凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

小意地悪

2010-01-10 12:02:47 | 人間関係
 ずいぶん以前のことだが、カウンセラーの友人から、「小意地悪」という言葉を聞いたことがある。なんか、うまいことを言うな、という感じだった。このカウンセラーは、リアリストで、実質主義で、妙に感傷的なところや同情的でないところが、すかっとしてよいなと思っていたのだが、なかなか表現も的を射ていた。

 人は、小さな意趣返しや小さな意地悪をして、日々のいらだちを放散させたりするようだ、ということを知った。それまでに経験した小さないやな出来事に答えを与えられたような気がした。
 
 幼い頃、まだ既製服がそれほど出回っていなかった。近所の子どもたちは、姉や兄のお下がりでサイズが合っていなかったり、自分用に買ってもらう服も、数年は着られるようにと、妙にだぶだぶの服を着せられていた。その頃に、一人っ子だった私は、洋裁をしていた母のお手製の、いつもジャストサイズでデザインに工夫を凝らした洋服を着ていて、「いつもかわいい服を着ている」子と言われていた。京都の小学校は、制服を採用していなかったので、毎朝、どの子どもも私服で登校する。母の趣味で、しばしば新調した洋服を着て登校する私を、憎らしく思う少女がいても不思議はなかったかもしれない。高学年にもなると、学校へ到着すれば、同級生が寄って来て、私の洋服を話題にする、というような風景もしばしばあった。
 ある夏休みの登校日の朝、私が学校へ行くために家を出ると、M子ちゃんが、ちょうど通りかかった。私はその日、新しい赤と白の小さな水玉のサンドレスにお揃いのボレロという、今思えば、やたらしゃれた服を着ていた。M子ちゃんは私を見るなり、ボレロを指さして、「ちんちくりんや」と言って笑った。私は、その日一日、その「ちんちくりん」の洋服に恥ずかしい思いで耐えながら、学校から帰ると、「ちんちくりん」と言われた、と言って急いでその服を脱ぎ、二度とその服には手を通さなかった。母は、「ボレロ」はこういうデザインの服なのだと説明し、私もそういう洋服が世の中にあるのは知っていた。が、小学生が学校に着ていく服ではなく、その地域の人たちには理解されないのだと、子ども心に思った。そして、そのような斬新なデザインの洋服を自分は着たくない、と強く思ったのだった。母は、「みんな、知らぁらへんねや。このへんは、まだ田舎やから」と、残念そうに言っていた。
 京都の市中から伏見という南部に転居して以来、文化の違いを嘆くことが多かった母だ。京都の旧市街地に住んでいる人たちからは、伏見などは「田舎」だったのだ。
 子どもであった私は、斬新なデザインよりも高級品よりも、まわりの子どもたちと同じ物を身につけたかった。伏見の「田舎」文化に同化したくない母と、回りから浮きたくない私は、何かとずれていたと思う。
 
 M子ちゃんは、その後何年にもわたって、私のささやかな人生に登場する。ネガティブなメッセージを持って、中学時代まで、消えたり現れたりする。最初は小学生の低学年からスタートする。私と仲良くなりたい、という彼女からのアプローチで始まるのだが、なぜか、奇妙なねじれたメッセージが、ずっとやって来続けた。彼女は、私を評価しており、特に私の容貌を褒める。が、次の瞬間には、肌の弱い私の吹き出物を認め、「肌はわたしの方がきれい」と誇らかに言い立てる。すべて、彼女の一人芝居のように、私を持ち上げ、突き落とし、何かと揺さぶりをかけようとしていたように思う。私の鈍さ、反応の悪さ、関心の薄さにいらだっていたのかもしれない。が、私には、彼女の私への介入、評価、いやなメッセージ、、すべてが理解を超えていて、茫然としていたような感じだ。ただ、総合的にいやなものがくる、ということについて、もちろん、私は悩んでいて、辛い思いをしていた。が、その場では、すぐに返すことができないようなアプローチなので、私は言われっぱなしになってしまうのだ。後で、いやな思いがじわじわとこみ上げてきて、苦しんだことがある。

 このM子ちゃんの屈折の深い原因は知らない。彼女は、母親は彼女が産まれるとすぐに亡くなり、父親と祖母と父親の妹と暮らしていた。遠足の時など、私の母の手の込んだ弁当と違って、彼女は、祖母が作った粗末な弁当を持ってきていたようだ。私は他人の弁当にも興味がなく、見たこともないのだが、ある日、彼女が白飯に大きな紅い生姜が一枚ぽんと乗っている弁当を見せ、「私はこれが好きだ」と強調した。それを聞いて、それはそんなに美味しいのか、と私は思い、「おいしそうだった」「私もあんなお弁当がほしい」と母に言った。すると、母はその弁当がいかに粗末かを強調した。そのような弁当しか持たせてもらえない、かわいそうな子なのだと。その頃には、あまり理解しなかったのだが、今思えば、M子ちゃんは、私の弁当と自分の弁当の差に気づき、自分は生姜が好きなのだと強調せずにはいられなかったのかもしれない。私の母のつくる弁当は、小さなおにぎりを海苔や薄焼き卵で巻いて、さらに肉やソーセージや野菜を彩りよく詰めたにぎやかな弁当だった。私の目には、M子ちゃんの弁当とあまりにも違うので、もはや質の違いとは思えなかったのかもしれない。ただただ、私の物とは異なる、違ったタイプの弁当にしか見えていなかったのだと思う。私自身は、そこに何かの格差を感じることはなかった。
 が、今思えば、いくら若くはない祖母で、20歳代の私の母のモダンさはなかったとしても、小学校の低学年の子どもに、あそこまで粗末な弁当を持たせるものだろうか、と不審に思う。M子ちゃんの家庭は、決して貧しくはなく、住まいも裕福そうだった。それを思うと、M子ちゃんは、ネグレクトの子どもだった可能性がある。弁当だけでなく、着る物も、決して手をかけられたものではなかった。おしゃれでおませだったM子ちゃんにはどうしようもなく、悲しいことだったかもしれない。実母は自分が生まれてすぐに死んだ、とM子ちゃんは言っていたが、私の母などは夫方の母親と小姑に追い出されたのだろう、と噂をしていた。しかも、父親の弟という怪しげな男性も出入りしていた。一度、この人にM子ちゃんと交代で部屋に呼ばれて、その人は私を自分の足に乗せ、何やら一人で興奮していた、という情景を覚えている。何をされたわけではなく、ただ、足の上に乗せられ、彼が一人で興奮していて、興奮が去ると帰された。今の私の思考、情報を動員して想像するなら、M子ちゃんはネグレクトや性的虐待など、大人による虐待を受けていた子どもだった可能性がある。不幸なM子ちゃんは、そのような不幸とは全く無縁そうな私を友人として選び、ほんとうに友人になりたかったのかもしれない。否、むしろ、私ののほほんとした平和さを自分のものとして求めたのかもしれない。そして、それは決して自分のものにならず、私のものであり続けることにいらだち、奇妙なねじれた攻撃をしていたのかもしれない。それは、もちろん、M子ちゃんの無意識の行動だろう。

 小学5,6年生になってまた同じクラスになったM子ちゃんは、また、仲良くしよう、あなたが好き、というように近づいてきた。もとより、私には断る理由もなく、いつものように受け身だった。が、屈折の度合いはひどくなっていたように思う。いつ頃だったか、お父さんが結婚してお母さんができた、ということを報告されたことがある。彼女は、お母さんができたことをとても喜んでいるふうだった。今の私が振り返れば、それはいじらしい子どもらしいM子ちゃんだった、と、涙さえ誘うような風情だった。が、あるお正月、彼女は私に何かプレゼントしたい、と言い出した。それで、日記帳をプレゼントしてくれることになった。「お母さんには?」と尋ねると、お母さんなんか、自分の物ばっかり買ってるから何もあげない、と言った。既に、期待した「お母さん」ではない、というようになったのかもしれない。彼女は、私にプレゼントしたいが、今はお金がないから貸してほしい、と言う。それで、私がお金を貸し、彼女からプレゼントをもらったが、そのお金は返って来なかったので、結局、私は自分の日記帳を自分のお金で買っただけなのだ。が、それも今振り返れば、M子ちゃんはほんとうに、私にプレゼントしたかったのかもしれないと思う。そういうことをしてみたかったのかもしれない。だが、彼女は十分なお小遣いを与えられていなかったので、私から借りるより他はなかったのだ。そして、返したかったのかもしれない。しかし、それも出来なかった可能性がある。

 幼かった私にはわけのわからないM子ちゃんで、中学生になった頃には、危機感を感じるようになって、あまり近づかなくなった。1~2度、露骨に意地の悪いことをしてきた。大したことではない。ただ、クラスが違うので、教室の外の廊下で見かけることがあるのだが、盛んに私を呼ぶことがあった。返事をして彼女の方を見ると、プイと向こうを向く、というようなことがあった。ある時も盛んに呼ばれたが、私は無視した。すると、事情を知らない同級生が「呼んでるよ」と、私に伝えてくれた。すると、「呼んでない」と、彼女はしらを切る。「え? 呼んでたやんか」と、その少女がびっくりする、というようなエピソードがあった。

 M子ちゃんは、とてもとても、屈折していたのだろう。とてもとても、不幸な子どもだったのだろう。本当に、私と友だちになろうとし、そして、本当に私のようなのほほんとした友だちが欲しくて、しかし、いくら私と遊んでも、少しも幸せにはなれなかったのだろう。誰を憎んでいいのか、誰に頼ってよいのかわからない非力な子どもが、一生懸命もがいていたのかもしれなかった。
 
 たぶん、意地悪はもがき。M子ちゃんのは、今思えば、ほんとに小さな意地悪、小さな攻撃だった。その合間に、切ないほどの求愛メッセージが織り込まれていた、と、大人になった私にはやっと読める。