一度書いた文章が、画面展開のために消えてしまった。また書き直すけれど、同じようには、決して書けない。年明け早々、やれやれ、、、。
母は81歳。自分の生きた流儀で、今も生きる。一人娘である私に、少し負担感を抱かせながら、自分のやり方、自分のテンポ、自分の価値観で生きる。一歩たりとも、若い者に譲る気はない。小金があるので、それを孫や私にばらまいて、私たちのサービスのお返しにしている。孫たちには、結構、過剰なお返しだ。
寂しい年越しをさせたくないと思う私に、こどもたちもつきあってくれている。
自分はどのような死に方をするかわからないが、母のようではありたくないと思う。自己中で、わがままで、娘の私には何やら無限の権利を持っているかのように、私には振る舞ってきた。が、私が仕事をしてきたので、控えているところがある。母と同じように、専業主婦でいれば、母の支配下で母の僕のようになっていただろうが、幸い、そこからは抜け出すことができた。
その母が、「もうすぐ死ぬ」などと言うと、涙がこみ上げてくる。老いた母を見ていると、悲しみと切なさが、わき上がってくる。私に対して少しも優しくなかった人なのに、なぜ、こんなに思うのか。
母がいる間は、今の暮らしを続けるしかないが、一人になったら、この地を離れようと思う。こどもたちの負担にはなりたくない。自分がどのような死に方をするかはわからないが、こどもたちには前日くらいに駆けつけてもらって、一晩見守ればあの子たちも気が済むだろうから、それで、さっさと逝きたいと思う。それまでは、離れた場所で、機嫌良く暮らしているよ、というメッセージだけを届けて、気ままに自分のしたいように、暮らしたいと思う。
どうせ、私も母親譲りの、自己中で、気ままで、人に合わせることの出来ない人間なのだから、それは仕方がないとしても、母のように、若い者にケアをさせて当たり前、という感覚はないし、子どもたちも、私よりもドライな世代だ。
こどもたちは優しいが、世代的には、私よりも遙かにドライで、前の世代に責任も義務も感じてはいないだろう。
だから、年老いた私の存在は、負担になるだけだろう。それは避けたい。なんとしても、、、。
ひとりぼっちが嫌いだという友人がいる。彼女は、人と暮らす煩わしさよりも、孤独の方が辛いのだろう。私は、人といる煩わしさや不自由さよりも、ひとりぼっちの寂しさの方を採る。孤独はつらいが、出来る限り、自由にしていたい。それは悲願だ。
母は81歳。自分の生きた流儀で、今も生きる。一人娘である私に、少し負担感を抱かせながら、自分のやり方、自分のテンポ、自分の価値観で生きる。一歩たりとも、若い者に譲る気はない。小金があるので、それを孫や私にばらまいて、私たちのサービスのお返しにしている。孫たちには、結構、過剰なお返しだ。
寂しい年越しをさせたくないと思う私に、こどもたちもつきあってくれている。
自分はどのような死に方をするかわからないが、母のようではありたくないと思う。自己中で、わがままで、娘の私には何やら無限の権利を持っているかのように、私には振る舞ってきた。が、私が仕事をしてきたので、控えているところがある。母と同じように、専業主婦でいれば、母の支配下で母の僕のようになっていただろうが、幸い、そこからは抜け出すことができた。
その母が、「もうすぐ死ぬ」などと言うと、涙がこみ上げてくる。老いた母を見ていると、悲しみと切なさが、わき上がってくる。私に対して少しも優しくなかった人なのに、なぜ、こんなに思うのか。
母がいる間は、今の暮らしを続けるしかないが、一人になったら、この地を離れようと思う。こどもたちの負担にはなりたくない。自分がどのような死に方をするかはわからないが、こどもたちには前日くらいに駆けつけてもらって、一晩見守ればあの子たちも気が済むだろうから、それで、さっさと逝きたいと思う。それまでは、離れた場所で、機嫌良く暮らしているよ、というメッセージだけを届けて、気ままに自分のしたいように、暮らしたいと思う。
どうせ、私も母親譲りの、自己中で、気ままで、人に合わせることの出来ない人間なのだから、それは仕方がないとしても、母のように、若い者にケアをさせて当たり前、という感覚はないし、子どもたちも、私よりもドライな世代だ。
こどもたちは優しいが、世代的には、私よりも遙かにドライで、前の世代に責任も義務も感じてはいないだろう。
だから、年老いた私の存在は、負担になるだけだろう。それは避けたい。なんとしても、、、。
ひとりぼっちが嫌いだという友人がいる。彼女は、人と暮らす煩わしさよりも、孤独の方が辛いのだろう。私は、人といる煩わしさや不自由さよりも、ひとりぼっちの寂しさの方を採る。孤独はつらいが、出来る限り、自由にしていたい。それは悲願だ。