱力して生きる力を失った人は、努力しない人と呼ばれるのか。
 解離の症状を理解しない人は、記憶がない、というその人の言い分を信用しない。それほどまでに不幸なのだ、ということを理解しない。

 間の悪い人は、間の悪い循環にはまっている。そこを許容する力のある社会は、ほんとうにキャパのある社会なのだろうが、この、余裕を失った時代、人々は狭量で他人の事情を斟酌する力さえ失っている。ただ、自分がたくさん得ることだけを考える。自分がたくさん得ると、他の人の取り分が減るのだ、という当たり前の事実に気づけなくなっている。

うまく運ばないこと

2011-11-30 17:56:16 | 日々の雑感
 ある若い人に渡す本があって、送ろうとしていた。そこにメールが来た。次の日に、私も関わりのあるイベントに自分も行くので、そこで渡してもらえたらうれしい、というものだった。私は、主催者の友人や招かれたゲストといろいろ用事をしているかもしれず、忙しい可能性もあったので、「では、私を見かけたら声をかけてくださいね」と返事をして送るのをやめて、鞄にその本を入れた。
 当日、始まる前はいろいろ気も遣ったが、まぁ、私は主催者ではないので、主催の友人の役に立つように待機している程度だったので、その若い人が来るかなと会場の入り口を見たり、始まってからも後ろを見渡したりしていた。すると、携帯にメールが来ていて、遅れているがそちらに向かう、とのこと。それなら、終わってから渡せばいいと思った。

 イベントは無事に終わり、会場では人々が立ち上がり、どんどん出口に向かう。私は会場を見渡しながら、ずっと彼女を目で捜し続けた。そもそも私は、前の方のゲストに近い方にいるので、向こうからわからないはずはない。人がどんどん減ってもその人は見つからない。どうなっているのだろう? と不審な気持ちが広がる。
 その若い人は、私の経験からは、何かイマイチ甘い感じがある。今時の若い人は、苦労を知らないからこんなものか、と思いながら、彼女の悩みは聞いてきたが、こちらの苦労をわかるとは思えない、そのような感じだ。不対等な関係であるから、こちらには頼りにする気は毛頭ないが、若い人だからこれからがんばってもらいたいという応援する気はある。しかし、来ると思いこんでいた会場に現れないのには、相当がっかりした。本は軽くはない。が、持って来い、と言ったから持ってきたのだ。やっぱり、ダメな人はこういう時にダメなんだなと思った。こんな約束くらいちゃんと守れよ、という感じだ。

 しばらくして、平身低頭したメールが来た。職場を出ようと思った瞬間に、人が来て、その対応に追われて時間が大幅に遅れてしまったこと。その対応が終わってから職場を出ても、そのイベント会場はかなり遠方なので、終わる頃に着いてしまう、と思い、断念したと書かれていた。
 また、思い直す。結局、末端の立場に置かれてしまった人は、行動が自分の思うようにならず、自分の都合は後回しになる。そして、こうした約束も反故にせざるを得ない状況に追い込まれ、信頼できない、という印象を持たれ、頼りにされることがなくなる。そうして、重要な役割に登用されることなく、また、末端に位置づけられ、また、自分の意志とは無関係に拘束され、とどのつまり、ずっとその位置にい続け、ずっと頼りにできない人であり続ける。そのような循環から抜けるには、行動パターンを変えるしかないが、多くの人は、その位置に固定されるようになる。

 一旦、怒りがわいたが、そのように考えると、切なさの方がこみ上げてきて、結局、当初の予定通り、本を送った。同時に送った別の人からは早速お礼のメールが来たが、その人からは何も言って来ない。つくづく、間の悪い人だ。